終幕
少年王が助かったのは、慈悲深い女神の祝福であるとも、聖女の最後の奇跡であるともいわれる。
けれど実際のところは騎士の中に小型ドラゴンを連れてきていた者がいて、そのドラゴンがまた大型ドラゴン飛行船の事故救助に慣れた個体だったからという理由が大きい。
ユリウスはドラゴンに空中で捕まえられ、騎士に支えられ、地上に降り立った。
いち早くダンジョンから退避していた彼らは、王が無事で無傷であることを知ると歓声を上げた。
マーネセンやダンジョンが見える範囲の都市では、突然てっぺんが光ったダンジョンに、とうとう爆発が起きたのだと混乱が生じていた。しかしダンジョンは轟音を上げ、砂煙を吐き出しながら地下へと沈み始めていた。地鳴りと地割れは三日、続いた。やがてすべてが終わったと触れ書きが出され、人々は生まれた街や村へ戻り始めた。
最初の数か月、噂は矢のように国じゅうを駆け巡った。なにせ水晶宮殿からは、それ以上音沙汰がなかったので。
人々はさかんに額を突き合わせ、冒険者たちは食い扶持がなくなったことを嘆き、子供たちは駆けまわって即席の小唄を歌った。どこかの吟遊詩人が流してきた歌を――ダンジョンは終わり、もう終わり! ダンジョンはもうない、魔物ももういない! ダンジョンは聖女様が持ってちゃった、女神の国まで持ってっちゃった!
リリンイアに帰る道中の王は、口を開かなかった。騎士たちはその背後に従い、馬は空っぽの馬車を引いた。
――皆、王の姉の話をしなかった。
***
それからカーレリンは本当の意味で復興をはじめ、多様な種族を受け入れるこの大陸の価値観も相まって商業と技術は発展した。唸るほど在庫のある魔石の加工がマーネセンの産業となり、領主タイタスは魔法使いを数多く招聘して、人工的に魔石を作る研究を始めた。
王と交わした盟約は忠実に履行され、首都リリンイアとマーネセンとの流通は手厚く保護された。舗装された道を通り、人材と金銭のやり取りが延々と続けられ、それが国の基盤の一つとなるのに時間はかからなかった。
音と光に慣れつつあった家畜は、再び平穏にも慣れ始めた、人間たちと同じに。避難民は徐々に姿を消し、いくつかの村が消え、それ以上の規模の街があちこちに生まれた。
少年王と呼ばれたユリウス王は大人になり、王の権威と権力をひたすらに拡大させ、反対に貴族たちの独立と権利を奪い取った。幾度か反乱が起きかけたが、豊かさに支えられた国軍、そしてマーネセンを拠点とする元冒険者ギルドの精鋭を取り込んだマーネセン騎士団が、田舎領主に徴兵された兵を蹴散らした。
白髪頭にも見える銀髪のせいか、時と共に王には年齢不詳な美しさが備わった。たくさんのお姫様やお嬢様が彼に求婚されるのを心待ちにしたが、王は目もくれない。どんなに偉い大臣も神官も、王の心を変えることはできないのだった。
王の姉マイヤが聖女の生まれ変わりだとか、いやいや魔女だったんだよだとか。あるいは偉大な魔法使いであり王を助けただとか――その身と引き換えに悪しきダンジョンを封じ込め、今は地下から地上の国たるカーレリンの幸福を祈っているだとか。
人々は好き勝手に好きなことを言った。いつの間にか姿を消していた王の義理の姉にして最初の恋人、愛人、公式の場には姿を現さないつつましく謎めいた女のことは、みんな興味津々だったのである。
百年もする頃にはささやかだが取り消すのが難しい民間信仰が生まれ、神殿は一切認めなかったのに国のあちこちに小さな祠が生まれた。そこにはマイヤに似せた石像が祀られて、いつでも花を供えられている。少年王とふたり、寄り添った姿を彫られたものもある。少女たちの恋の悩みや母親たちの心配事を聞き、魔法使い志願者の合格祈願や巫女候補たちの祈りを受けている。
史実においてはマイヤは、ふいに歴史の隅っこに現れ死んだ王の義理の姉、以上でも以下でもない。彼女が乳母夫婦の娘であったことは、専門の学者なら調べることができるかもしれないが、目下のところまだそんな人は現れない。
――少年王は三十歳になる前に死んだ、ということになっている。
逸話に過ぎない話である。ユリウス王は三十歳になる前日、突然ギルベルト卿を呼び出して、
「この国をどう思う?」
「ずいぶん発展したと思う」
「だろう。俺はうまいことやったよな。じゃ、もういいだろ? さよなら!」
と言い残したというか言い捨てて、王宮を出奔したのだという。馬一頭だけを駆り立てて。あまりに早くて誰も追いつけなかったのだとか、あえてみんな見逃したのだとか。
逃げ出した王は【大森林】の奥に消えただとか、姉の姿を追い求めて世界中を旅しているとか、ダンジョンがあった場所の近く、あるいはラグノシアスラム跡に今も居を構えて住んでいるとか、尾鰭のついた伝承をたくさん残した。
公式記録にはひとつも残らない、すべて口から口に伝えられる話である。
確かなのは彼がもういないこと。そして晩年に彼が養子に取り、すべてお膳立てしていった次の王が、再び少年ような人だったこと。
クレトゥルヴォ・リア・ハーゼガイン・キャヴェロ。ラシュカー家とクース家の争いに終止符を打ったローゼン家の末裔が、新しい王として即位した。その右手には【王の指輪】があり、【王冠】はフェサレア王のそれが使われた。
彼は若く、みずみずしく、そして強かった。何せ、先王が遺した軍のすべてが彼にはあったから。すでにかつて同盟国さえ滅亡と再興を繰り返す仲、何度も国境を侵犯してくる敵国と戦い、国を守った。
いつかの誰かの再来のような即位の姿に、人々は自然と彼をそう呼ぶようになった。
――少年王。
銀髪の方は忘れ去られても、クレトゥルヴォ王の方は誰も忘れやしない。だって彼こそがカーレリンを守り切った雄々しき王。誰もが敬意と共に胸の中に仰ぎ見る英雄なのだから。
そしてクレトゥルヴォの隣に立つ、豪奢な金の巻き毛の娘。ピンク色の瞳は赤と白の月の夜のよう。魔を払うほどの美貌。麗しき王妃ルシェルは夫と同じく伝説に残る女傑である。魔石を用いた魔法が得意だったため、彼女は後世、こう呼ばれることになる。
――魔石の乙女。
カーレリンの最盛期はこうして始まる、少年王と魔石の乙女の膝元で。
王権を強め、その爛熟の立役者となった古い時代の王のことは、あまり民の記憶に残らなかった。治世の短さや逸話の少なさ、何より姉以外に心開かなかったとされる、気難しい性格が災いしたのかもしれない。
彗星のような王と、その最愛だった。
【完】




