赤毛のオーロラ
神官たちの中に背の高い優し気な赤毛の青年がいた。名前をオーロラという。天使の血が混じっており背中に小さな一対の羽があり、それを恥ずかしそうにしていた。
「なぜそんなに羽根を背中に隠すんだ?」
と、ユリウスが疑問に思って聞くと、
「僕のはそんなに大きくもありませんから……左右が不ぞろいですし」
と、羽根を折り畳み縮こまるのだった。
昼日中の執務室だった。天気がいいので庭に面する大窓を開け、カーテンも開け放って気持ちがいい風が通るようにしてある。やや冷たくなりはじめた風はひんやりと肌を冷やし、難しい問題に悩んだ頭を慰めてくれた。
神官たちはよく仕事の切れ目を見計らっては一人、二人とやってきて、珍しい捧げものだの世間話だのをして帰っていく。少しでも王に自分たちを印象付けようとしているののだが、それが今日はオーロラの番、というわけだった。
「天使族は顔面の美醜より羽根の大小が重要なのだったな、すまなかった。誇りを傷つけたか」
「いいえ、そんな。とんでもない。僕の羽根のことなんて、王様に気にかけていただけるものじゃないんです」
と、オーロラははにかむように笑った。サラマンダーのように赤い髪が、本当に燃え立つようだ。
神官たちの目的はユリウスの宮廷に入り込み、【大神殿】の権威を再確立しようとしていることである。あくまで表向きは、だが。
裏向きとしてはおそらくギルベルトに打ち明けたように、王の血筋にさしたる意味がないことを逆手にとってなんらかの取引でもしようという魂胆だろう。今、神官たちの一群はその機会を伺っているようだとユリウスは見当をつけていた。
「今日はこんなものをお持ち致しました。ねじを巻かなくても鳴るオルゴール……それも本物のセイレーンのように歌うんです。ぜひ陛下にご献上させていただければと」
と、おずおず差し出されたのは確かにすばらしい細工物の手乗りサイズのオルゴールだった。茜色になるまで磨かれた木工細工に、ユリウスは父を思い出しちくりと胸を痛めた。
「ありがとう。素晴らしい贈り物だ。寝室に置かせてもらおう」
とにっこり笑ったものの、実のところこの数か月はマイヤの部屋で寝ている。
ギルベルトは呆れ返り、コトヴァ老もさすがに苦言を呈し、その他臣下たちもまた困った顔をするのだが、一番困っているのはユリウスだった。こんなはずじゃなかったのに、とは、今更言う権利もないが。
「わああ、ありがとうございます! 我が師が遺跡から発掘した古代の魔道具なのです。きっと師も喜びます」
と、オーロラは巧妙に話題を神官に持っていこうとする。ユリウスは慌てて気を引き締めた。
このままオーロラと親しくなれたら楽しいだろう、もちろん個人として。しかしそれを足掛かりに神官が王の私生活に、関与し、ひいては国政を垣間見れるようになるのは問題だった。
王宮への出入りを許すには爵位が必要であり、そうすればその彼もしくは彼女は聖界と俗界に跨って地位を持つことになる。名目だけの栄誉爵位ならまだしも、手柄を立てれば領地を与えねばならない。結果として国内に王ではなく女神に忠誠を誓う貴族領地を誕生させてしまう羽目になる。
――歴代の王たちが長年にわたり努力してきた聖界諸侯の締め出しを、俺の代で揺り戻されるわけにいかない。
というのが、ユリウスの見解だった。おおむねコトヴァ、ギルベルト両名の同意も得ている。この三人が意見の一致を見ているということは、ほとんど国の方針であるといっていい。
ハインリヒ六世、ユリウスの父王はそこを失敗して神官の専横を許し、不正や賄賂が横行したところをフェサレアに付け込まれたのだ。
「オーロラ殿はどこのご出身だ?」
と、ユリウスは強引に話題を変えた。礼儀を尊重するなら、ここではへえ、師匠とはどのような方ですか、と聞かなければならなかったが。
オーロラは戸惑ったようだがそれを表に出さず、
「田舎の出なのです。他の神官たちはリリンイアや、地方でも名家の出身で【大神殿】に見いだされた人材なのですが……。僕は、たまたま空きがあったところに色物として入れていただけたんです。こんな大きな街や王宮を見るのははじめてで、大変感激です」
「ご家族はご健在か?」
「はい。神殿長のご配慮で、こちらの視察団に入れていただきましたところ特別に給金を出していただけて、あ、実は僕、正式な身分はまだ神学学生でして。本来なら無給のところを家族が多いので特別扱いしていただけたのです」
「それは大変だ」
「はい。でもみんなそうですから。おかげさまで小さな弟妹が凍えずにすみます。もうすぐ冬ですから。貧しい街では、毎年のように凍死者が出ることもあるんです」
「それはすまないことをした。早くそういうことが起きないよう、私も努力せねばなるまいな」
オーロラの羽根が一瞬ぶわりと逆立ち、しおしおと項垂れた。本人も同じく。
「も、申し訳ございません、陛下。そんなつもりは……」
「いや、その通りだよ。神殿のご好意に縋って民を助けてもらっているようでは、私の行いはまだ及ばないということだ」
さらりとそう言ってのけることができる、それから口だけでなく動くことができるのが、ユリウスの強みでもあった。
すっかり恐縮してしまったオーロラの、しぼんだ羽根がいたわしい。
「私は市井の街で育ったから、そういった話は身近だった。母は――乳母だった女だが、私は母親と思って接していたのだが、ときどき来る物乞いに小銭や夕飯の残りを与えていたな。貧しい暮らしだったができる限りのことはしていたよ。助け合いの一環だと言って」
オーロラは興味を惹かれたようで、おずおずと顔を上げる。
「お話は存じておりましたが、その――陛下は本当に、街でお育ちに?」
「ああ。貧しい街だったよ」
それから二人して庶民の街の、ささやかな、どうでもいいと大人には切って捨てられるような子供の視点の話をした。野良猫に太っているのと痩せているのがおり、姉はいつでも痩せた方に餌をやりたがったが太っている方が奪ってしまうので怒っていた、などということを。
「あはははは。僕の妹もです、女の子ってひ弱い方を依怙贔屓するんですよね」
「うちの姉とそなたの妹御は気が合うのかもしれんな」
と言って笑いつつ、ユリウスは一応、気づいてもいるのだった。これはおそらく、神官たちによる王の花嫁選びのための情報集めの一環なのだろう。
カーレリンのみならず、【大森林】のほとりの国々では【大神殿】が寄越してきた巫女や神官を王妃、王配とする例がたまにあった。国内の貴族勢力の均衡を鑑みて、あるいはどの国とも同盟関係になるにふさわしくない時期には、そうして女神の権威を借りるのである。
【大神殿】がどう判断したのか不明だが、どうやら彼らは王妃選びに一枚嚙んでくるつもりがあるようだった。それに乗る貴族勢力もいそうなところが悩みどころだ。
そしてどうしてそんな付け入る隙があると思われたかといえば、ユリウスがどう考えても適切な相手ではないマイヤと一緒に過ごすのを好むからで、要するに自業自得である。
そもそも、血のつながっていない姉などといってマイヤがユリウスの傍にいること自体、貴族社会には受け入れがたいことである。乳母の子供なら使用人だ、乳母夫婦の養子など、それ以下だ。
マイヤ本人も自覚はあるのだろう、ユリウスが急に死んだら身一つで王宮から叩き出される身分である。後ろ盾がない、財もない。少なくとも同じ人間扱いはされない。社交界なんかに顔を出そうものなら娼婦扱いだ。
会話が途切れた拍子にぐっと黙り込んだユリウスに、オーロラはしばらくオロオロしていたが、やがて羽根を畳んだ。なるようになれ、と放り投げたようにも思われた。
ユリウスはその沈黙は嫌いではなかったが、いつまでもそうするわけにはいかない。
「そういえばこれは珍しい茶葉だな」
「はい。【大森林】の中央部に春先にだけ咲く花の花弁を干したものです。サクラといいます」
「へえ。独特な香りだが、嫌いではない」
「ええ、どうぞお召し上がりください。甘い味付けがしてあります」
それはその通りだった。ユリウスは鼻に抜ける香りを楽しみ、これはマイヤが好きそうだと思う。
「うん。私は好きだ。いい茶だ」
「ありがとう存じます。【大神殿】の下働きみんなで集めて、干すのです。サクラの花びらは崩れやすいから大変で。王様……陛下がお好みになったと知ったら、きっとみんな喜びます!」
と、にこにこするオーロラは邪気がない。彼がどういう事情で神官になったかは知らないが、以前は商人の家庭だったのかもしれなかった。ものの売り込み方がなんとなく、コヤの街にやってきた行商人に似ている。
だからだろうか、いっときユリウスは気を抜いてしまった。
思えば戦場を駆けたあの日々からこっち、ユリウスの中には一本のぴんと張った糸があって、足の裏から背筋を通り抜けて脳天を支えてくれていた、ように思う。マイヤと一緒にいるときばかりは緩んだが、それ以外のときはたとえコトヴァ老やギルベルト、双子の人狼たちなど心許せる配下と共にいても糸は張っていた。
それがわずかばかり、サクラの香りに気を取られて緩んだ、ように思われた。
今度は矢を身を持って受けてくれるカインがいなかったので、それは過たずユリウスの胸の中央に刺さった。
「げほっ」
と、ひどい風邪のときのような咳がユリウスの口から洩れた。開け放たれた窓に、彼は斜めに胸を傾けて座っていた。庭から飛んできた矢の矢羽根が白鳥のように白い、そんなことが目に留まる。
ユリウスは静かに崩れ落ちた。ずるずるとベルベット張りの豪奢な椅子から。胸の中心には突き刺さった矢。
オーロラが頬に手を当て悲鳴を上げた。羽根がぶわりと広がって、何枚かがばさばさと抜け落ちる。
双子の人狼が飛び出した。緊急事態に狼の耳はぴんと尖りきり、普段は隠している尻尾もベルトからはみ出てて風を切る。リカことリカルドが丸い円を描き、ルルことルーシィが直線を切って庭へ。タイミングをずらして襲撃者を襲う。追跡戦は狼の得意技である。
警備隊、および衛兵たちが出動する鎧の音。オーロラの声に反応して駆けつけた侍女の悲鳴。侍医を呼べ。早く。
ユリウスは侍従たちに抱えられ、より安全な王宮の奥へと運ばれた。マイヤがいる方に近づいているのだと、彼の中ではそのように解釈された。さまざまな幻が、初めて殺した男の死に顔、お気に入りのりんごパイの味、槍の穂先が頬のすぐそばを掠めたこと、父母の死にざまを聞いたときの話、貴婦人の爪紅のつやつやとした表面――これは生まれた時に見えた母王妃の指先の記憶。そんな幻が、瞼の裏に飛来しては飛び去り、あるいは脳の奥に入り込んで溶けていく。
「陛下ーッ! 目を閉じてはなりません! お開けください!!」
と、誰かが大声で叫ぶ。だれか王姉殿下を……お客人のマイヤ様を呼んで来い。そうだ、元キャヴェロ伯爵夫人の……。
目の端にオーロラが拘束されているのが見えた。逞しい衛兵の膝を背中に乗せられ、必死に首を振っている。
(そいつは違う。オーロラは下手人ではない)
という確信があったので、せめて首を振ってやりたかったが身体は動かなかった。
目を、閉じたいと思う気持ちと裏腹に、理性はかたくなに天井を睨みつけることを命じた。ここで目を閉じたら二度と明かないのだと、本能的に知っていた。
マイヤの絶叫が響いた。




