終わりのはじまり
一年が過ぎる間に、ダンジョンの爆発の危機は五度、発生した。季節の数より多い。そのたびにユリウスは駆けずり回り、対応に追われた。
コトヴァ老は秋のはじめ、寒くなり始めた頃に死んだ。予測された暴動は起きなかった。
ギルベルトは混血の軍人マティルデ・リアナ・シェンブルクロー女侯爵と結婚した。
ダンジョンの爆発のたび、あらゆる魔法使いが投入されダンジョンを宥める作業が行われた。それでも間に合わないときは、溢れる魔物を押し込める作戦が決行された。そのさなかにおいて熟練の人材が数多く失われ、いくつかの魔法式が途絶えた。
夏に起きた災害では、騎士団が抑えきれなかった魔物の波が避難民を襲撃し、数えきれない被害が出た。
今、暖炉にはふんだんに薪が燃えている。窓には結露がついている。双子の人狼、リカことリカルドとルルことルーシィに手伝ってもらいながら、マイヤは今年の冬の救援馬車の手配をしていた。地方から徐々に貧困が蔓延しつつあり、その手助けが必要だった。
「王姉殿下、リストのご確認をお願い致します」
「ええ、ありがとう」
と、これにサインをすれば終了である。羽根ペンを動かしながら、
「陛下は今日もお帰りにならない?」
「ええ。ダンジョンの様子見をなさってからご帰還とのことです」
「……そう」
リリンイアから遷都する、という話が出ていた。ここはマーネセンに近すぎるから。マイヤにまで相談にくる貴族もいるほど、それは現実味を帯びた可能性らしかった。
王宮から神官たちの姿が徐々に消えはじめた。それがユリウスの功績だということをマイヤはわかっている、ちゃんと。政治は前より格段にやりやすくなった。けれど、ダンジョンの爆発のせいで予算が取られ、見返りのない復興支援に窮迫する現状を、誰がどうしようというのか。
もっと、と思ってしまうのだ――もっと早くに私を使ってくれていたら。ダンジョンに連れて行ってくれるだけでいいの、そうしたらきっと自動的に最上階に上がることができて、そして、そして。
――私は【王冠】の役目を果たせるのに。
それほどまでに惜しんでくれているのが気が狂うほど嬉しく、悲しかった。
「他に、ご用は」
とルーシィがかしこまる。双子はもうすっかり大人になっていた。かつてきゃらきゃらとまといついてきてくれたのが嘘のようだ。
「もう大丈夫。ひとりにしてちょうだい」
「はい」
「はい」
そうして部屋に静寂が訪れると、マイヤはうんっと伸びをする。のどかだった、静かすぎるほどに。城下においてゆるゆると治安が悪化し、警邏兵の出番が多くなっていることなど、新聞を読まなければわからないほどだ。
何度か身体に妊娠の兆候があり、それは結局は役目を果たせていないことによる心因性の変化に過ぎなかったのだが、そのたびにマイヤは焦り嘆き慌てた。決してそんなことがあってはならなかった。――もう、疲れていた。このまま待つのに。
マイヤはユリウスのことを思えば部屋から出ることができず、ユリウスはマイヤを失いたくないがために対処療法のように王の役目を果たしている。
……民が死ぬ。死んでいく。見殺しにしている、のに。
どうして、とマイヤは王を詰った。そんなことしないで。私のユリウスはそんなことをする子じゃない。
彼は歯を食いしばり、何も言わなかった。感情に翻弄されたマイヤが手を上げても、一切反撃なんてしやしないのだった。
いびつだった。おかしかった。王の資格も、王の姉を気取る権利もありはしなかった。もしすべてを知る人がここにいたら、首を撥ねられても文句は言えないだけのことを、している。王が真にすべき役目を放棄しており、けれど民はその王を信じてついてきてくれるのだ。
ただ愛だけは確かにふたりの間にあって、それをどうすればいいのか扱いあぐねている。
このままではいけないと、動けないまま。
犠牲になった民のことを思えば、マイヤは舌を嚙み切りたいほど苦しい。それは嘘ではない。嘘ではないのに、ユリウスが部屋を訪れてくれるたび頬が上気して、両手は自然と彼を抱きとめるため広がり、足の間がしっとりするのだった。
(――【王冠】の役目を果たし終えたら行く先は、地獄かしら……)
とさえ考える。愛に溺れる自分を叩き殺してやりたくて、そんな考えだから窓から逃げてダンジョンに赴くこともできないでいる。
コンコン、と扉が叩かれて彼女は物思いから覚める。
「はあい?」
「お客様でございます」
仕方ない、仕事だ。マイヤは笑みを浮かべて入室を許可した。
そうして入ってきたのは懐かしい人たちだった。
「アマルベルガ! クレト!」
「ハァイ。お元気?」
「お久しぶりです、マイヤ様!」
アマルベルガは相変わらず溌剌として美しかったが、クレトの変わりようは見事だった。最後に見たときはまだ幼児さながらだったのに、今となっては立派な少年である。
立ち上がったマイヤにクレトは寄ってきかけて、ふいに思い直し、
「クレトゥルヴォ・リア・ハーゼガイン・キャヴェロ。ローゼン家の血の流れを汲む者が、王姉殿下にご挨拶致します」
としゃっちょこばった挨拶をくれた。正式な、腕を前に出して足をひいたそれである。
ぴょこんと顔を上げると、得意満面な顔をしている。
「まあまあ、ありがとうございます。立派になったわねえ!」
マイヤは笑ってその顔をもみくちゃにしてやった。クレトはきゃああ、と笑いながら悲鳴を上げた。
それからちょっとした茶会を開き、それは束の間の休息となった。
クレトはよく喋り、飲んで食べた。マイヤとしてはひそかに安心した、ずっと彼の食が細いのを気にしていたから。養い親たちが彼をきちんと育ててくれていることに、彼女は心から安堵した。
さて、一通りの話題が尽きるとクレトはそわそわし始める。マイヤは笑って、
「いいのよ。友達に会いたいんでしょ。お土産も渡さなきゃね」
と、彼がずっとそばに置いていた包みを示す。どこかの服飾店のものらしい包装紙に包まれて、中身はいったい何だろう。
「いい? えへへ。ごめんね。途中なのに」
「ううん。いいのよ、いってらっしゃいな」
「夕暮れまでには帰ってくるのよ。わたくし、あなたをおうちまで送り届けなくてはならないのだから」
そうしてクレトは意気揚々と出ていった。ここにいた間に仲良くなった使用人の子供たちに会って、ひとときともに過ごすのだ。
マイヤがその後ろ姿を見送るとき、アマルベルガは同じようなまなざしで彼女の横顔を眺めていたのだが、マイヤ本人はそれに気づかない。慈しまれる側とはそういうものである。
「――あの子の探してる子は、たぶんもういないわねェ」
とアマルベルガのよく言えば神秘的な、悪く言えば意地悪な物言いは変わっていない。
「なあに、それ」
「あの子、ルシェルたちと遊んでたのよ。他の子たちと郭に沿って追いかけっこするうちに、魔法塔に入り込んでね」
マイヤは何度か瞬きをした。ルシェルたちネテロスの残党は、まだ見つかっていない。
「そう……そうだったの」
「ええ。フェサレアの空中王宮の跡地の解体は? 進んでる?」
「いいえ。ダンジョンに手を回さなければいけなくて、ほとんど休止状態だというわ」
「わたくしの知っている限りでは、ラグノシアの王宮跡地にスラムができるの。そしてそこから新しい王国をつくる世代が、生まれてくるのよ。生まれながらの自然の力を持った魔法使いたちが」
アマルベルガはいたずらっぽく微笑んだ。
「潰すなら今よ」
「いいえ、そんなことしないわ。させないわ」
マイヤは束の間、目を閉じる。その街がそこだけの秩序を持ち、規則正しく続いていくことを願い、夢見る。
目を開けるとアマルベルガはカップの金の模様を指先で追っていた。静かだった。迫りくる冬の風が窓をがたがた言わせ、暖炉で火花がぱちりと跳ねる。
「あなたは物語の結末を変えようとして、こっちの大陸にきたの?」
「いいえ。わたくしは会いたかった人に会いに来ただけ。とても助けてくれた人の家族にね」
「会えた?」
「ええ、会えたわ。彼の死にざまも伝えられた。今はとても――気持ちが清々しくてよ」
アマルベルガは晴れやかな笑みを見せる。灰色に近い曇り空色の目が、きらきら炎を反射する。今日のドレスは軍服じみた青の布地のがっしりしたツーピースドレスで、彼女の凛々しさにとてもよく似合っている。
「あなたは? どうするの?」
声はあくまで優しかった。すべてをわかっている人の声とは、こんなにもまろい。まるで女神に懺悔するとき聞こえる空耳のように。
「わたくしは逃げても責めないわ」
決して追い込む風ではなかったが、言外に責任を分かち合おうとしてくれているのがわかった――わたくしのせいにしても、よくってよ。
マイヤはそれで、やっと背中を押してもらえたような、両足で立てたような気がしたのだった。
アマルベルガとクレトは仲良く手を繋いで去った。目いっぱい手を振って、跳ねるように帰っていくクレトの、楽しかったと笑う声、顔をマイヤは覚えておこうと思う。
出来過ぎなほど素晴らしい、今生の別れだった。




