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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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ダンジョンの封印

「ユリウス、これ」

「うん?」

と、それを渡したのは早朝のこと。


ハンカチに包まれた、父母の身体の一部である。


ユリウスはそれを受け取り、しばらく見つめて動かない。


「あなたが持っていて。私は――もう、持っていられないから」

「マイヤ」

「ダンジョンに行くわ。もう決めたの。これ以上、カーレリンが弱っていくのを見ていられない。人が死ぬのを聞きたくないわ」

「マイヤ……」

「私の責任は、あなたの責任だわ。違う? 私の罪をあなたが背負ってしまう。それが耐えられないの」

「違う。俺の……ああ、言うのも、今更か」


ユリウスは自嘲気味に笑う。丸くなったユリウスの背中をマイヤは撫でる。彼に止めることは、もはやできない。最後の最後の時間を使い切ってしまったことを、そうとは意識せず終わらせてしまったことを、わかっていた。次の爆発は、魔法使いでも騎士団でも防ぎきれないだろう。


「あなたは【王の指輪】を持っていて。そのくらいは大丈夫。それはマリアンネ様の一部だから、私の一部なようなものよ。ねえ、それなら寂しくないでしょ?」


寂しい、悲しいという話ではなかった。ユリウスにとってマイヤは自分の一部だった。身体の一部分だけもぎ離されて、平静でいられるはずはない。


けれど【王冠】がダンジョンを封印すれば、少なくともカーレリンを悩ませるもっとも大きな問題は解決されるのだった。避難民、孤児、流通と経済の滞り、租税の圧迫、貴族たちの不満。

人々の王への不信感……これほどダンジョンが暴れ回るのは、王が影で悪いことをしているからじゃないのか。


「マイヤ、俺、俺は……お前が大事だ」

「知ってる」

「お前がいないと生きていけないが、たぶんそう言いながら生きてしまうんだと思う、俺はそういう人間だから」

「ええ。知ってるわ」

マイヤは胸を張る。

「あなたがもっとどうしようもなかった頃からの付き合いですからね、私たち」


ユリウスはかすかに笑った。荒れた手で、優しい手つきでマイヤの髪を撫でた。彼女の幸福そうな様子は、心の一番奥まったところをぐちゃぐちゃにした。


「行かないでほしい。傍にいてほしい。でも――こういわなきゃいけない。行ってくれ、マイヤ。俺を許してくれ」

「ええ。許すわ」


抱き着いてくる身体をユリウスは受け止める。細くて冷たくて骨が出ていて、けれど肉の部分はこれ以上ないほど柔らかく、首筋に鼻先をつけると頭がふわふわした。馴染みきった匂いの心地よさ。


そうして王は少数の騎士を率いて秘密裏にリリンイアを出発する。ひそかに計画され、実行されたダンジョン行きだった。


マイヤは久しぶりに乗る馬車と車窓からの景色を眺めるのに夢中になった。国は荒れていた。少なくともマイヤの目にはそう見えた。すぐそこに迫る冬の気配、備蓄の心配のためか人々の顔に生気がない。誰もが怯えを隠すことに疲れ切っていた。自分の責任の重さ、それが誰にも知られていないこと。卑怯者……。


(悲嘆に酔う資格はない)


ことを、マイヤは思い知る。四年前には見なかった道中の物乞い親子。手入れのされていない牧草地。片付けられないままの枯れ木。疲弊した、収穫の少ない畑の様子。


先頭を行くユリウスは顔を兜で隠し、言葉は少ない。


マーネセンのタイタスは王の一行を歓迎した。


マイヤがせかしたので、ユリウスは明日、たった数名の騎士とマイヤだけを連れてダンジョンに昇ることにした。強制的なダンジョン封鎖が宣言され、冒険者たちは文句を言いあう。ちぇ、またかよ、どれだけ調べたって爆発はなくなりゃしねえよ。ご領主様もすっかり実入りと出費があわなくなってサ。かわいそ。原因不明なんだってね、まだ不明のままかい。……酒場で管を巻いて、宿屋に引きこもったり娼館に入り浸ったり。


そのさまが目に見えるかのようだった。ユリウスはマーネセン城の暖かい部屋の窓に寄りかかる。マイヤは寝台の上でそんなユリウスを目に焼き付けている。


その日、いつも通りユリウスはマイヤを抱えて眠りに落ち、また朝にはいつも通り目覚めた。

この体温を腕にするのも今日が最後かと思い、ふと息が止まる。心は、乱れるようで凪いでいる。俺はマイヤを助けようとして、そこから全部がはじまったのに、マイヤを手放してもまだ続くのか。


「変なことを考えないで。前を向いて。王様らしくして。ねえユリウス……」


マイヤは笑う。ユリウスは応える。


「何?」

「好きよ」

「俺も好きだよ」


そうやって笑いあって、キスをして終わり。


ダンジョンへ上ると、あの魔法式が拍子抜けするほどあっさりと見つかった。ごく下段の階層の、螺旋階段の一段目の手摺り。ユリウスは祈りを込めてそこに血を垂らす。


魔法の発動と同時にマイヤを引き寄せた。戦えない彼女を守るため散会していた騎士たちが戻ってきては、口々に、


「陛下。それでは打ち合わせ通りに……」

「陛下、お戻りくださるんですよね!?」

「王姉殿下、どうぞお達者で……」

「王陛下ぁ! ご油断なさいますな!」

と、最後と知っているのか言葉をかけてくれるのだった。


ユリウスはもちろん、マイヤが【王冠】であることも、彼女が封印となればダンジョンの危機が去ることも誰にも伝えていない。だが民のうちには王に反目する勢力以上に、王とその姉の道ならぬ恋を神聖視する向きがあり、そのうちそこから根も葉もない噂が生まれていたのだった――王の姉君は昔の聖女様の生まれ変わりで、だから王との関係はいにしえの伝説の再来なんだ……。


聖女様はこの国を、世界を救ってくれた人なんだ。だから今回も、きっと。


まさか教養を身に着けた騎士たちが、そんな流言飛語を本気で信じているはずもなかった。だがユリウスとしては彼らの熱気にそれ以外の理由を見つけられない。


魔法の渦に包まれる独特の浮遊感、マイヤはユリウスの肩に手をかけ掴まりながらフフッと笑う。


「とても愉快な人たち。気持ちのいい人たちね」


こんな状況でも笑える、笑おうとする姉は何も変わっていなかった。ユリウスには不可解で、不憫でとびきり綺麗だ。マイヤがそんな女だから、彼はここに至るまでその姿を追いかけ、手放せずにきてしまったのだろう。


少年の頃、最上階はどんなにか遠いかと思っていた。魔法で運ばれてきた今となっては、こんなものかと拍子抜けするほど近かった。【王冠】の気配をダンジョンは察知して、あやまたずふたりは最上階につく。


そこはごく狭い空間で、水晶宮殿ほどに壮麗でもない。一面が大理石でできた、四角いありきたりな部屋だった。真ん中に傷跡がある。ちょうど剣の幅くらいの……あれが聖剣が刺さっていたという穴だろう。


「始祖イシュリア! 魔法使いアルダリオン! おられますか!」


とユリウスは叫んだが、声は大理石に吸い込まれて消えた。彼らの仕事はあくまで助言。ここにきて出番があるわけではないのだった。


「やり方、わかるか?」


とユリウスはマイヤに聞く。こんな言い方も変な気がして、けれどそれ以外を見つけられない。

ダンジョンの静謐さは早朝のようだ。青い月の夜のようだ。


「わかる、と思うわ」


マイヤは前に出る。彼女はユリウスが贈ったドレス姿だった。若草色の、青い帯を締めるすっきりしたシルエットに見覚えがある。以前、彼がその立ち姿をたくさん褒めたから……そんなことにこの土壇場でユリウスは気づき、ああしまったと、昨日のうちにたくさん褒めておくんだったとささいな後悔をする。


――何もかもがもう遅かった。


マイヤはちょうど聖剣のあったひび割れの上に立った。足をきちんと揃えてまっすぐに。

肩越しにちらりと、ユリウスを見た。黒い目が不安に潤んで揺れた。


それはすぐに始まった。ゆらゆらと光の粒子が泡のように立ち上り、マイヤの、ユリウスの髪を揺らす。やがて光はまばゆく、最上階の中を満たして、マイヤは足元から粒子になった。


「あ……っ」


とユリウスは声を上げ、マイヤは恐怖に顔を歪ませる。


マイヤが崩壊していく――。光の粒になって、ダンジョンに溶けて、そして封印となる。永遠に土の下だ、次にカーレリンが滅ぶまで。


「あ……あぁあ……っ、逃げ、逃げて、ユリウス。もういいから――もういいっ! もういいからぁ!」


マイヤは藻掻き、けれどもう足はそこから離れないのだった。【王冠】の遺志というのがそれなのだろうか? そうに決まっている。


――俺のマイヤが自ら望んでこんな無惨な最期を遂げなければならなかったなんてこと、あってたまるか。


「マイヤ! マイヤ! マイヤ!」


ユリウスは叫び、光もなにも恐れず彼女の元へ。抱きしめたマイヤは震えていた。彼の中の魔法と、左手の【王の指輪】、そして【王冠】は確かに共鳴した。


「ダメっ! 一緒に溶けちゃう――溶けちゃう、ユリウス、離れて!! 逃げて!!」

「いやだ、マイヤが死ぬなら俺も一緒だ!! マイヤ――俺の、マイヤ!!」


光が飽和的に部屋に溢れ、もう目を開けていることができなかった。きゃ……あぁ! とマイヤの悲鳴は言葉にならない。


「怖……いよぅ……ッ」


細い腕がユリウスの背中を探し出し、縋りついた。抱いた腰はもう半分以上、手ごたえがない。


「いやああああっ、怖い! 怖い! いやなの! やだああああ……っ」

「マイヤ、一緒にいるから。ずっとここにいるから! 俺が、ここにいるから!」

「ユリウス、ユリウス!! 怖い!! やめてっ、いやああああああっ!!」


そうして悲鳴が消えた。背中を掴んでいた手が消え、顔に感じた息が消えた。黒髪のさらさらした指通りのよい感触も、光の粒子も奔流も、何もかもが消えた。


ユリウスは空中に投げ出された。あたりは一面の雲と、空だけがある。風の音が落雷より大きく聞こえ、きんと身体が冷えていく。心が冷え切るのとどっちが先だろう。


目に涙が溢れ、上空に吸い込まれると同時に凍結して氷の粒となった。これは生理的な反応なのか、それとも。


彼は悲鳴もあげずに下に落ちていった。



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