いびつな固定
マイヤは牢で大人しく過ごした、鎖は銀でできており、彼女の足首から床の大きな輪っかに繋がれている。貴人のための牢というのは嘘ではなく、コヤの街の家と同じくらい居心地のいい狭い場所だった、マイヤにしてみれば。
暖炉には火が燃え、肌寒いカーレリンの気候を和らげてくれる。粗末な寝台には最初、薄っぺらい毛布が敷かれていたが、そのうち女中がもっと暖かいものに替えに来てくれた。
「ありがとう」
と礼をいうマイヤを彼女はまるで――まるで魔物でも見るかのように見た。
まあ、緘口令などといっても人の口には戸が立てられない。順当である。
マイヤは一晩とっくり自分自身について考えた。人を殺してしまったことを、それも直接のきっかけは何の罪もない少女の恋愛感情を当て推量して、感情のままにそうしてしまったのだということを、考えた。
考えても答えは見えなかった。何故そうなったのかもわからない。それでもあの爆発を起こしたのが自分ではない、とは思えない。彼女の中には確信がある。あの衝撃波のような魔法を解き放って、人々を虐殺し王宮の一画を破壊したのは、自分だ。
――それが事実だ。
心の中に一本の柱のようにそびえたそれは、夜も更けた頃に静かに足音忍ばせてやってきたユリウスの目を見てさらに高く太くなった。
マイヤは立ち上がり、鉄の扉まで歩く。じゃらじゃらじゃら。銀の鎖が唸り声をあげる。王様だというのにユリウスは一人の供も連れず、監視の兵士も近寄らせなかったらしい。自分でじゃらりと音のする鍵束を使い、扉を開けた。
「ごめんなさい」
「いいよ」
自然と言葉は漏れて、湿っぽいカビくさいよどんだ空気の中、ぎゅうっと抱き締め合う。同種の動物が再会を喜ぶ仕草のように。
「お前がすることなら俺は怒れないんだ。おかしいよな、俺はお前を諫めなきゃいけない立場なのに」
「……ごめんなさい、ごめんなさい。私、許せなかったの」
「何を?」
と聞くユリウスの目の色は青いまま。ユリウスはマイヤの全部受け止めるのだ、そういう約束をした。いつ? 覚えていない頃に。
「あなたが死んだように横たわっているのに、あなたを愛している女の子がいて。あんなときなのに嫉妬してしまった。許せなかったの。私――私以外にあなたに恋する人がいるなんて!」
きっちり組み立てられたレンガのつなぎ目、漆喰がカビている。暖炉には火が赤々と燃え、けれど薪の質がよくないのが時々パチンと火の粉が爆ぜる。
「そんなくだらない理由で、カーレリンの人間を?」
「ごめんなさい。許されないのはわかってる……」
「うん……許すよ。お前が何者だろうと、何をしようと、いいよ」
ふたりは一心同体だから。
マイヤはユリウスにとって自分の代わりに泣いてくれる人で、ユリウスはマイヤにとって自分の代わりに人間をやってくれる人だ。お互いにお互いが必要すぎて、心の根っこの部分が繋がってしまっている。
十年前、彷徨う乳母夫婦はユリウスを連れて異世界への門をくぐった。迷い込んだのか、引き寄せられたのか。理由はどうでもよくて、ただ結果としてマイヤを伴い一家はこっち側に帰ってきた。
カーレリンの水晶宮殿は崩落した。フェサレア側の魔法使いたちに水晶と大理石の継ぎ目を繋ぐ呪文を紐解かれ、文字通り水晶天井が落ち、王族に降りかかった。ユリウスは母の喉をガラスのかけらが貫くのを見、二番目の兄の上に水晶のかたまりが落ちて彼が潰れるのを見た。どちらもどす黒い血があたり一面に広がり、見渡せば顔見知りの侍女も大臣も侍従もそうだった。六歳の子供の心に受け止めきれるものではなかった。
そうしてそれまでの自分をなくした。
六歳以前の記憶をユリウスは相変わらずもやの向こうに、けれどもう拒むことなく認識している。記憶はなくともたくさんの記録と、当時を知る人々の言動が彼に事実を事実として認めさせた、俺はカーレリンの第四王子で、家族はみんな死んだのだ。家族が死んで、次の家族ができ、そして新しい方の父母も死んでしまった。
次こそは失われないようにしなければならなかった。姉すら失えば彼は永遠に一人である。
王妃を迎えて子供を作り、新しい家族を作れと人はいう。コトヴァ老、シュトルヒェンベルグ侯爵を筆頭に、見合いのための肖像画によいことづくめの噂話、枚挙にいとまがない。
愛情を尊敬を捧げてもらい、有り余る期待で実力以上の力を振るう機会をお膳立てしてもらう。これほど素晴らしくありがたい機会は他にない。たまの式典で民の前に姿を表せば歓声が上がる。彼らにとってユリウスは祖国を復興させた立役者である。
けれどもっとも芯のところでユリウスにはマイヤだけでいいし、マイヤもユリウスだけでいいのだ。
取りこぼされるものたちに、どう振る舞うべきかを探している。貧困政策が間に合わず人が離散する田舎の村だとか、殲滅しきれなかった夜盗に滅ぼされる集落、行き渡らない富、異種族ゆえの相互不理解による対立が発生した街。王の名の元に解決してやりたくとも、それができない現状がある。
もし――と考えないことはない。もし、ギルベルトが王位に就き、会ったこともない裏切り者のアレクシスが公爵としてその補佐をして、そんな時代なら彼らはきっとユリウスほど悩まず役目を全うできたに違いないのだ。
ユリウスはマイヤの顎を掴んで顔を上げさせた。黒い目からほたほた涙がこぼれている。かわいい女だ。どんなときでも彼にはこの目があった。他の何を犠牲にできても、これだけは手放せない。
「反省してる?」
「してるぅ……」
マイヤが頷くたびに鎖がじゃらりと音を立てて耳障りである。そうも大仰に泣くのは後悔からだろうか。人を殺してしまったから? たぶん、違う。ユリウスに嫌われるのを恐れているだけだ、これは。
――彼女にはそういう意味で、人の心はないのだ。
ユリウスがそうしてマイヤの本心を見抜いているように、マイヤもユリウスの逃げ出したい心や王の重責に潰れそうなところや、けれどその地位にあることで快感を得ているのも見抜いている。しょうがない子、と思っている。かわいい、とも。
やっぱりふたり、ふたりぼっちで山の中ででも暮らしているのがお似合いだったのだ。その方が国にも互いにとってもよかったに違いない。
それでもそうはならなかったのだから、互いのこと以外も考えなくてはならなかった。
誰に聞かれているわけでもないのに、ユリウスは早口の囁き声で言った。
「よく聞け。これからはやることが山積みだ。マイヤのことも調べさせないといけない。耐えられるか」
「できるわ」
マイヤは頷く。ユリウスがやれというなら、どんなことでも。
「ダンジョンに再び爆発の兆候がある。俺はマーネセンに向かう。傍にいて守ってやれないが、うまくやれるか」
マイヤの顔色が白くなった。あの事故は彼女にとって悪夢のひとつだったことに疑いはない。ユリウスにとっても同じく。あれから一気に状況が動き、転げ落ちるように人生が流転した。
「わかった、頑張る。私は何をすればいいの?」
「魔法使いたちにお前の身体を調べさせる。あの力が未知の魔力の暴走か、あるいはもっと他のものなのか」
ユリウスは与り知らぬことだったが、まさに今こそがこの大陸における魔法文明の全盛期である。ここにきて未発見の力が発見される可能性は低かったし、彼もなんとなくそのことはわかっていた。だが――マイヤはこの世界の人間ではないから、何かが見つかっても不思議ではないこともわかるのだった。
「決して痛めつけたりしないよう、固く言いつけておく。だから彼らに協力してくれ」
「わかった」
「それからもし、あんたが俺の役に立とうとしてわざと辛い実験を引き受けたりしていたら、魔法使いを殺す」
「……わかったわ」
「必要以上に協力しようとしていたことが記録からわかっても、殺す。俺の言いたいことわかる?」
「わかったわ。わかったから」
マイヤはユリウスの背中に手を回して力を込めた。諦めたようなため息、細い指のついた手が少年から青年に変わろうとする弟の背中を撫でまわす。
「言いつけ通りいい子で待ってるわ。早く迎えにきて」
「わかったんなら、いいよ」
同じように姉の身体を抱きしめ返し、唐突にユリウスは悟った。
(俺が立場を固めてやらないと、この人一生こうなんだろうな……)
男の責任、とでもいうのだろうか。それを覚悟だというのなら、確かに彼にはそれまでまったく、足りていなかったものだ。
なら、仕方ない。帰ってきたら姉を寵姫に立てよう。人は色々言うだろう。コヤの街の生き残りはありもしない噂話をまき散らすかもしれない。義理の姉と、なんていい酒の肴である。それでもユリウスは背負わなければならない、それも含めて。一国を背負えて女を背負えないなんてことがあってはならない。
ふらふらと恋に浮かれすぎたのだ、たぶん。
ユリウスはマイヤの黒い目を見つめて心に刻んだ、忘れないように。触れるだけ口づけて、牢を後にした。マイヤは微笑んで、いってらっしゃいと言った。
まるでいつもと変わらない朝のように。




