密約同盟
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マーネセン城に戻ったユリウスはいくつかの手配をした。とりあえず民の避難命令は解除しないまま、魔法使いたちには引き続きダンジョンの調査を行わせる。同行の神官たちを同じくダンジョンに送り出し、結果を共有させる。
その後、タイタスに命じて盗聴防止の魔法結界の張られた一室を貸し切らせ、緊急的に会議を行う。タイタスとユリウスを筆頭に、マーネセンの主だった官僚とリリンイアから随行してきた騎士を集めた、簡易的だが重要な意味を持つ会議だった。
そこでユリウスは、始祖イシュリアと魔法式を介した夢の中で邂逅したことを全員に告げた。マーネセンの官僚、国王の騎士たちは揃って息を呑んだ。
「私のことを噓つきと呼んでもらっても構わん。何せ証拠は何もないのだから、当然である。しかし始祖は私に、今回の爆発は耐え忍べるだけのお力を貸してくださると言われ、実際にその通りになったのを騎士の諸兄は見聞きしていよう」
「そんな、陛下を疑うなどありえませぬ」
「そうですとも、我らは皆、あなたの忠実なるしもべでございますれば」
と、素早くおべっか使いに走るのは王宮人のさがである。
ユリウスはそちらに向かって頷いてやる。
「そして始祖はこうもおっしゃった。近いうちにダンジョンを地下に鎮める手続きがいる、と」
そして始祖イシュリアが告げたダンジョンの真実を、マーネセンは財力の源たるあの白亜の塔を失わねばならないのだ、と続ける。
今度は誰も息を呑まなかった。
タイタスは手を組み合わせ、しかし動揺を見せない。たとえ腹の奥ではどう思っていたとしても。
「なぜそれを、私めにお伝えに?」
「もちろん、そなたにもっとも影響があることだからに決まっているではないか」
タイタスはユリウスのよく知る顔をした、彼が理想論をぶったときに大人たちがよくする表情で――要はこのクソガキ、と言いたいのをこらえる顔である。
「しかし、ダンジョンから得られる利益を思えば爆発の危険はそれほど……」
「さよう、これほどの年収益を自ら捨てるなど!」
「今回も魔法使いたちがうまく宥めたではありませんか」
と、色めき立つ財務系の官僚がいる。
タイタスはそちらを手で制した。ユリウスに向き直り、
「我らカーレリンの人間にとりましては神にも等しい始祖イシュリアのお言葉をお受けになりましたこと、まことにけっこう。魔法使いにはダンジョン内部の調査も、引き続き進めさせておりました。当然、爆発事故の調査も。確かに――今後はさらにダンジョンが不安定になり、階層の変異は激しく、そして爆発の危険性も高まることは、掴んでおりました」
「素晴らしい観察力だ。ぜひともそれをもって始祖のお言葉を裏付けてほしい。私もまた、あれが正夢か否か知りたいのだ」
「心得ましてございます。……少しはお時間を、いただきたく存じます」
「頼む。皆でよく話し合い、よりよき道を選んでほしい」
王と言えどもその領主の領地に手出しはできない。王にできるのは哀願することであり、そのために常に平等に優しい王として君臨し、尊敬を勝ち得なければならないのだった。
始祖イシュリアはきっと、優しい王だったのだろうとユリウスは思う。ハインリヒ六世もまた、優しい王だった。
王は優しく、平等に、神のように臣下に接さねばならない。父親のように。しかし父親が正妻の子と愛人の子に区別をつけなければ、待っているのは家庭内のドロ沼の争いである。
――それしかないのか? 本当に? カーレリンには優しい王が君臨する以外、道はないのか?
その思いがユリウスの胸に去来したのは、いつからだったろう。王子とされたときから、あるいはフェサレアを落としたときから? 確かなのは、王となった今でも変わらずその燻りは残っているということだけだ。
――優しい王に好かれようとした貴族たちの振る舞いが、一度目の国の崩壊を招き、内乱によって食い詰めた傭兵くずれが民を襲った。マイヤがそうされたように若い娘が襲われ、自分で自分を守るすべを持たない者から順に犠牲になった。
ユリウスはそれを、壊したい。今までは手段が見当たらなかった。けれど、今は。
ユリウスは王の笑みらしいゆったりした笑みを口元に張り付けると、続けて別の話題に移った。
「さて、話は変わる。昨日、王宮にて私を討ったのはネテロスという奴ららしいが、おそらく裏に神官たちがいると調査でわかった」
官僚たちが、騎士たちが、すっと仕草を止めるのがわかった。彼らは皆、貴族階級の出身である。タイタスだけが表情も変えず、
「まこと、お労しい。それが事実として、神官たちの増長天は目に余りますな」
と言い切った。見事なものである。案の定、その言葉で彼が元々貴族ではないこと、むしろカーレリンを滅ぼしたフェサレアの出身であることを思い出した者もいただろう。成り上がりの、平民出身の、あまりに有能すぎる、片眼鏡の質素な黒い服の男。タイタスはそうした自分にあまりに慣れすぎているが、リリンイアの騎士たちはそうではない。
明らかに不穏に傾いた会議室の空気の中、ユリウスは若々しく微笑んだ。
「本当にその通りだ。タイタス、今日この場をもってそなたにこのことを明かしたのは、そなたが私の味方についてくれれば神官たちとやりあうに不足無しと思ったからだ。――神殿に煮え湯を飲まされたこと、ないはずがないだろう?」
タイタスは応えない。不敬であるが、ユリウスはそんなことを咎めない。無言のまま、ぱちり、と視線が嚙み合った。ユリウスは続ける。
「ご存じのように神官の多くは家督の回ってこなかった貴族の次男、三男。次女、三女。それ以下。その中から神官長や巫女など力ある者が選ばれ、各国の政治に手を伸ばす。女神が背後についておられる以上、人間に抵抗はしづらい。――私の代でこの連鎖を止めさせ、次なる王に王だけの権力でもって国を治める権利と力を遺す。ダンジョンのための出兵は、その足掛かりと思ってここまで出向いた」
と、ユリウスはついに言い切った。今までずっと考えていたことだった。
配下の騎士たちは皆、父親の跡を継いだ長男である。かすかに鎧の音を立てた者もいた。一切の無表情を貫き通したのは双子の人狼くらいだった、人狼は主の言うことに決して逆らわないことを常と心得るから。
「二度目の災厄を未然に防いだともなれば、王の威信は高まろう」
「確かに。すでに各都市より陛下のご威光を称える詩文が届いております」
「豪勢なことだ。――マーネセン、リリンイア以外への道路舗装事業も、主要な都市は軒並み完了したところだ。国内流通はさらに迅速に、的確に拡大する。そうすれば国じゅうが恩恵を受けるのだ。もちろんダンジョン亡き後の貴公の政策にも。また、農民の徴兵を取りやめ常備軍を常態化させる。現在の人狼の傭兵たちを正式に国軍に取り入れる」
色を成したのは騎士たちであるが、さすがに発言は控えた。それは人間だけで――ヒューマンだけで構成されてきた伝統ある騎士団が、滅びかけたワーウルフたちに蹂躙されるに等しかった。
「強引な改革になる。領主たちから軍勢を取り上げようというのだから。だからこそ、私に友が必要だ」
タイタスは目を伏せた。彼の側の官僚たちは、すでに王と領主のどちらにつくか品定める算段である。
この国の、もとい【大森林】のほとりの国々の貴族階級とはこういうものだった。忠誠心が本能にしみついた人狼が、異種族への警戒心を差し引いて重用されるのは、それが貴族たちにないものだからだ。
フェサレアがカーレリンを滅ぼしても王族以外を殺さなかったのは、なにもフェサレアが特別寛大だったからではない、それが慣習だったからだ。殺し尽くしては人が足りなくなるから。
滅ぼし滅ぼされてこの大陸の国々はやってきた。だからこそ、海の向こうの【小さな大陸】の国はこちらを指さしてこういうのだ
――【暗黒大陸】。魔物とヒトがうじゃうじゃと混血し、互いに食い合う地獄の大陸。小国ひしめく戦乱の大陸。
「タイタス。ここまで聞いたからには協力してくれるな」
もはや後戻りはできないし、させない、という気概を込めてユリウスは片眼鏡の堅物な領主を見つめた。かつて憧れでもって名前を呟いたその人は、今のユリウスにはただの年上の貴族の男にしか見えなかった。とんでもなく頭が切れて、有能な。
「……よろしいでしょう」
長い熟考の末、ようようタイタスはそう答えた。閣下、と咎める声が飛んだのは、部屋の片隅に控えたマーネセン側の人狼からだったが、彼はそれに頓着しなかった。
確かにこのまま半独立地区のように振る舞うことが、マーネセンにはできないわけではない。しかしそれは財宝とダンジョンを盾にして国家や他領主と戦うということだ。その源であるダンジョンを、ユリウスの言う通り放棄せねばならないのだとすれば、状況は変わってくる。
タイタスはいずれくるだろう未来を見ることができる目を持っていた。
「私の夢は、陛下、ご存じの通りいつか異国にて悠々自適に隠居することです」
「ああ。聞いた」
「なるほど、このままではそのための資産さえ残らないやもしれません。由々しき事態です」
タイタスはにっこりした。それは冷たく綺麗な笑みだったが、まるでソロバンを弾き終えた商人の得心のようにも見えるのだった。決心が一線を越えたことを示すそれに。
「ご協力いたしましょう。忠誠を捧げましょう。他の領主たちのように上辺だけのものではなく。いつかまた次のフェサレアが現れれば即座にそちらに就くような、日和見ではなく。カーレリンのために、陛下のおんために働きましょう」
そのようにして同盟は密約された。ユリウスとタイタス、オウル家とヴァニゼリア家の同盟が。これは王族が長年あってないものとしてきた平民出身者の視点が王政に取り込まれたことを示した。
次の時代の到来はこの時点で約束されたのだ、という学者もいる。カーレリン王国はこののち、絶対的な王制を敷いて全土を統括し、強力な国軍によって大陸に覇を唱え、侵略戦争に乗り出す。輝かしい最盛期がもうすぐそこまで迫っていた。ユリウスがまったく知らないうちに。
そしてその恩恵など想像もしないうちに。




