王様と公爵
「――あのな、俺の気持ちはちょっとは考えたことあるか、異母弟よ? なあ。戻ってきたら王宮がひっくり返ってた気持ちがさあ」
「ごめんって。悪かったよ。反省してる」
「侍女の子に陛下が姉君をその夫君から寝取ったんですうって言われてどう思ったかほんとにわかるのか、おい。お前あれは姉貴だって言ったじゃねえか!!」
「悪かったよ!! 俺が全部悪い! それは分かってるんだよ!」
以上、【大神殿】の海千山千の神官たちと渡り合い、ようやく帰還を果たしたギルベルトと出迎えたユリウスの会話である。
王の執務室には特殊な防音結界が張り巡らされているものの、もしも誰かに聞かれでもしたらこう噂されるだろう、前王の庶子ギルベルトは王と反目し、反逆を企んでいる――。
王宮での噂話には大抵そのくらいの尾鰭はつく。マイヤの一件も、ひと月でもすれば貴族たちは興味をなくすだろう。とはいえ、とうのマイヤが王宮に滞在している、しかも勝手にキャヴェロ家の子供を連れてきた上、得体の知れない女友達まで一緒ともなるとなかなか難しい。
貴族とは、互いの面子を大事に祭り上げ合うものだから。とくに格下の身分や立場からの言動が攻撃とみなされた場合が悲惨で、連携組んで反撃するのだ、格上から。
「俺が【大神殿】の老獪どもと渡り合ってる間にお前はよ……」
と、ギルベルトが落胆するのも無理はない。警戒が必要な状況だったのに、まったくユリウスに自覚はないのだから。
「そこまで慎重にやらなけりゃいけなかったのか。道理でコトヴァが渋い顔をしたと」
「王の地位は盤石じゃねえよ、些細な噂一つで崩御した王もいる」
ギルベルトは渋い顔で重たい外套を外し、侍従に手渡した。手を振ると使用人は一礼してさっと消える。異母兄のそういったところを見るたび、ユリウスは彼こそが王に近しかったのだと実感するのだった。幼いころ、記憶に残るうちから王の様子を目にすることができた彼こそ。
「お前の気づかないところでひどい目にあってたらどうするつもりだ」
「口にするものは俺と同じところ、材料で作ってもらってるし、リカとルルに様子見いってもらっている。ある程度のことは未然に防げるはずだ――ヘンな女魔法使いがいるからな。あいつは強い」
「……ふうん?」
と、ギルベルトは長机に腰かけた。不敬罪にあたるが、この王がそれを適応するとも思えない。
正直な話として、
(意外と見極めている)
とは思ったものの、
(まだ顔が学生っぽい)
とも思っていたし、
(好いた女を抱いたら一皮剥けるかと思ったらそうでもない)
のであった。
手渡した飾り縁のついた報告書を眺める顔は、やはりその父親に似ている。晴れた日の夏空のような目をきらきらと輝かせ、まだまろさの残った頬が紅潮する。せわしなく書類を撫でる親指、手袋ごしにもわかるほどすんなりと長い指と広い甲の手。
ハインリヒ六世はラシュカー家出身だが、その血筋をたどるとクース家の血も入っている。この二家は和解のため、今度こそ国内を融和させるのだと何度も同じことを言いながら結婚し、再び内乱が起これば夫婦は引き裂かれ子供たちはどちらかの親と会えなくなった。宿敵だが、血が完璧に離れているわけではない。だからこそ複雑な愛憎が国を亡ぼすまで続いたのだった。
ユリウスはラシュカー家とクース家の何度目かの奇跡の結婚の産物だが、今度こそ、その目的が果たされるのかもしれなかった。
(だがなあ――)
とギルベルトがつくづく思ううち、ユリウスは顔をあげ、
「うん、ありがとうギルベルト。楽しい報告書だった。それで、ここに書けなかった本当の楽しいことを教えてくれよ」
と王らしく笑った。深みのある、老齢の男性のような笑顔である。ギルベルトは首筋がチリチリするのを感じた、きっとあの王の姉、ということになっている女、マイヤは彼のこんな顔を見たことすらないに違いない。
(もし見たことがあったらあんなにへらへらしていられるはずがない)
ユリウスは王だった。ついこの前まで冒険者で、その前は何者でもないただの田舎町の少年だったが、今となってはカーレリンの血を持つ者なら誰もが逆らえまい。
だからギルベルトはかっちり踵同士を合わせて腹の底を震わせ、だが抑えた低い声でこのように述べた。
「神官たちは俺に秘密を教えてくれた。カーレリンの王は、ラシュカー筋からもクース筋からも出た。中心となる王の血は揺らがなかったが、実のところ隠し子だの秘密裏に養子にした者だので、ずいぶん血が薄い者が即位した例もあったのだそうだ」
「ふむ?」
ユリウスは口元に手を当て、考える仕草をしながら続きを促す。ギルベルトは一息に答えた。
「――王には誰でもなれるんだ、たとえ王の血を継いでいなくても」
ユリウスの空の青さの目がかすかに揺らいだ。
「そうか」
「我々カーレリンの民はこれまで、【王冠】と【王の指輪】こそが王を選ぶ神器だと教わってきた。王の血を見分ける大魔法使いアルダリオンの魔道具だと。だが実際は違っていて、あれは【大神殿】の記録簿に名前があるか否かを照らし合わせるだけの魔道具だった」
「そうか」
ユリウスは目を伏せる。組み合わせた指がかすかに震えている。
「王に認められた王子、王女は生後まもなく女神にお披露目される儀式があると聞く、【大神殿】からわざわざ高位の神官が来て、記録簿に記帳するのだと。それが【王冠】と【王の指輪】にその子を認めさせる機会だったというわけか?」
「そういうことになる」
ギルベルトはせいぜい重々しく頷いた。怒りだすかと思ったユリウスは、案外冷静である。
「それほど貴重な記録簿本体は、魔道具ではないのか?」
「ああ、重要なのは記録されたという事実だけで、言ってしまえば書かれた文字すらどうでもいいらしい。記録簿が燃やされようが山羊に食われようが、一度でも名前を書かれた王子と王女は永遠に【王冠】および【王の指輪】に縁ができる」
「――おかしいな」
「え?」
「記録簿がただの紙で、それへの記入が単なるきっかけにすぎないというのなら、【王冠】も【王の指輪】も王の血を裁定しているわけではないことになる。つまり――王家の血を引いていることが即位の条件ではなくなる。どうだ?」
ギルベルトははっとして、目をそらすことができず、内心苦笑するしかない。苦しみの笑いだ。彼はそれを知ったとき、足元がガラガラと崩れていく心地がした。
(そりゃあ、気づくよなあ……)
察しがいい若者たちだった、どちらも。
「ああ、その通りだ。王の血に、オウル家の血に、意味はないんだ。記録簿に名前さえありゃ、王になれる。俺たちの、天の目と称される目の色にも。なんの意味もない」
ユリウスはふっと吹き出して、笑い出した。げらげらと喉仏晒して仰向けに椅子に倒れ込む。ギルベルトは痛ましくその姿を見つめるしかないのだった。
「俺が王位に就けてお前が就けなかったのは、ひとえに生まれたときに神殿に記録されなかったから、だと――」
「ああ、そうなる。勘違いするなよ、何度も言うが、俺はそのことについてはもう折り合いをつけている。お前の立場や運命を妬んじゃいないさ」
と、王に叛意を疑われかけた臣下以上の必死さで否定する異母兄に、ユリウスは涙さえ滲んだまま反動つけて起き上がった。
「――っは、っはあ! あーあ。そうかよ、ああ。そうかい!!」
と、すでに筋張って骨の浮いた、平たく長方形の爪が包む何度も潰れたことのある指先をもつ手で目元を抑える。すでに少年の手ではなく、艶めいているとはいえ銀髪にその手が沈むと、まるで嘆く老人のよう。
ユリウスの内心をギルベルトが想像もつかないのは当たり前のことだった、かつてアレクシスは、今は裏切り者のアレクシスと呼ばれる、フェサレアに国を売った罪を一身に背負わされている、優しい麦穂色の髪の青年は言ったのだ――きみがたとえ王子様じゃなくても、王様になれなくったって、俺はきみが好きだよ。それじゃいけないのかい?
その日からギルベルトは自分のことを好きになった。アレクシスが好きになってくれたから。だから彼のいない今も、生き延びている。
王になれない王の子、というのがギルベルトの根底に空いた欠落の穴だ。
一方、ユリウスは――こんなことを決して知られまいと、顔を隠しながら、隠せないでいる、本心が顔に出てしまうのを。目が真っ白に燃えてしまうのを。
――じゃあこれまでのことは、いったい、なんだったんだよ。
なんだったんだ? なあ。
彼は本当に冒険者になりたかったのだ。最初はコヤの街のちっぽけさから逃げたかったからだけれども、いつしか憧れは真剣な将来設計になり、そしてあのダンジョン爆発事故の日までそれは手が届くかもしれない夢だったのだ。
いつかはコヤに戻るつもりでいた。名の知れた冒険者になって、たくさん稼いで、その先は父母とマイヤのいる日常に戻るつもりだった。マーネセンに家を建てて、家族を呼びよせるのもいいかもしれない。
人生は思わぬ方向に進んだ。王も王子も王宮もカーレリンも、正直いって理解の範疇の外にあった。
そうあれと望まれた姿は、王の地位は甘美だった。それに酔っていないとはいえない。王子の身代わりにされたみなしごの昔話のように、ユリウスは少しずつこっちが本当だと思い始めていた。
王としての自分のできることに、意味と意義を見出し始めていたところだった。楽しくなってきたところだった。
――それをなんで、今になって梯子を外すんだ。
そういう気持ちだった。
(俺がどんな思いで……マイヤを他の男にやったと思ってる?)
所詮、そんなちっぽけな後悔が心の一画を占めていた。
ギルベルトにわかるはずはない。そしてユリウスにも、ギルベルトがわかるはずはない。大切に思うものが違う。
ギルベルトは王になりたかった少年だった。
ユリウスは冒険者になりたかった少年だった。
なれなかったものへの憧れが、今なお顔を出す。肯定してくれる人が、愛してくれる人がいるからといって、居場所があるからといって、それは消えやしないのだ。
ギルベルトは異母弟を純粋に心配していた、己の足が破壊されたような気持ちをユリウスも味わったのだろうと。自分が愛人の子であると理解したときに彼がそうであったように。カーレリンの玉座に滴る高貴なる血に、意味がないなんて。
「このことを知っているのは、【大神殿】の神官どもだけか?」
と、顔を上げたユリウスは冷静だった。笑いの残滓でやや声が乱れ、肩が震える。けれどそれだけだ。ギルベルトは応えて、
「ああ。秘中の秘だったそうだ」
「よくも教えてくれたもんだ」
「それだけ、新生カーレリンに入り込みたいんだろう。何しろフェサレアへの媚は全部無に帰してしまったんだから」
「はンっ、どうせ俺たちにそうしたように、フェサレアの残党も匿い、支援しているだろう。――【大森林】で殺すべからず、だものな」
ユリウスは奇妙な顔をしていた。おそらくは今まで幾人もの王が同じ顔をしていたことだろう。【大森林】の【大神殿】、およびその系譜の神殿の神官たちは、己の教義と信条に沿う人物であればその種族や性別、立場を問わず保護してしまう。そして聖なる領域に世俗の武力は介入できない。
「ご苦労だった、ギルベルト。少し休んでくれ。主だった者を集めて会議を開く」
ギルベルトは静かに臣下の礼を取る。
ユリウスの羽織る長い襲は、かつては子供に暖を取らせる毛布のように見えたものだった。豪奢な刺繍もベルトの宝石飾りも、指の【王の指輪】もまるで芝居の衣装のよう、彼は陰でこっそりお小姓さんと呼ばれていた。今となっては――誰も素知らぬふりした昔の話である。




