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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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出戻り娘と弟2

十年前の記憶は心の根底にある。

カーレリンが死んだ。王族は皆殺し。王宮は半壊。魔法火薬に火の魔法が引火。爆発。


カーレリンの水晶宮殿が焼け落ちたそのとき、ダンジョンがこの世に再び出現した。二百年の眠りから目覚め、轟音とともに大地から姿を現した。


人々は二つの大事件に同時に向き合わなくてはならなかった。国の滅亡と、伝説のダンジョンの出現と。


どこもかしこも火の海の中、アルフォンソとフランチェスカは王宮の崩落を逃げ延びた。どうやって逃げたのか、逃げ道はどうしたのか。隠し通路があったのか? 今となっては誰も知らない。当人たちはコヤの街が襲われて死んでしまったから。


二人は第四王子の乳母夫婦であったので、当然、その腕に子供を抱えていた。当時六歳になったばかりのユリウスと、その乳きょうだいの女の子。ソフィヤ。二人の本当の娘を。


彼らは戦火の収まらぬカーレリンを逃げまわり、抵抗を試みた領主や民衆に匿われながら生き延びた。


けれど。

……ソフィヤは死んでしまった。


本当の娘は死んでしまった。母は抜け殻のようになり、父は王子を守るという勤めだけが支えになった。


フェサレアのカーレリンの残党狩りは熾烈を極めた。生き残った者たちが恭順を選ぶのも当然だ、と思えるほど。


彼らがとうとう追い詰められたとき、逃げる先はダンジョンしかなかった。


ダンジョンは逃げ込んできた人間を吐き出すようなマネはしなかった。数多くの流民、避難民、怪我人に病人が、白亜の塔の低層階に暮らしていた。当然、魔物が出る。かといってそこから逃げ出ると、フェサレア兵や仕事にあぶれた傭兵があたりを荒らしまわっている。


それでもと故郷に戻った者もいた。なにもかもを諦め、危険を承知でダンジョンで暮らすようになった者もいた。


乳母夫婦がどのようにしてそれを見つけたのかはわからないが、ダンジョンには【入り口】があった。異世界への【入り口】。全く異なる幸せを掴めるかもしれない場所。あるいは転移門。あるいは時空の歪み。あるいは召喚の陣。……さまざまな時代で異なる呼び方をされてきた。あるときは王が国の総力を挙げて見つけ出そうとし、ダンジョンのない時代に冒険者といえば、世界を旅して【入り口】を探し求める旅人のことを言った。


乳母夫婦に連れられ、ユリウスは【入り口】に向けて一歩を踏み出した。

「どうしてそんな奇跡が起きたんだろうね……」


マイヤはぐてんとユリウスの上に乗っかって、ぼんやりしている。目から涙がとめどなく溢れ、ユリウスの上等なシャツに染みこんでいく。


ユリウスは姉の頬を拭いながら、十年前の澱に沈んでいる。けれど頭の片隅で、今日の仕事の算段を忙しく考えたりもしている。腕の中の姉が、愛しくて邪魔だった。決して手放したくはない、目の届くところに置いておきたいけれど、時々うざったすぎて、蹴ってしまいたくもなる。


「奇跡、か」

「奇跡だわ。違うの?」

「うん。違わないね」


マイヤの黒髪に顔を埋めると、姉と家の匂いがした。ユリウスにとって郷愁を、安心を呼び起こさせる匂いだった。


ひとつだけ確かなことがある、ユリウスはマイヤを大事にしている。


傍から見てもわからない形で、彼なりのやり方で、それはそれは慈しみ、守っている。コヤの街を飛び出てマーネセンへ、ダンジョンへ駆けだしたあのときだって。大事に思っていたよ、マイヤ。


そうして心は十年前に戻る。


ソフィヤは死んでしまった、本当の娘は死んでしまった。せっかく戦乱を生き延びたのに。せっかく燃える王宮から、降り注ぐガラスから、逃げ出せたのに。ああもったいないことをした、せっかくここまで大きくしたのに。


そう思いながら乳母夫婦は異世界をさまよい、勝手の分からない世のルールに戸惑い、警官から逃げ、犬の吠え声から身を守り、風に体温を奪われ、さまよい尽くしてそのアパートを見つけたのだった。


次に走り出したのはユリウスだった。乳母夫婦はあまりに疲れすぎていて、アパートと隣のアパートの隙間、プロパンガスのボンベに寄りかかってうたた寝をしてしまった。あっと気づいたときには王子がいない。乳母は金切り声を上げた。侍従武官の夫はぱっと立ち上がった。


おりしも雪の日だった。吹雪ではなかったが、重たいぼたん雪がほろほろ続けざまに降ってきて、積もりだしていた。


ユリウスはそのとき自分が何を見つけどう考えたのか、もうわからない。忘れてしまった。けれどマイヤを見つけたそのときのことは覚えている。


彼女は小さなベランダで、カーテンごしに室内の灯りを浴びながら室外機の影にうずくまっていた。裸足だったし、パジャマ姿だった。親の怒りを買って追い出されたのだが、もう慣れっこだったので泣きもせずに膝を抱えていた。


頬は赤く腫れ足の指の感覚はなかった。いっぺん、しもやけがひどくなりすぎて小学校で先生になあに、これ? と聞かれ、そのことを話したら親はびっくりするくらい怒って、だからしもやけにならないように、足の指を無心に動かしていた。もちろん無駄な努力だったけれども、機械的にそうしていると現状を考えないですんだ。


数日前にテレビのリモコンで殴打された背中がずきずき痛んだ。そんなときだったから、ユリウスの目は驚くほど綺麗に澄んで見えたのだった。


「ねえ、きみ、どうしたの? どうしてそんなところにいるの?」

と、彼は言った。


それは大陸公用語だったので、日本人の彼女には通じなかった。九歳の子供は目を丸くして、ベランダの転落防止柵ごしに顔をのぞかせた六歳の子供を見つめた。


「だれ? なんでこんなところにいるの?」

「ごめん。何言ってるか、わからないや。――入れてもらえないの?」


マイヤはモデル体型でないといけないとされていたので、あんまり食べさせてもらえず細かった。


ユリウスの頬はぷくぷくしていた。目が明け方を過ぎた空のように青かった、髪の毛は白かった、本当は土の色をしていたのだった、女神の愛する色をしていたのだった。けれどいやなものをたくさん見て、怖い思いをたくさんした。信じられない経験を。目は白く光るままになり、記憶はとろけ髪まで白くなった。


マイヤの目にはそれがとんでもなく美しく見えた。自然と彼女は手を伸ばした、光に憧れるように。けれど男の子と遊ぶと淫売と罵られるのを思い出して、その手は不自然に止まってしまった。


ユリウスはその手を掴んだ。

「いこうよ。ここにいちゃいけないよ」


と言った。彼女は頷いた。

するんと柵の隙間から、身体が外に出た。あんなに出たかった外に出た、のか、それとももう二度と戻れない家から出たのか、どちらでも同じことだ。


九歳のマイヤの手は、同じ六歳だったソフィヤの手とほとんど大きさが変わらなかった。そしてそのくらいの大きさだったから、抜け出せたのだ。


やろうと思えばいつでもできたのだ、とマイヤは振り返る。だってあの転落防止柵は本当に見せかけの、とりあえずネジで止めましたといわんばかりの安物だったもの。やろうと思えば逃げ出せたのだ、勇気がなかっただけで。


ユリウスは黒髪の女の子の手を引いて乳母夫婦の元に駆け戻った。二人は子供たちを抱きしめて、――ああ、とフランチェスカは息を呑んだ。


いったいどこの何がソフィヤに似ていたのだか。マイヤは黒髪と黒目で生成りの肌をして、小さくておどおどして、元気溌剌で利発だったソフィヤと共通点なんてひとつもなかったのに。痣だらけの背中、しゅっと尖った顎、目ばかりが大きくこけた頬の顔。雪の中なのに裸足で、サイズアウトしたキャラクターものの夏物の半袖のパジャマを着ていて、そういうところが末期のソフィヤを思い起こさせたのかもしれない。


すべては想像の内である。なぜならふたりは、それからのことをよく思い出せないのだから。


「よく聞いておけばよかった、どうして母さんは私を助けたの、って」

「言っても思い出してくれなかっただろ、母さんは――弱い人だった」

「そうねえ……」

「父さんは頑なだった、きっと叱られた」

「そうだねえ……」


そして逃げ戻ったこっちの世界で、徐々に黒い目に光がともるようになって、笑うようになって、泣くようになって、マイヤはコヤの街のマイヤとして大きくなった。


ふたりの親はアルフォンソとフランチェスカである。その事実は動かない。


マイヤの涙は止まっていた、ユリウスはずるずる斜めになっていた体勢を、よっと戻して、

「どいて」

「うん」

そのようにした。シャツがびしょびしょである。

「ハナかめよ」

「ごめん……」


覚えているのは雪の中からユリウスが助け出してくれたこと。それから、フランチェスカに何度か同じ文章で語りかけられ、名前はなんていうの、と聞かれていることがわかったので、――あのね、舞姫。舞姫というの。そう答えたこと。


そしたら名前がマイヤになった。音が似ているから。マイヤ。コヤの街のアルフォンソとフランチェスカの子供。


――オーガイってなんか賢そうだもん。賢い子になってね。

という理由じゃなくて。


マイヤの言葉を聞こうとしてくれた上で、名付けられたのだ。


生まれなおしたようなものだ。だからマイヤは父母も、ユリウスも、コヤの街も大好きだった。もうこっちの人間だ、自分は、と思っている。もし日本に帰れと言われたら、足を踏ん張って力の限り抵抗する。


「もう来ちゃったものは仕方ないから、俺からレオポルドには言っておく。しばらくここに住めばいいよ」


と、ユリウスが諦め混じりに提案したので、マイヤはぱっと顔を輝かせた。

ユリウスはマイヤの髪を撫でる。どうしてだろう、ものすごくかわいい。


今更ながらに唇がひりひりすること、舌の付け根までがほんのり痺れるほど疲れていることに気づいて、彼は慌ててマイヤを膝からのけさせた。とんでもないことをしてしまった気がする、いや実際したのだが、今になってその異常さに気づいたのだった。


マイヤの方はと見れば、まったく気にした様子もない。しばらくユリウスの傍にいられるとわかって幸福そうである。びゃあびゃあ泣いていたのも忘れた様子。


ふと、ユリウスは気づいて、

「マイヤ、」


と呼んだ。近づいてきたところで頬に軽い平手打ちをした。


「向こうの家から飛び出して――俺に恥をかかせた罰」


と言う。マイヤはしょんぼり目を伏せて、次がくるならきてもいいよ、と身を委ねるように全身の力を抜いた。


底知れない征服欲で腰がゾクゾクした。ユリウスは嬉しかった、マイヤがこういう女であってくれて。ユリウスのことを、ユリウスのことだけを自分の中心に据えてくれていて。それがおかしい感情だともわかっていた。それでも止められなかった。


窓の外はしらじらと朝日が昇り、王宮の聞こえる範囲には物音ひとつしなかった。時が止まったような静寂が、本物かもしれないと錯覚しそうになる。


ユリウスはその日一日、上機嫌だった。


この女は俺のすることならなんでも受け入れるのだな、と再確認できたから。


※DVは犯罪です…

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