王の悲劇2
マイヤは両腕を伸ばし、がくがくと怪我人の死にかけた身体を揺すぶった。侍女が悲鳴をあげ、舌打ちした侍従武官が駆け寄ってくる。
「ねえぇ!? 聞いてる!? 聞いてるの!? ずぅっと一緒にいるんでしょう! 私とずっと一緒に生きるんでしょう、あなたは!! 約束を破るの⁉ どうして、どうしてよ!! ねええ!!」
悲鳴だった。
「王姉殿下、落ち着いてくださいっ! 今、治療の最中なんですよ! わかりますかっ!?」
と女の子は飛び上がり、マイヤの肩を片手で掴む。その間も大切な杖の光をユリウスに押し当てるのをやめない。彼女が一番マイヤの近くにいたのだった。職務に忠実な、素晴らしい人材だった。
だからこそ、許せなかった。
彼女が正しいのだ、マイヤが間違っているのだ。彼女はユリウスに自由に恋していいのだ、他人のカーレリン人だから。マイヤは姉でカーレリン人ではないから、人からいろいろ言われるのに。
「やめさせろ!」
と誰かが怒鳴った。怒っていた。
世界がぐるぐる回った。赤ん坊ほどの大きさの魔石がピシリピシリと唸り声をあげ、ますます亀裂が走る。
「もうこれはだめだ、代わりを持ってこい!」
と叫んだのはツァベルだったように思う。それは別に、なんということはない指示だった。年若い魔法使いの一人が転がるように王の寝室を出ていき、彼がのちに証言したことには――王陛下の姉上様は非常に、混乱しておいででした。息も絶え絶えで。いいえ、僕はそこまでしか知りません。僕は……僕は何も、わかりません。あれはいったいなんだったんでしょう? いいえ、いいえ。現象のことじゃなくて。――あれは、あの女はいったいなんなんですか?
光は紅色をしていた。ちょうどその巨大な魔石と同じように。
誰の目にもカッと輝いたあの光が見えたはずだ、昏倒していたユリウスを除いて。光はマイヤからあふれていた。何の力もない、小娘のマイヤから。
「なん――っ」
と、魔法使いの女の子は驚愕して、光を遮るためかざした手の指ごしにその顔が見えて、マイヤは満足した。はしばみ色の瞳が恐怖に彩られていたから。
「私のユリウスに触らないで」
と、ハッキリ言い渡した。最初からそう言えばよかったのかもしれない、ぜいぜい喘いでないで。
光はぱっと一瞬で室内を押し包み、部屋からあふれ、廊下を走り、ちょうど衰えた足を引きずって奥棟に到着したコトヴァ、演練場から走ってきてギルベルトの前の前まできて膨らみをなくした。ぶわりと膨張した光の膜が、ふっと消滅すると暴風が吹き荒れる。風は王の寝室へ向かってまっしぐらに駆けた。
やがて風がやんだ。静寂が場を満たしていた。ギルベルトの背後には数人の部下がおり、コトヴァ老を支える侍従は震えあがりながらもけなげに職務を果たしていた。
ギルベルトの合図で部下たちは剣を抜いた。もちろん、公爵にして王の異母兄である彼自身もまた剣を携え、
「じいさんは寝てろよ」
と肩越しに言い捨てて進んだ。コトヴァは苦笑し、侍従にとってそれは天の恵みのようだったに違いない。異変を感じて集まってきた使用人や貴族たちへの対応を、老人は買って出ることにした。
廊下の水晶飾りは軒並みひっぺ剥がされたようになくなり、あるいは破壊されていた。敷かれた青い絨毯は浮かび上がり丸くなり、まるで戦のあとの略奪の様相である。そのくせ中庭では再び小鳥が歌い出し、噴水があがるのだからちぐはぐだ。
粉々に割れた窓ガラスを踏みしめ、年季の入って削れた大理石の床をギルベルトたちは進んだ。途中で二手に分かれ、左右から王の寝室に踏み込む。重厚な厚いオーク材の扉には特殊な封印魔法が施されていたが、それさえ貫通した衝撃が片側の戸を弾き飛ばし、もう片方は枠からずれて傾いていた。
部屋のまんなか、人が五人は寝そべることができる巨大な王の寝台の真横に、女がひとり立ちすくんでいた。その周りに同心円を描くように、死体、死体、死体が転がる。魔法使い、医者、その助手、侍女、侍従。帯剣した侍従は侍従武官だ。みんな死んでいた。不可思議なのはその死に方だった。外傷のあるなしに関わらず、軒並み死んでいるのだ。
――魔法の力で殺されたのだ、とわかった。
ギルベルトは逡巡の末、剣を下ろし、
「なあ――マイヤ」
と、女に声をかけた。
女は立ったまま寝台を見下ろしていたが、やがてのろのろとギルベルトたちに振り返る。その手がもう一人の手を握っている――ユリウスの手を握りしめていることに、彼らは気づいた。
「これ、君がやったのか」
「……ええ」
生活に疲れ切った老女のようなしゃがれ声だった。彼女が身じろぐたびに黒髪がざわざわ揺らめき、紅色の光が氷の下を流れる水のように内側を走る。
「俺たちを攻撃しないよな?」
マイヤは眩しそうに眼をすがめ、ギルベルトとその部下を順繰りに見やった。部下たちに緊張が走るのを、先走るな、と後手にギルベルトは制する。
「ええ」
やがてマイヤは肩の力を抜いて、ユリウスのかたわらに腰かけた。
「あなたがユリウスに何もしなければね」
王と王妃の寝台に腰かけた黒い髪の女。不敬な、と思った部下もいたかもしれないが、少なくともギルベルトはそうではない。形式はただの形式である、それに命を懸ける立派な使用人もいるが、それは彼らが使用人だからであってギルベルトは使用人ではない。
「信用ないな。俺がいつ、弟をいじめたって?」
と納刀したギルベルトが両手を広げると、マイヤは薄く笑ったらしかった。
ゆっくりと寝台に近づくギルベルトを前に、マイヤは無感動に見える。放心状態だ。忠義者の部下たちは、いつでも動けるようじりじりとギルベルトの背後を守る。
覗き込んだ寝台の上、ユリウスは安心しきって眠っている、ように見えた。
呼吸は正常である。汗の名残りはあったが今はひいている。顔色もよい。ギルベルトは手を伸ばし、異母弟の首筋を抑えて脈をとった。観測できる一切が正常を示している。
マイヤの黒い目が瞳孔まで見開かれて、彼の一挙手一投足を見張っていた。ほとんどけだものの、本能剥き出しの目だった。
胸の中心にわずかなへこみがあり、それが矢傷のあとだろうと見当をつける。
「俺が聞いたのは、国王陛下、弟が、ユリウスが暗殺者の矢に射られたということだったんだが。今見る限り、傷はない。何をどうした?」
「私が治したのよ」
マイヤはため息をついた。ふうっと息を吸い、正気付いた精神の病人のようにぺらぺらと喋り出した。
「いいえ、私が治したのじゃないわ。私が――直そうとする魔法使いたちを使って、その魔法を増幅させて、ユリウスの受けた呪いを解呪したの、だと思うわ。私がやったんじゃないけれど、私が……」
彼女は部屋を見回した。ゆるゆると感情が元に戻り、状況を把握し、衝撃を受けているのが表情でわかった。
「私がこの人たちを殺して、その命を使ってユリウスが治る手助けをしたの」
死屍累々の、この部屋を。
この女がこのようにしたのだ。
「【白の魔法使い座】は、長年苦楽をともにした仲間だったよ」
と、ギルベルトは本音を漏らしてしまった。
マイヤはぎくりと動きを止め、再び部屋の中を眺める。室内はすでに悪臭が漂い始めていた。彼女はひとつひとつの死体に目を留め、中でもとりわけ長く、磔のようになって死んでいる女の子を眺めた。もっとも遠く、反対側の部屋の壁まで吹っ飛ばされた彼女は、生命力を吸い取られたように皮膚に皺が寄り、腹が奇妙にへこみ、首の骨が折れている……。
ギルベルトは土色の髪をかき上げる。ユリウスの平和な、寝こけていると言ってもいい寝顔を眺め、部屋の入口に除く武装した騎士たち(どこの手の者だろう、俺のじゃないな……ああもう!)に向かって声を張り上げた。
「王はご無事である! 緘口令を敷け! この場にいた者を奥棟より出してはならん! 警護隊、騎士団、侍従武官、おのおの連携を取りこの事象を外へ漏らすな、決して!! 公爵の命である、いいな!」
あらんかぎりの声で叫んだ。騎士たちはひれ伏した。
マイヤはぽかんとそのさまを眺め、もし――もしも自分がこのように行動できていたらと考える。あれほど取り乱さず、そして……何か、をすることさえなければ、死ななかっただろう人たちのことを思った。部屋じゅうに散らばる死体のことを。
噛み殺した絶叫が吐き気となって彼女の身体をせり上がってきた。背筋が冷たく、冷や汗が全身を濡らす。ただユリウスの手に体温が戻ってきていたから、握りしめれば応えてくれる力があったから、叫び出さないでいられた。
マイヤは叫ぶ女は嫌いだ、間近に顔を近づけて一晩じゅう叫び続けられて、パジャマの襟を掴まれてがくがく揺すぶられると首が痛くて。内臓がシェイクされそうで、それが人生はじめてのトラウマ……いいえ、今はそんなこと考えている場合じゃないの。
今はユリウスのこと考えないといけないの、いいえ、それも違うわ、待って。
私が殺してしまった人たちのことを、せめて考えねばならない。すまながらなくてはならないのに。おかしい、私は。気が狂ってしまったの、かもしれない。けれどそんなふうにして逃げてはいけない、人殺しの罪からは。
ギルベルトはそろりとマイヤの肩に手を置いた。
「これから君を拘束する。北棟の地下に貴人が入る牢がある。なに、じめじめしているけど居心地はいいはずだよ。暖炉もある。いいね?」
「ええ。――はい。わかりました」
「ごめんなあ」
「いいえ、いいえ」
マイヤは泣き出した。声を立てないように唇を噛み締め、けれどせり上がってくる嗚咽のかたまりにすぐに口を開けてしまう。
「あり、がとう……」
と、ギルベルトに顔を傾けて囁く。
「私、きっとこの力を制御できないわ。魔法の鎖をつけて」
彼は頷き、そのようにしてくれた。マイヤはそれでほっとして、自ら大人しく牢に入った。
ギルベルトは頭の痛みに顔さえ歪める。破壊された伝統と格式のある部屋、殺された有能な人材。――大損害だった。




