死後のいざこさ
――ギルベルトは内心を伺わせぬ張り付いた柔和な笑みをたたえ、王宮の北棟へ続く道を進む。途中に道を譲り礼をする使用人、官僚の挨拶を受け、令嬢たちから黄色い声を浴び、それに手を振って応え、途中から一目につかない細い廊下を選んで身を隠し、焦る足取りにならないよう注意しながら、ようよう、たどり着いた。
そこは地下牢のある塔ではなく、北棟二階の一室だった。
彼を案内したのは侍従の恰好をしていたが、代々拷問吏の家系の出の男だった。あまり顔が知られていない利点を生かし、本来ならば職務ではない貴人の先導を勤めたわけである。
緊急事態だった。
「死体はどこだ」
と、ギルベルトは言った。彼が思っていた以上に焦った声が出た。
「こちらに……」
彼女は楽器を置くための台の上に寝かされ、身体を建国神話のタペストリーにくるまれている。こと切れていた。
「くそ……っ」
とギルベルトは呻く。最悪だ。
マイヤは黒い髪をだらんと死んだ獣の手足のように伸ばし、死んでいる。顔は白く青ざめ、完全に生気を失っている。
ユリウスが悲しむだろう、どころではない。あのバカ、これを見たら何をするかわかったものじゃない。
「暗殺未遂の実行犯の死体はどうした」
と拷問吏に聞くと、
「魔法塔の魔法使いが持っていきました。血から記憶をとるとかなんとか……」
と、なんとも要領を得ない。貴人に受け答えするための使用人ではないのだった。
「もういい、魔法使いを呼んで来い」
「みんな出払っております、マーネセンに。ツァベルさまももうおらんですし」
「下がれ」
拷問吏は下がった。カーレリンに人間はいる、いるのだが、いわゆる使える人材は枯渇している。有能な者はもっと他の稼げる国へいったまま帰ってこないし、そうでない者も十年前に逃げ出した。ここは終わりかけの国なのだ。ユリウスが即位して、地道に統治して、少しずつよくなってきたところだったのに。
ギルベルトが知るはずもなかったが、そのときマイヤは自分の身体の周りをうろうろして、ギルベルトの肩を押してみたり頭を叩いてみたり、わりとやりたい放題をしていた。自分の存在に気づいてほしかったの半分、本当に気づかれないと分かって面白くなってきたの半分である。内心のところ、途方に暮れる面はあったものの、
「おおい、ギルベルト様。ギルベルト様……おわかりになりませんか? 私です。生きてます、あ、イエ。生きているとは言い切れないかもしれませんけれど、意識はあります。マイヤです」
など話しているうちに、肉体があった頃にはまったく気にも留めなかった息の温度がないこと、そもそも地面を踏みしめる感触すらないことに不安と寂しさを覚える。
マイヤは死にかけているのだろうか? それとも本当はもう死んでいて、未練のあまりこの世に留まっているだけなのだろうか?
ギルベルトが魔法塔、北棟から空中廊下で続く魔法使いたちの居住地兼研究所へ足を向けると、マイヤはそっちに引きずられてついていった。もはやなすがままだった。
あの一件、【白の魔法使い座】のうち治療に秀でた面々をマイヤがなぎ倒し、殺してしまったときから、魔法塔は火の消えたような有様である。彼らはカーレリン人の魔法使いだけで結成され、フェサレア統治下においても互いに団結して研究を守ってきた、同志であり家族だった。急に構成員を奪われていいわけが、なかったのだ。
ギルベルトは塔につくと、そのまま勝手知ったる様子で一気に四階まで上がった。そこにはまだ幼い少年の亡骸が、マイヤが今そうされている以上にぞんざいに放置されている。椅子に座らされ、腐敗防止だろう魔法式を直接、喉元に書き込まれ俯く死体。その首を、ギルベルトはぐいっと仰向けさせた。
「これじゃダメか……」
と、一人言。いったい何をしているのだろう、とマイヤが見守るうち、ギルベルトは部屋を出てさらに上へ。
六階が最上階である。そこは一階まるごとそのまま、石組みが剥き出しの無骨な部屋だった。扉の開閉の衝撃だけで、ざらざらとした壁の表面から砂がぽろぽろこぼれ、マイヤはぞっとした。
安楽椅子がいくつかあり、そこに蹲るようにして幾人かのローブ姿の人影がある。ギルベルトはそっとそちらに近づいた。人影が顔を上げた。
「――あっ!」
とマイヤは声を上げる、もちろん誰も気づかないが、続けざまに叫ばずにはいられない。
「ああーっ! この、この人! この子! 私を殺した子……!!」
であった。
赤味をおびたたっぷりと渦巻く金髪、ピンク色の目。驚くほど美しい彫刻のような顔をした、しかし憔悴した顔の娘だ。
地団駄踏んで悔しがりたい気分だった。マイヤは自分を殺した犯人を目の前にして、何もできないのだった。一度死んだ、殺された、人間が抱く思いは、そこから生き返ったりしなければわかるものではあるまい。
「ルシェル、元気だったか。他のみんなも」
「はい、ギルベルト様」
「ああ、ギルベルト様……来てくださったのですね」
「卿もお元気そうで、なによりです」
と反応する魔法使いたちは、男女は半々くらいで若い者が多い。ルシェルと呼ばれたあの美貌の娘が立ち上がり、
「魔力を失い、魔法使いとしてお役に立ちません私たちを気にかけてくださるのは若様だけでございます……」
と、しおらしいものである。ふんっ、とマイヤはそっぽを向く。なによ、かわいい顔しちゃって。
ギルベルトも目を細めるものだから、ますますマイヤの不機嫌は加速するのだった。
「ルシェル、聞きたいことがある。苦しいかもしれないが答えてほしい。――階下のあの死体」
ぴくり、ルシェルは肩を跳ねさせた。
「記憶の抽出だけでも先にできないか? お前にもはや魔力がないことはわかっている。しかし魔法式を発動するだけなら魔力はいらないそうだな。魔石があれば不足した魔力を補えるし、お前でも十分発動できる。そうだろう?」
「……はい。左様でございます」
「ならば、頼む。動ける者は皆マーネセンへ行ったのだし、勝手をするのは辛いだろう。責任は俺が持つ。あの死体の記憶を俺に見せてくれ」
「なぜでございましょう」
娘は挑みかかる目をした。
「なぜ、若様ともあろう方が正式な手続きを飛ばしてまでそんなことを? あの暗殺者は雇われた者だそうでございますね。大罪人ではございますが、大した情報も持っていなさそうだと、若様ご自身でそう判断されたと聞き及んでございます」
ユリウスを矢で襲った犯人があの幼い少年であることを、マイヤはここでやっとわかった。憎しみは沸いてこなかった、当人はもう死んでいるのだし。死んでなお、横たわることもできずああして晒し者のようになっているのだ。マイヤはむしろ、彼が気の毒になった。
「早急に情報が必要になったんだ。陛下がお戻りになるまでに、乏しい破片でも集めておく必要がね。なに、俺から命じられたのだから叱られやしないさ。頼む、ルシェル」
娘は俯き、やがて決意を固めたように顔をあげた。
「わかりましたわ……いたしましょう」
「ありがとう」
そしてギルベルトについて部屋を出る直前、ルシェルは豪華な金髪にフードをかぶせる動作の途中でふっと顔をあげ、マイヤに気づいた。
「――!」
彼女が叫ばなかったのはよく訓練されていたからに違いない。マイヤはそのときちょうどギルベルトの肩のあたりでふよふよしていたのだったが、ルシェルが必死に己を抑制している様子を見るうち悪戯心が沸いて、手を振り振りルシェルの周りを旋回してやった。ハァイ。こちらはもう死んでますので、怖くないのよ。
ギルベルトに続いて古い階段を下りながら、ルシェルが怒りを抑えている様子が伝わってくる。
マイヤはころころ笑い、瞬く間にルシェルへの怒りが融けていくのを感じていた。ぎろり、とギルベルトに気づかれないように虚空に浮かぶマイヤを睨む様子がかわいかったのもあるし、焦っているのがおかしかったのもある。
生命を奪われた一個の人間の怒りがそんな形に昇華されることは滅多にない、ということを、このとき気づけたらよかったのだが。
さて、少年の死体のある部屋につくとルシェルはギルベルトの言う通りにした。
彼女が用いたのは指に挟める程度の大きさの、緑色の魔石だった。魔法式に触れて発動させると、魔石から魔力が注ぎこまれる。光の川のようなその流れをマイヤは興味深く観察し、仕事を邪魔されてルシェルはいらいらし、ギルベルトは一切それに気づかない。
そうして少年の額から、ぼうっと光の球が抽出される。ほのかな黄色味を帯びた柔らかそうな球体である。記憶、というものがこんな姿をしているのをマイヤははじめて知った。
ルシェルが何か呪文を唱え、球を捧げ持つようにして跪いた、ギルベルトに向かって。
球が弾けた。それは全方位に向かって映し出される映像だった。本物となんら変わりない。ルシェルはあやまたず仕事をした。魔法式に刻まれた通り、少年が王に矢を射かける寸前の記憶を再生してみせたのである。つまりは死ぬ直前の記憶だ。ヒューマンの魔法には、そこくらいしか再生させる力はない。
映像は古いビデオのように擦り切れていた。
少年は同じくらいの大きさの数名と一緒に手を取り合っていた。少年視点の映像なので、彼の顔は入っていない。音声もないようだ。どこかの薄暗い部屋の中、円を描いて座り、真ん中には魔法陣。マイヤには意味のわからない古代文字。
彼らは一様にローブを目深くかぶっていたので、人相はわからない。少年はその一人一人と抱き合い、何事かを誓い合って部屋を出た。そうするとそこはすでに王宮の内部である。
「南郭の武器倉庫か……」
とギルベルトは唸った。
少年の視点は移り変わり、使用人通路を進んで中庭まで潜入するのに一刻もかからない。明らかに彼は人々にとって見慣れた人間で、そこにいても不思議はなかったのだ。映像の再生が終わった。
「ルシェル、ご苦労だった。無理いってごめんなあ。このことは内密に頼むよ」
とギルベルトは早口に言うと、さっと姿を消した。あっという間だった。
「はい、若様」
とルシェルは頭を下げたものの、上げた頃にはもうギルベルトはいない。
さて、マイヤはといえばすっかり置いてきぼりをくらって部屋の真ん中で呆然と立ちすくむ。ギルベルトがあんまり急いで去ったからだろうか、ついていけなかったのだ。ルシェルと再び、目があった。




