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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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夢のはざま2


イシュリアの青い目が瞼の裏にちらついた。アルダリオンの金の無感動な目とは違う、しかし暖かいというわけでもない。なんらかの温度はあるが、それは決して愛情ではない。


「――ユリウス、ユリウスってば!」


慌てたマイヤの声で彼は目覚め、ああ、もうダンジョンまでマイヤを連れていく算段をする必要もないのだ、と気づく。向こうから会いに来てくれたのだから。


時間は、確かにギルベルトと話した翌日だ。とっぷりと暮れた夜が深い。

夢、はとんでもない悪夢だった。寝台はもみくちゃだ。


マイヤは息を乱し、目は血走っていた。突然、就寝中の弟が錯乱しはじめたらそうもなる。


「ごめん……」

「ううん。怖い夢だったの? かわいそうに。最近、忙しすぎたものね」


と言われ、抱き寄せられる。ユリウスの伸びた銀髪を細い指が梳いた。もう肩につくくらいになっている髪を、侍女たちはさらに伸ばせという。ギルベルト卿くらいになさいませ、高貴な方というのは長い髪をお持ち。そういうものでございます。


マイヤは最近、痩せた。心労もあるのだと思う。笑うことも少なくなって、彼女の心情はもうユリウスにはうかがい知れない。前は違った、ちっぽけな姉だと決めつけていた頃は、彼女の思うことなんてすぐ理解できると思っていた。


ユリウスはマイヤの手を取った。黒い目を覗き込んだ。何一つ、嫌がられやしないのを知っていた。


「マイヤ、逃げよう」


きゅ、と黒い瞳孔が小さくなって、やがてゆるゆる元の大きさに戻っていく。黒髪がさらさら寝台に広がり、よく手入れされているのだろう香油の香りと、マイヤ自身の匂いがあわさって頭がくらくらする。夢の中でも現実でも感じていた、頭痛が追いやられていく。


彼女は目を細めて笑った。

「うん。いいよ」

「一緒に行こう」

「ええ」

それで、そういうことになった。


世にも愚かな逃亡劇はすぐに始まり、すぐに終わった。王宮を出ることさえかなわなかった。夜半のことだった。青と赤の月が煌々と夜を照らし、まだはるか遠くに、しらじらと夜明けの気配がする。


近衛兵や侍従たちの目をかいくぐり、奥宮を抜けることができた。そこから大門を避けて通用門へ進んだところまではよかった。運が味方していた。馬を仕立てることさえできなかったが、歩いて行けると思った。


楽しくて、高揚して、声を抑えて笑いあった。見つかりたくてわざと音を立てたのか。そうかもしれない。……まともな精神状態ではなかった。


手に手を取って王宮の裏、通用門と高い塀が見える場所へのこのこ出てきて、そこで捕まった。王宮内ではなく、外を警戒する役職の衛兵は手つきが乱暴で、さすがにマイヤを殴りはしなかったがユリウスを押し倒した。


「ユリウス!」


慌てたカン高い声でマイヤが叫び、王をふんじばろうとしていた男は慌てて手を止める。マイヤの刺繍の入った二重布の室内服で貴人だろうとは予測していたらしかったが、まさか王族とは思わなかったのだろう。


結局、彼らの手を借りてユリウスは立ち上がり、頭が冷めた。マイヤの目がちょっぴり残念そうな、悪童の真似ができて楽しんだあとの大人の色をしていたから、というのもあったのかもしれない。


「ああー、と。すまない。余興が過ぎた」


と、【王の指輪】を見せた。これを外しもせずにここまできたこと自体、すっかり頭がいかれていたことの証明だった。


それであれよあれよと奥宮へ連れ戻され、連れてこられたのは見たことのない部屋だった。室内装飾は豪華だが、ひどく痛んでいる。まるで一度火に炙られたかでもしたようだ。


やってきたのはコトヴァだった。彼が来ることで、事態は驚くほど急速に収束した。


老人は最近、リリンイアの自邸へ帰ることもせず王宮に詰めていた。古い友人たちとの歓談でさえ、王宮の中で行った。まるで自分の権利を周囲に見せつけるように。それを知っていて放置していたユリウスの選択が、悪い方向に結果をなしたのだった。衛兵含め、軍人たちは皆、コトヴァ老の味方である。


「陛下は姉君と星を見に行かれ、その最中に迷われたのですな。父王陛下も一度、なされたことのある失敗です」


「……ああ、そのようだ。衛兵たちには迷惑をかけた。くれぐれも処罰などしないように」

王と老将軍は頷きあった。それでしまいだった。


いつの間にか使用人がすべて下がり、ふと気づくとユリウスのそばには彼の手を握って黙るマイヤがただ一人寄り添うばかり。


いつかのようだった。ごく最初の、初対面頃の。まだユリウスが少年で、マイヤとの身長差もそこまでではなかった。今は、姉のつむじが見下ろせる。彼は彼女の腰を抱いて、その身体を自分に引き寄せた。


老人の無言が、彼が決着をつけにきたということを少年王に伝えた。立ち上がったまま三人、対峙する。口火を切ったのはコトヴァである。マイヤを顎で指して、

「この魔女は手放しなさい。あなたのためによくない者だ」


ユリウスはゆっくり首を横に振った。


「それはできない。私――俺はこいつのために生きているから」

「ユリウス、」

「そうするって決めたから。ずいぶん前に……」


疲れて項垂れたい気分だったが、闘志はあった。老人は若いそれを一刀両断する。


「いつまで夢を見ておられるのですか。そろそろまともになられるべきだ。あなたはカーレリンの民と国の行先に責任があるのですぞ」


「うん。父上はそれに押し潰されて死んだけどね」


マイヤの手に力が籠るのを、彼は無視する。コトヴァの顔が一瞬だけ歪んだ。お前に何がわかるのだ、というように。


「なあ、コトヴァ老。あなたは俺のためによくやってくれた。本当によくやってくれたよ。貴族領主を説得し、兵を集め、神殿を抑え……心から感謝している。俺はそれなりに仕事をやったと思う。フェサレアを倒し、国内を収め、爆発の危機にあったダンジョンも鎮めた。あらゆる貴族の陳情を、その裏にある数多の民の声を聞こうと努めてきたつもりだ。それでもまだ足りないか?」


ユリウスの青い目が徐々に白く濁っていく。ああ、とマイヤは思った。これは色が、血が退いていっているのじゃなくて、もやがかかっているのだ。どうして今まで気づかなかったんだろう。


「俺があなたの理想に達しないのは分かっている。何をしても、どこまで行っても。だがあなたの理想とはいったいなんだ?」


ふう、とユリウスは息をついた。ダンジョンへ向かって飛び出すまで、父アルフォンソに反抗らしい反抗の一つもしなかった少年だった。――本当の子供ではないことをよく知っていたから。母がソフィヤの話をするたびに。


「昔のカーレリンはもうないんだ、コトヴァ。今あるのは俺のカーレリンだよ」

「まるで子供の癇癪ですな。話にならない」


と、量が減りはじめた顎髭をしごきながらコトヴァ老は言う。しごく当然のことである。子供の感情を頭から押さえつけ、社会の規範に沿わせるのが親のような立場の人間の役目である。


「……マーネセンの治療院で、マイヤを襲わせたのはあなたか?」

「さよう」


平然と、コトヴァは認めた。侍従にインクの継ぎ足しを要求して、銘柄を確認されたときのように。


「それはいてはならないものですから」


マイヤの身体がぴくりと震えた。ユリウスは無意識に、半歩前へ出た。


「それがいなくなれば、中にある【王冠】は再び魔石の魔道具の形をとり、出現するのです。もう一度即位式をやり直すことだってできるのですよ、陛下。今度は冠と指輪が揃った完璧な形式で行えるのです」


「そこまで知って……」


ユリウスは短く喘鳴した。しばらく目を閉じ、


「いや、そうだよな。――人狼は、そういうことを知った上で人に仕える種族だと、俺は知った」


コトヴァ老の眉がピクリと動いた。老齢のため量が減った顎髭が震えたように見えたのは、かげろうが起こした錯覚だろうか。


マイヤを命ない者のように言う目の前の老人が、あの老将軍と同じ人間とは思えなかった。いつもユリウスを助けてくれ、助言をくれ、信頼していたあの人とは。

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