目覚めた王は
ユリウスが目覚めたのはちょうど一日後のことである。
最初は事情がよく呑み込めなかった。まだ幼さの残る顔で呆然と天蓋を見上げた。
いつもの王の私室ではない、ましてや王と王妃の寝室でもなく、王を寝かせるに足りる等級の客用部屋を間に合わせに整え、利用したのである。
やがてゆっくりと事態を把握した、矢で射られたこと、直前まで話し込んでいたオーロラが捕らえられたようであること。
「助かったのか……」
と安堵のため息をつく。声はみっともなくかすれていた。
――意識を失う寸前、もうだめだと思った記憶がある。鏃が心臓の近くに突き刺さった感触、衝撃、心臓が一瞬止まった。
どんな奇跡で助かったことやら。ツァベルたちが、【白の魔法使い座】が頑張ってくれたのだろう。前々から彼らにも領地と爵位を融通していい気がしていた。王の命を救ってくれたのだ、その対価には十分だろう。
ユリウスは枕元の鈴を鳴らして人を呼んだ。水をもらい、寝汗に汚れた寝間着を着替えさせてもらう。いまだ体力が戻らず、腕を上げるのもしんどいのだった。
「マイヤはどこだ? あれがいないはずがない、どこだ?」
と、彼は手近な侍女に訪ねた。だが彼女は曖昧な笑みを浮かべて会釈するばかり。ちょうど傷跡を診にやってきた見慣れない侍医の肩がびくりと跳ねたことに、不審を覚える。
「いつもの侍医はどうした。お前はどこの医者だ?」
医者はぼそぼそと、前の侍医の弟子だと答えた。
「前任者は――急に亡くなりましてございます。わたくしが急遽、参りました」
ユリウスはぎょっとする。ざわざわと不審は不安に変わった。
おかしいのだ、ユリウスが殺されかけてマイヤが黙っているはずはない。今頃大騒ぎしているのだろうと思っていたのに、彼女が影も形もないとはどういうことだ。
ユリウスがさらに質問を重ねようとしたとき、侍従に先導させてギルベルトが入室してきた。
「処置がすんだら下がれ。見聞きしたことは忘れろ」
と、彼は部屋の中の人間に手を振り、使用人たちはそのようにした。
ユリウスはほっとした、ギルベルトの戦場での勇猛さと平時での政務能力は折り紙つきである。彼が自分の代わりに指揮をとっていてくれたのなら、王宮は王の不在を難なく乗り越えられたのに決まっていた。
「ギルベルト、いてくれたのか。助かった」
と笑顔を見せた少年に、異母兄は奇妙な顔をした。悲しみか嫌悪に歪む少し手前の、身内の失態に失望を見せまいとする父のような。
「いいか。……落ち着いて聞けよ。順繰りに話すからな」
と彼は小椅子を引き寄せ、どっかり座り込む。ユリウスの凪いだ青い目が見える距離で、低い落ち着いた声で話し始めた。
それでユリウスは現状を理解した、時間をかけて。
ギルベルトの話し方は理知的で理路整然としていた。何度も頭の中で考え、ユリウスにわかりやすいよう喋ってくれているのだろう。ユリウスは徐々に顔をこわばらせながら話に聞き入った。
そうして話が終わった。王は片手で口元を覆った。
「――マイヤは、無事なんだな?」
「ああ。だが先ほども言った通り牢に入っている。この件で俺を罰したいなら構わない」
「そんなことするもんか。マイヤが……やったことを考えれば当然のことだ。むしろ王に代ってよく事態を収めてくれた、礼を言う」
と、瞬間的に王の口調になる。けれどすぐに青年の顔に戻って、
「あいつは魔力なんて持っていなかったはずだ」
静かに敷布をかきむしる。
「何故だ?――何故そうなった」
ギルベルトとしては言葉が出ない。彼は恋多き男だったが、本物の恋はとっくの昔に死んで、もうどこにもない。そのときの彼はちょうど、今のユリウスと同じくらいの年だった。
だからというわけではなく、投影というのも違うが、ギルベルトは寄り添うユリウスとマイヤに苦笑いしつつ、眉を寄せつつも、心のどこかで認めていた部分があった。どうせ今だけの儚い恋だろうがなんだろうが。人が生きていくには、そんなものが必要なときだってあるだろう、と。
だが今この国に必要なのはユリウスではなく、王だった。
「すまないが、もう一つ知ってもらわねばならないことがある」
悲嘆に酔う青年に重ねて告げるのは酷だったが、事態は一刻を争う。
「どうしたというんだ」
と静かに目のふちを白くするユリウスに、ギルベルトは端的に告げた。
「ダンジョンに再び爆発の兆しがある。【白の魔法使い座】から別働隊として、常にダンジョンに待機させていた者がいたんだが、そこから報告があった。ダンジョンの各階層が烈しく鳴動しているという。共振する魔石にも反応がある、と」
ユリウスは顔色を白くした。
「――猶予はどのくらいだ?」
「いくばくもない。タイタス殿が現場で指揮を取っている」
ユリウスは考えこんだ。頭の中にいくつもの迷いが浮かんでは消える。ギルベルトは続けた。
「今は残った魔法使いたち、それから冒険者の中の主だった魔法使いにも声をかけてダンジョンを宥めているところだ。爆発の直接の原因はいまだ不明だが、人が魔法式を編んで爆発と共鳴し、その力を土地に流すことができればその場しのぎにはなる、らしい。俺も詳しいことはわからん」
「――わかった。やむを得ない、神官たちに協力を仰ぐ」
「奴らの介入を許すのか? そもそもの原因はあの羽根持ちの神官見習いだろうに」
「仕方ないことだ。神殿は請われれば人を差し出すさ。カーレリンに食い込みたがっているからな」
ユリウスは天使族の伝令を呼び、矢継ぎ早に指示を飛ばした。焦りを隠しもせず。その中には、
「――それと、オーロラはまだ拘束されているのか? ならば解放してやれ。彼はおそらく被害者だ。何も知らないまま巻き込まれた」
などという細かすぎるものもあった。王命は紙にユリウスの直筆で書かれ、左手に常に嵌められた【王の指輪】による魔法印が押された。伝令たちは密かに飛び立った。
一刻も早くマイヤの様子を見に行きたいと顔に書いてあるのに、先に責務を優先させるのがギルベルトには哀れだった。かつてハインリヒ六世もまた、そんな顔をしていたのかもしれない。もしその相手が俺の母親なら、もう望むことはない。
話がまとまり、ユリウスは立ち上がったが身体はよろけた。あまりにも体力を消耗しすぎたのだろう、一度死んで生き返ったのだから。
「少し、出る前に寄るところがある。あんたは先に行っててくれるか。すまない、すぐに行くから」
「マイヤ嬢のところか? 俺は止めやしないが……、落ち着け。魔法使いを呼ぶ、先に回復してもらってからにしろ」
「もう忙しくて会えなくなるだろ。その前に会ってやらないと」
「なんでそこまでする?」
というのはギルベルトにとって当然の疑問だった。今や一国の王となってまで、何故古い方の女に執着するのだ。
――思い出にそこまでの力はないはずだ、そうだろう?
――だから父上は俺の母上を捨てることができたんだろう?
客観的に見てもマイヤが王となったユリウスにもたらしたものは、不利益の方が大きい。せっかくのお膳立てされた結婚を破綻させた上、勝手に王宮に出戻り、しかも子供を誘拐してきた。それらすべてを王の権力のおかげで揉み消させた。正直言って、民草の噂話でもマイヤは評価の別れるところなのである。とんでもないはねっかえりの悪女か、いじめられた平民出の王の義理の姉か。いずれにせよ、悪評はないにこしたことはない。
ユリウスはギルベルトを振り返った、目の瞳孔のふちのところに白い線がくっきり浮き出ていた。
「あれは俺のものだ」
はっきりした声音である。さっきまで寝付いていたとは思えないほどに。
「俺が俺のものの具合を見に行って、何が悪い?」
ギルベルトは両手を広げ降参した。馬鹿には勝てないし、何より分が悪い――ユリウスの大事なものは生きていて、ギルベルトの大事な人は死んでいるのである。反論が飛んでこない分、ギルベルトは彼について好き勝手言えるし、自分でもだいぶん思い出を美化している自覚がある。今となってはギルベルトが彼を想って口にする言葉はすべて妄想と同義だ。
「じゃあとっとと立場を固めてやればよかったんだ。後の祭りだが」
「忠告痛み入る。そのつもりだった」
ユリウスは大きなため息をついた。上半身がぐらりと揺れたが、足で床を踏みしめて立っている。疲労の脂汗、顔色も白いのに、それでも会いに行くのだと言う、王が自らの足で。なんの責任もないはずのちっぽけな女を。
「すぐ手放すつもりだったんだ……」




