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1話 入っちゃったよ後宮


『人の生というのはね、予想できないから面白いのだよ』



見送りの際、次兄から贈られた言葉を思い出し、アル-シャは小さくため息をつく。

その気配に、先導する王子の補佐官ロウフェイルトがちらりと振り返ったが、彼女は何の反応も返さなかった。



王宮から後宮へと向かう長い廊下を歩きながら、アルーシャは己の運命が決まった日の事を思い出していた。

いや、それは正確にいつとは決められない。きっと全てが、なるようになった結果が今なのかもしれない。

けれど思わずにはいられないのだ。もし、あの時ああしていれば。もしあの日、ああしなければ。

そんな、とりとめも無いことを考え、最後の最後はいつも必ず、長兄への恨みになる。



『人の生』とはいっても、次兄が言うのは『他人の生』というやつだ。

今日まさに後宮へ足を踏み入れる妹に対して、流石の性格の悪さである。

せめて涙を流して見送った母のように、青い顔で胃を押さえていた父のように、心配するような素振りでも見せてくれば良いのに。

そう考えたところで、しかしあの次兄がそんな様子を見せたなら、何を企んでいるのかと疑心暗鬼になるだけだと気がついた。

仮に、彼が妹の身を心配していたとしても、後宮入りは既に覆しようのない事だ。感情を表に出すことは無いだろう。



アルーシャが生を受けたのは大陸の北西部にあるナソド王国の中南部に領地を持つクアラス伯爵家だった。

美しい両親の間に生まれた、3人の美しい息子。そして年が離れて生まれた、待望の女の子。

両親の遺伝子をしっかりと継ぎ、花のように可憐な娘の名はアルーシャ。

好物は干芋。趣味は悪戯。座右の銘は健康第一。

一体誰に似たのかと家族に首を傾げられる、少々風変わりな令嬢だった。


その理由が分かったのは、彼女が5歳を迎えた頃。

誰が教えたわけでもないのに、チンピラのような言葉遣いをし、ドレッサーのリボンを結んで網を作り海に行きたいと言い出したのを、次兄が見聞きしたのが切っ掛けだった。

アルーシャにも、前世の記憶がある。

竜族だった前世の記憶を持つ次男の言葉に、両親は多少驚くものの、既に耐性ができていたのですぐに受け入れた。


だが、さすがの次兄も両親も、アルーシャの中にある記憶が、懸賞金がかけられた凶悪な盗賊と、犬が苦手で酒と生魚が大好きな漁師という、オッサン2人だとは想像していなかった。

後にもう1人、アルーシャさえ無意識に覚えていないフリをするほど危険な女の記憶があるのだが、当時はまだそこまではわからなかった。


やたらとアクティブに助言してくる過去生のおかげで、アルーシャは言葉遣いや所作の習得に時間がかかり、同じ記憶持ちの次兄がほぼつきっきりで面倒をみていた。

その殆どが神職であり、世界の調停役でもある長寿の竜族。

その記憶がある次兄だからアルーシャを正しく導けたが、もし彼が記憶持ちでなく、あるいは竜族以外の記憶持ちであったら、アルーシャは幼少の時点で神殿に預けられていただろう。



幼い頃はお転婆姫だ風変わりだと噂されたアルーシャだったが、その声は成長するに従ってその美しさを讃える物へと変わっていった。

そばかすの一つも無い白い肌、月明かりに似た金の髪、静謐を思わせる青灰色の大きな瞳、整いすぎた容姿が与える仄かな冷たさ、そして手を触れれば夜露のように零れ落ちてしまいそうな儚げな雰囲気。


いつからか、誰からか、彼女はこう呼ばれるようになった。


『クアラス家の月の妖精』と。




初めてそれを聞いたとき、アルーシャはニヤリと口の端を吊り上げ、次兄は腹を抱えて笑い、その他の家族は『妖怪の間違いではないか』と真剣に話し合った。

アルーシャ12歳の夏の出来事である。


今にして思えば、その呼び名が出た時に、しっかりと勘違いだと否定しておけばよかった。

面白そうだと思って放置したツケが後宮入りとは、当時は思いもしなかったのだ。

脳天気に笑っていた当時の自分を思い出す度、アルーシャは行儀悪く舌打ちしたくなる。

実際に今ここで舌打ちしたら、ロウフェイルトはどんな反応をするだろうかと考えていると、何を感じ取ったか彼はちらりとこちらへ視線をくれた。




「貴方が後宮にいらっしゃる事になるとは、正直、予想しておりませんでした」

「ロウフェイルト様、それは……」


「先の殿下の正妃選定の際は、貴方は婚約中でいらっしゃいましたので、てっきりそのままご結婚なさるかと……」

「…………」



この人は喧嘩を売ってるのだろうかと、アルーシャは眉をひそめながら、困惑した雰囲気を表情に滲ませてとりあえず黙っておく。


先の王子の正妃選定とは、アルーシャが13歳の時に起きた騒動だ。

切っ掛けは、王子の婚約者が流行病で急死し、その後釜を王子がなかなか決めようとしなかった事だ。

一部の貴族達の権力欲に加え、王子以外に王位継承権を持つ者がいなかった事から、婚約者候補として名乗りを上げた令嬢達が王子の後宮に側室として上がり選定を受ける事になったのである。


100年程前の古事に習った選定だったが、結果は散々なもの。

出された課題が出来ない者、妨害されて課題を受け取れない者、出来ても生活態度が酷い者と、凄まじい事になっていたらしい。

日々様々な事件を起こし、挙げ句の果てに、後宮の庭でキャットファイトの大乱闘を起こす始末。

当然箝口令は敷かれたが、御婦人方の情報網に察知されないはずがなく、事件は公然の秘密となっていた。


当然試験中止を求める声は上がったが、件の婚約者候補達は『2年間宮の主の渡りが無い側室は実家へ返される』という法律を逆手にとって、2年間は側室だとして後宮に居座り続けたのである。

側室を出さなかった多くの貴族はもちろん、中立の立場にあった貴族達も、その姿に眉をひそめ、後の関係を大きく変えることとなった。



そんな、後宮に嵐が吹き荒れていた頃。

14歳になったアルーシャは、社交デビュー前にもかかわらず、既に月の妖精と噂されていた。

隣の領地の伯爵家から縁談を持ち込まれ、前向きに話が進められていた最中であった。


本来なら、アルーシャが16歳の成人を迎えると同時に、婚儀が行われるはずだった。

そんな彼女が、何故17歳の今、王子の後宮に上がることになったか……。


何の事は無い。

彼女の婚約が白紙になったのだ。

15歳の秋の事である。


次の縁談を探していたものの、折り悪く、正妃選定とその後1年の居候を終えた側室達が後宮を追い出され、次々と有望な男性を刈り取っている最中であった。

あまりの肉食ぶりに、おもしろ半分怯え半分で観察していると、とうとうアルーシャに丁度良い条件の男性はいなくなってしまった。


とはいえ、もとよりアルーシャは政略的な婚姻で十分と考えるところがあり、結婚の期限と言われる18までに結婚できればそれで良いと思っていた。

数年待てば、年下でも条件の良い男性がでてくるので、その中で選べば良いだろうと、父や兄と話していたのである


しかし、何もせずにいれば結婚を諦めたと勘違いされかねないので、形だけは探していたのだ。

側室としての召還は、その動きが原因だった。


婚約の撤回も、後宮からの召還も、アルーシャの3人いる兄の内、長兄と末兄が原因なのだが、その話はいずれ……。

とにもかくにも、王家からの命令に逆らうことなど出来るはずも無く、アルーシャは当初の人生設計にはない『側室として後宮入り』をする事になったのである。




「当時、『クアラス家の月の妖精』は後宮での騒ぎと同じくらい注目されておりました。夜会には滅多に見えられず、ごく一部の茶会にしか出られない事から、男性達の間では、幻の存在であると噂されるほど。私も、当時はどのような女性だろうと、興味を持ったものです」

「お恥ずかしいですわ」


「今だから言えますが、当時は王子殿下も、貴方には興味を持っておられました」

「まあ、そうだったのですね。殿下にもご存じいただけていたなんで、光栄ですわ」



ころころと、嬉しそうに笑いながら、アルーシャは今まで秘密にしてくれていたことを心底感謝した。

もしそれが他人に……特に、当時の側室候補達やその家に知られていたら、間違いなくアルーシャの身は危険に晒されていただろう。

それくらい、当時の彼女らは狂気じみていたのだ。

後宮での王家に対する無礼な振る舞いから、今では他の貴族から爪弾きにされている彼女らだが、当時は次代の王妃は我が家からとブイブイ言わせていたのである。



「ご存じかは分かりかねますが、殿下は理想が高くいらっしゃいます。8人もの側室……アルーシャ様で9人目となりますが、それだけの側室を抱えながら、未だ正妃を選べずにおられるのは、それ故のこと。巷では、愛する女性を求めるだの、初恋の方の面影を追っているだのと言われていますが、所詮は噂。あの方が求めるのは、そのような夢物語ではございません」



残念ながら、愛や恋が理由だという噂はかなり古いもので、現在の王子が正妃を決めない理由は、ホモ説が最有力である。

もちろん、他の特殊性癖説もある。

貴婦人の間での最新情報を、未婚の男性であるロウフェイルトが得るのは、流石に難しいのだろうと思いながら、アルーシャは神妙な顔で頷いた。

因みに、アルーシャは『老年熟女好き説』にお小遣い1ヶ月分を賭けている。その前は『ゴリラ好きホモ説』に賭けた。


もちろん、ただの遊びだ。

実際は、王子が国母となれる器を求める余り、理想が高くなりすぎているのだと、貴婦人達は分かっている。

分かっていて、賭けている。

たまに、冗談と本気の区別の分からない令嬢が、本当に王子がホモやロリコンやナルシストだと信じてしまう案件はあるが、程々のところで誰かしらが誤解を解いていた。

面白そうだから何人かそのまま信じさせておいてみたいアルーシャだったが、流石に貴族のお嬢さん相手にそんな事はできなかった。事後処理が面倒になりそうだったので。



「現在最も長く後宮にいらっしゃるのは、第1妃のメリッサ様と第2妃ツァルニ様でいらっしゃいますが、お二人が後宮にいらっしゃってから、すでに1年と5ヶ月が経っております。ですがその間、殿下が夜に渡られた事は一度もございません。殿下のお気持ちを優先したいとは思いますが、臣下としてこの状態をそのままにしておく事もできないのです」



今後宮にいるのは、先の選定の後に選ばれた側室達だ。中には、王子自ら命じて側室に召し上げられた令嬢もいるが、にも拘わらず夜の渡りがあったという話は無い。

現状、渡りがあったならその女性が半自動的に正妃になるため、あっという間に噂になるだろう。

しかし今回側室になった女性達地方の有力者の令嬢が多く、先の側室達とは別の意味で難しい。

その中で、アルーシャは権力図に与える影響が少ない一人だった。言い方を変えれば、王家の権力に影響を及ぼさない立場である。


手を出すには実に都合が良い立場だが、しかし同じ立場でアルーシャより身分が高い側室もいるのだ。

恐らくアルーシャはその予備になるのだろう。


立ち位置が明確で有り難いと思うと当時に、アルーシャは8人も側室がいて本当に誰にも手を出していない王子に内心苛立つ。

せっかく各地の有力者から令嬢を呼びつけたのだから、王位についた時のためにと手を出せばよいものを、何をしているのか。

誰か一人を選んでしこりが残るなら、いっそ全員に手を出して、公爵家の令嬢である第一妃のメリッサ様を正室にしてしまえば丸く収まるではないか。


以前の正妃選定も、今回のアルーシャの後宮入りも、元はと言えば王子がさっさと次の婚約者や正妃を決めないから事態が悪化しているのである。

彼がさっさと正室を決めてくれれば、今の後宮が8人も側室を抱えることはなかったし、アルーシャだって手を出してこない男の元へ2年間も無駄に嫁がなくて済むのだ。


正妃選定の際、数十人の令嬢がこぞって後宮に押しかける様を聞き、腹を抱えて笑ったアルーシャだったが、己に火の粉が降りかかったとなれば笑っていられない。

笑いながら万が一の亡命先を調べたとき、そのまま国からトンズラしてしまえばよかったと思ったのは、後宮への召喚状が来た時から。もちろん今も。


王家からの召還を突っぱねるわけもなく、命令なら側室でも何でもやる覚悟があるアルーシャだが、喜んでやるかといえばそうではない。

命令だから従い、命令なら王子の子を産み、貴族としての義務と責任を果たすという、それだけの事なのだ。


見た目は妖精に例えられ、端から見れば年頃の夢見る乙女そのものなアルーシャだが、その考え方は雑草も生えないほどに乾燥している断崖絶壁のような女だった。



「セルダン=クアラスの妹である貴方なら、我々が何を求めているかお分かりでしょう?正妃にと欲をかいたことは求めません。ですがどうか、殿下には側室の方々に目を向けていただきたいのです。出来るなら、一日も早いお世継ぎをと、我々殿下家臣一同は願っているのです」



兄の……次兄の名を出すのかと、アルーシャは笑い出しそうになるのを押さえる。

騎士になった長兄に代わり父の後を継ぐ次兄の性格の破綻ぶりは、一部では有名である。

よもや王子補佐官の口から次兄の名が出ると思わなかったアルーシャは、予想していたより呼吸がしやすそうな後宮生活に、自然と笑みを浮かべた。


後宮からの召喚状が来た時から予感していたが、本当に王子の周りはなりふり構っていられない状況なのだろう。

どうにかして、王子を側室の元へ渡らせる。それはアルーシャが相手でなくても良いのだ。

セルダンの妹ならと頼んでくると言うことは、多少普通ではない手を使っても良いという事か。


苦労する側近達は可哀想だが、扱いが雑になてしまっている王子も少し可哀想である。

それはそうと、これからの後宮生活、意外と面白くなりそうだと、アルーシャは嫌らしく口の端を吊り上げた。


「承知いたしました。兄の名に恥じぬよう、側室の勤め、精一杯果たさせていただきますわ」

「……期待はしておりますが、程々にお願いします」



少し不安そうな顔で言ったロウフェイルトに、アルーシャは微笑みへと表情を変え、恭しく頭を垂れた。



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