夢のはざま
「【王冠】と【王の指輪】がある限りカーレリンは滅びない、なんて言われたら、じゃあこの二つをとことん隠し通してやろうと思うのが人間だよね。俺はそこのところを見誤っていたみたいだ」
始祖イシュリアの笑みは変わらず柔和で、土色の髪はふわふわと宙に浮き、青い目は燦然ときらめく。
「人の心の汚いところなんて、マリアンネが死んだときにさんざん見たのにね」
どうやらあの魔法式は、ダンジョンじゅうのいたるところに刻まれているものらしい。柱や梁とはよく言ったものだった。
ギルベルトと話し合った翌日。ユリウスは再び、始祖のところまでやってきた。
「始祖を便利な辞書のように扱うんだもの。きみは図太い王だねえ」
と、始祖イシュリアは笑う。
リリンイアからマーネセンへ行くまでに、そして魔法使いたちの魔法地図を使い、常人の目には見えない抜け道を通ってくるまでに強行した、ワガママや無理強いを思えば始祖のおっしゃる通りとしか言えない。
「それで、もうからくりはわかったのかい?」
尋ねられ、ユリウスは頷いた。イシュリアの目は角度によって星がちりばめられたように輝く点があり、どうやら人間の目は、それを延々と追ってしまうようにできている。
「俺の【王冠】はマイヤだ。最初からそこにあったんだ、王の証は」
うん、始祖は頷く。ハインリヒ六世はきっとこんな顔で臣下たちの張り合いを眺めていたのだろう。
「だが、どうしてそうなったかはわからない。俺は魔法なんてものは使えないんだ。どうしてマイヤが? それがわからない」
「種明かしをしてあげようか」
古い時代の男が右手で天を指さすと、星が落ちてくるようにぱあっとあたりが明るくなった。
「うわっ」
ユリウスはそこに投げ出される、流星群のただ中に。
やがて地面ができて着地した。そこにはアスファルトの道路があって、彼は道端に立っている。自動車が忙しなく行き来していた。国道沿いのアパートは密集した住宅街の最果て、ヘッドライト。テールランプ。白と赤の光の濁流。空の月は弱弱しい光で、分厚い雲に隠され光は届かない。星はその姿さえ見せてくれない。空より地面の方が明るい、あべこべの世界。
(そうだ、俺はそうしてマイヤを見つけて……)
何もわからないなりに手を伸ばした、それが間違いだったとは思わない。
転落防止柵の隙間は広く、痩せた子供ならすり抜けられた。
(あ、)
彼は目を見開いた。
室外機にもたれてマイヤは死んでいた。
首付近にドス黒い大きな痣があり、鎖骨が折れていた。防御したときに一緒に折られたのだろう、左腕が逆方向に折れ曲がり骨が突き出ていた。頭蓋骨の一部が陥没し、灰色の脳が見えた。
目は開いたまま。口は半開き。鼻血が下の歯の隙間に溜まっている。ポタ、ポタと血は顎から滴っていたが、それ以外の傷口から血は垂れていない。先に、もうすっかり出尽くしてしまった。
アパートの部屋からは言い争う男女の声が聞こえたが、そんなものはどうでもいい。
ユリウスの引き結んだ口から空気が漏れ、その端から女みたいな金切り声が出た。それを恥とも思わなかった。アパートに向かって駆けだそうとしたが、足は根が生えたように動かない。
「これが、真実」
ユリウスの肩に大きな温かい男の手が乗った、知らない声が囁いた、低い男の声だ――始祖が話しかけてきた? いや違う。この声を俺は知っている。なぜ?
「オウル家の末子ならば、記憶は常に保持しているはずだ。神官たちの記録名簿に名前が載っているのは、ダンジョンを封印するための重石。人間ではない。人間ではないものたちは世界を保つため贄だ。お前は人間ではなかった」
見上げた先に、金の目。男の手は重たく硬かった。ひきずるほど長い亜麻布を身体に巻き付け、ブローチで止めたひどく古風な服装をしている。うねる黒髪は同じくひきずるほど長い。
人間にしか見えない外見で、人間ではないものだ――と、ユリウスは悟った。おそらく人間に存在する直感の内、最も生存のためになる部分が悲鳴を上げる。
「アルダリオン……」
心臓がばくばくと暴走し、嫌な冷や汗が身体じゅうを濡らす。天敵に、会ったのだと思った。人間存在すべての敵に。ユリウスは反射的に剣を手に取ろうと腰に手をやったが、この大魔法使い相手にまさかそれが通用するはずもない。手は剣の柄に届く前に意思に反して止まった。
取り立てて美貌ではないが左右対称の、人間の動きを止めることのできる金の目の、神の特徴を持つアルダリオンはユリウスをしげしげと観察する。人間離れした表情だった。
「神官どもはイシュリアの手足のようなものだった。いつの間にか統制を離れ、好き勝手なことをし始めた。人間とはそういうものなのだ。お前とて、ただの魔力を透過する魔法式の入れ物にすぎん」
「なにを、言う!! 俺は……俺は人間だ! 急に出てきて、何を!」
――どの口でそれを言う、と言いたかった。助けてくれなかったくせに。俺のこともマイヤのことも、ひとつも助けてなんかくれやしなかったのに。
「イシュリアは昔から人間に甘い。こうなることはわかっていたのに」
彼がするすると裾を引きながら歩くたび、黒髪がふわふわ揺れる。マイヤのとは色が同じだけ、似ても似つかない質と量。
「お前には生まれたときからの記憶があるはずだった。――人狼がそう言ったはずだろう」
思い当たるふしは、あった。
「コトヴァ老のことか?」
とユリウスはせめてもの抵抗とばかりにアルダリオンを睨みつけたが、大魔法使いにとってそんなものは痛くも痒くもない。
彼は鼻でユリウスを笑った。嘲笑の手前で固定された笑顔は驚くほどに人間に、貴族に似ていた。
「人狼は高貴たれと望まれた血族につく監視役。ゆえに人狼はその血族の本質を見抜き、だが己自身は決して君主にはなれん」
アルダリオンはため息をつく。へたくそな俳優の芝居のように、それは百年ぶりに息をしたかのようだった。
「生まれる前、儀式によって【王冠】との縁を結べばそれは【王冠】の担い手となる。当然に記憶も保たれる。魔石の特徴は“保つこと”。魔力に満ちて魔法使いに力を貸す。オウル家はイシュリアの言葉を忘れ、【王冠】と【王の指輪】を決して紛失しないよう、王子か王女の身体を通じて三者を結び付けた」
「だから俺は人間じゃないって? そんなことがあってたまるか」
とユリウスは低く吠えたが、大魔法使いアルダリオンは首を傾げるばかりである。わざとらしくあとから手を口元に添えたりして、それは人形が人の真似ごとをするような無機質さがあった。
神のようにも人のようにも、亜人のようにも魔物のようにも見える。伝承の中のアルダリオンは、ひどく陽気で有能な魔法使いだった。敵に回せば手ごわく、味方にすればこの上もなくたのもしいような。
「まさかこうなるとはな。二百年前、無理やりにでもマリアンネを止めていれば。あの女は自らダンジョンの封印になった。最初から無茶苦茶なやりようだったが――それが心からのあれの望みでもあった」
「は……?」
頭の中がじくじくと痛んだ。みぞおちから肝臓まで貫くほどの痛みにユリウスは思わず体勢を崩す。それでも目はアルダリオンを見据えるのをやめない。
いつの間にか周囲の流星群は止み、ただ水の中を漂うように白い世界が広がる、ダンジョンの五十階のように。
「無理やり縁を切ればそうなる。人間にはまだ早かったか」
アルダリオンはが動くたび、純金のブローチのような目がキラキラ光る。彼はこれまで、一度もまばたきをしていない。
「なんの価値もない地球の娘の命を救い、カーレリン王国を、マリアンネの決意をその天秤に乗せ……どこまでも愚かなことを。だが【王冠】はお前に応えた。当然だ。マリアンネは情の篤い女だった。子孫の願いを無碍になどせぬ。魔石は応えて、マイヤに乗り移った。――今、生きているのは【王冠】のおかげだとさえ知らぬ小娘が」
「うそだ……」
「では一度死んだ人間が生き返ったのをどう説明する? お前たちはまるで、親の財貨をしゃぶり尽くす出来損ないの子らのよう」
アルダリオンの姿がふいにぼやけた。ユリウスは足元がおぼつかなく、頭痛はいよいよ耐えがたい。けれども彼は手を伸ばした。そこに答えがあるのだから。
「最初から生きてなどいない女を愛しても、それは注いだものが返ってきただけ。マリアンネの遺志が反響しただけ。こだまを愛した妖精のように、己の姿に見惚れ溺れた神のように、愚かな男だ、お前は」
「嘘をつくな!!」
叫ぶユリウスをアルダリオンは意に介していない。ユリウスの王という肩書、豪奢な衣装、【王の指輪】、それらすべてはアルダリオンにとって無価値である。すべての虚飾を取り払ったユリウスには、大魔法使いに対峙されるだけの価値がない。
「なすべきことをなせ、人間。何故できない? 元は農夫の娘にすぎないマリアンネにできたことが。ダンジョンには封印を。カーレリンには存続を。民は国の、国は世界の一部だから。世界を保持し、つとめを果たせ」
頭が痛い。割れるようだ。脈に合わせて脳天から二つに割れる。
ユリウスの噛み締めすぎた奥歯が割れた。途端、白い世界は弾け飛び、流星群も始祖イシュリアも大魔法使いアルダリオンも消えた。




