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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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出戻り娘と弟

朝目覚める前、ユリウスは何か夢を見た。同時に激しい頭痛に襲われ、両手で頭を抱えて身悶えた。


両手でがしがし頭の皮膚を揉みながら起き上がり、枕元に常備されている薬を飲む。効いてくるまでしばらくかかる。


眠りながら見ていた夢はとんでもなくいい話だったのに。その夢は血の雨と行きかう光の洪水と、吐き出す息の白さでできている。


季節は夏、汗ばむほどの朝である。まだ侍従も侍女もいない早朝だった。重たい天蓋の幕ごしに、ゆらゆら上り始めた太陽の光が見える。ユリウスは幕を自分で開け、裸足に寝間着のままバルコニーへ出た。


丸く切り出された王の部屋のバルコニーからはリリンイアを一望できる。大理石に同化した古代の魔物たちの化石を踏みながら、彼は朝の風と光で頭痛を忘れようとした。やがて試みが成功し、目を瞬かせながらやっと息をした。


(いい加減これ、治らないかな)


と項垂れる。高名な医師が診察に来てくれたこともあったが、すべて無駄に終わってしまった。最近は頭痛の感覚が短くなってきた気さえする。


ユリウスはがしがし頭を揉んだ。頭蓋骨の奥、指の届かないところでガンガン音がする。耳の中に心臓があるようだ。彼はしばらく苦しんだが、やがて薬が効いてようやく少し、落ち着いた。徐々に朝靄が引いて、朝の明るさがカーレリンを満たしはじめる。


侍従が走り込んできたのはそのときだった。滅多に足音を立てない彼らにしては珍しく急ぎ足で、寝台にユリウスがいないことを知ると即座にバルコニーまで飛び出してくる。


「どうした」

と王の口調で問うと、

「一大事でございます、お早く」


と低めた声で返される。彼はきょろきょろ周りを見渡し、こちらへ歩いてくるユリウスを丁重に案内し始めた。


「何が起きた。ギルベルトか?」

「いいえ。――お姉君様、リリンイアにご到着でございます」

「なんだって?」


マイヤはセプヴァーンで楽しく暮らしているはずである。夫のレオポルドは宮廷や社交界に顔を出さない。ということは領地に帰っているはずだから、マイヤは夫やその家族たちと一緒にいるのだとばかり、ユリウスは思っていた。


はたして案内されたのは、内密の客を通す小さい客間である。ささやかだが上質な家具が並び、ガラスの円卓があって椅子があるだけの部屋。


マイヤと見知らぬ子供がそこに腰かけていた。そして壁際の飾り棚の上で興味深くオルゴールをいじっているのは、アマルベルガだった。


「――ユリウス!」

とマイヤは腰を上げる。心から安堵した表情で両手を広げ、抱きしめ返してもらえるのも疑ってもいない強さでユリウスの身体を包んだ。姉の身体は記憶より冷えて、痩せていた。


「ハァイ」

とアマルベルガがひらひら手を振る。ほら、と促され、子供がおずおず立ち上がった。


不吉だとされる金茶のトパーズ色の目をした子供だった。茶色の虹彩が今は朝の光の中、魔物の金色に光って見える。小さな唇が分不相応に赤かった。


「はじ、めまして……おれ、わたしは、キャヴェロのクレトゥルヴォです」


とたどたどしく挨拶するのだった。マイヤは嬉しそうに浮かれて、

「すごいでしょう。ユリウス、聞いて――今度は私が助けたわ!」

「――なんだって?」


あちゃあ、とばかりにアマルベルガが両手を広げるのが視界の端に映る。


「縛られて、殴られてね……でも大丈夫だったの。今度は私が、あなたがしてくれたように助けることができたの! みんな、助けてくれたわ。今度は。助けてと言ったら助けてくれたのよ、みんな!」


姉は頬を紅潮させ、ユリウスに掴まってぱたぱた足を踏み鳴らした。


ユリウスの頭の芯の部分、いつもの頭痛の一番根深い根源が発生するところが白く冷え、縮こまり、固まった。彼は無意識に、マイヤの両肘を握りしめた。


クレトがあっと悲鳴を上げる。駆け寄ろうとするのをアマルベルガが制する。


「――召使いが見ていてよ。いいの?」

と、一言だったがその声は深く凄みがあって、ユリウスを正気づかせるに十分だった。


彼の手が離れると、マイヤは不思議そうに自分の肘を撫でさすった。どうしてユリウスに痛い目に合わされるのか、わからないと顔に書いてある。


ユリウスはつかつか扉に近寄り、形式どおりその陰に隠れて命令を待っていた侍従に人払いを命じ、

「こちらの貴婦人と、子供を別室へ。よくもてなして差し上げよ」


と指し示す。室内でアマルベルガは苦笑するよう、クレトはどうしていいかわからず右往左往する。二人から少し離れて、マイヤが棒立ちしている。


それでアマルベルガはクレトと共に侍従の先導に従いかけたが、途中でくるりと振り返り、

「もうちょっと話すといいわ、二人とも。きっと分かってくれると自惚れないで。わたくし、そういう無様なすれ違いもキライよ」


高飛車に言い放ってするりと身を翻すのだった。若草色のスカートがしゃらり、絹の海のよう。

早朝から王宮を訪れた非常識の上、王に面と向かって罵声を吐き、王の姉と得体の知れない子供を連れてきた謎の女。侍従は内心、混乱の極みにあるようだ。アマルベルガはあまりにも常識外れの存在だった、それが自らの強みであると彼女自身が理解して、利用しているからたちが悪い。


ユリウスは椅子に座った。早朝ゆえ、厨房に火が入っていなかったのか正しく伝言が伝わらなかったのか、お茶の一つもない。


マイヤがまだ驚きの抜けきらない様子で、肘を掴み立ったままでいるものだから、

「座って、姉さん」


と向かいを示した。彼女は言われた通りにした。その顔、硬くなりかけた肩に、まだ抜けきらないことがわかった、過去が。


「それで?」

と彼は促し、のろのろとマイヤの話が始まった。


セプヴァーン城でのこと。そこでどんな扱いを受けたかということ。夫とは最初の日以来、一度も顔を合わせていないこと。


「なんてことだ――どうせ愛人の家に籠り切りだろう」

「えっ?」

「レオポルドは冬になる前に軍を辞していった。俺に挨拶していったから間違いないよ。くそっ……」

「そう、だったの……」


マイヤはしょんぼりしたが、すぐに気を取り直すように、

「でも、ご家族でお過ごしになられるならきっとその方がいいのよ。城じゅうみんな、跡取りの誕生をそれはそれは喜んで」

と、まるきり他人事に言うのだった。


ユリウスとしては、姉のその喜びが本物であることはよくよく分かっている。彼女はこういう人間なのだ。人の幸せを喜ぶ、その方が褒められると思って。母に、父に、森の女神に頭を撫でてもらえると信じて。いい子になる。いい子を演じている。幼いころからずっと、こんな年になってもまだ。


「それから?」

と首を振るユリウスに、マイヤは勢い込んで話した。アマルベルガがちょくちょく訪ねてきてくれたこと。トゥラウベラと、そしてクレトと出会ったことを。


「あの子、ちょっとユリウスに似ているでしょう」

ともいうが、色もかたちも似ていない。嬉し気な様子の姉にわざわざ言わないが。


「それで――それで、トゥラウベラ様がお亡くなりになったら、クレトがいなくなったの」

「よくあることだ。庇護者を失えば弱い者はいいようにされる。よほどレオポルドたちに都合の悪い存在なんだろう、あの子は」


マイヤは決意を込めた顔をした。ぎゅっと拳を握りしめ、本当に大切なことを告げる目で、

「あの子、あの子が本当のローゼン家の末裔よ。きっと。あの子がトゥラウベラ様の実子なのは、ほとんど間違いないと思う」

「ふうん……」


と、演劇の最高潮の幕のように言われても、ユリウスとしてはそうとしか返せないのだった。だって知らない人、知らない家の話である。


「きっと十年前に、ああ、カーレリンが滅ぶ前、最後の戦があったでしょう? 先代の伯爵様はそこに出陣なさる前、トゥラウベラ様と契りを交わされたのだわ。本当の奥方様と、二人だけで……。そうしてクレトが生まれたの。だからパトリシア様はあの子が憎くて憎くてたまらなかったのよ。ぜったいそうだわ」


「落ち着けよ。唾を飛ばすな」

「あ、ごめん」


と、慌てる姉を見てユリウスはつくづく――この女は、貴族社会には馴染めなかっただろうと実感するしかなかった。


ユリウスは確かに姉をキャヴェロ家に任せたが、それは由緒正しい血筋であることが証明されていたから。マイヤにそういう背景を持たせてやりたかったのだ、万一ユリウスが戦死しても堂々と生きていけるように。少なくとも飢えることはないように。


結局全部無駄になった、マイヤ本人がそうしてしまった。そのことがユリウスにはやるせない。


「トゥラウベラ様がお亡くなりになって、パトリシア様はさっそくあの子を捕まえたの」

「子供が殴られたから連れて逃げたのか」

「そうよ!」

マイヤの黒い目は自信に満ち溢れている。

「私が――今度は私が、助けなきゃと思ったの。昔、」


いったん言葉を切って少し照れたように笑った。


「昔、あなたがそうしてくれたように、今度は私がそうしたいと思ったの」

ユリウスは目を伏せた。徐々に目の色が変わっていくのを彼は自覚した。


まったくこの目ときたら。王としても個人としても、怒りがすぐにわかるのは致命的に不利だ。彼はわなわな震えそうな身体を制し、息を整え、まだわかっていないように誇らしげにしている姉を見た。拳を握るのを自重するだけで頭の中がじんとした。


「俺の言ったこと、覚えてるか」

マイヤは首を傾げた。


「あのとき、運ばれた治療院で。あの小さな――寝台の上で、ぼこぼこにされたあんたを見て、俺は言っただろう」

「――ああ。ええ、覚えているわ」

マイヤはにっこりした。卑屈な笑顔だった。


ユリウスの癇癪が爆発した。

「お前はそうやって、女神に褒めてもらうために我が身を犠牲にしようとしているのはわかってる!!」

目をらんらんと白く光らせ、ユリウスは叫んだ。喉の奥で血の匂いがするほどに。


父の怒鳴り声が聞こえてくるかと思った。ユリウス、八つ当たりをするな! どうしてお前はそう――なんだ――いつまでも王子気分が抜けなくて。そうじゃないだろう、お前はもう市井の、名もないただのユリウスなんだ。


(なんだ、これ)


頭の、普段頭痛がするところにわんわん声が反響する。父の聞いたこともないため息。母のしくしく泣く声、ああ。ああ。本当なら本当なら。本当ならこの子はこんなところで育つべきじゃない……水晶の宮殿で……一番綺麗なところで……。


目の前のマイヤに焦点を合わせると、幻聴は一気に霧散した。


マイヤは身をすくませて、媚びる寸前の目に涙をためている。ちっとも反省していないことが、誰にも聞かれていなくてもユリウスの罵声を恥ずかしく思っていることが彼にはわかった、弟として過ごしてきた十年あまりの年月がそれを教えてくれた。


はあ、と息をついて、けれど怒りは収まらない。


「俺は言っただろう、今度――お前が我が身を犠牲にして何かをした気になったら、と」

「ええ。覚えているわ、ユリウス」


マイヤは小娘そのものに、反駁というよりは口答えといった口調で続けた。

「でも、私は悪いことなんてしていないわ。ごめんなさい。見捨てられなかったの、それだけなの」


そして耐えかねたように両手で顔を覆った。衝動的に動き、その結果がどうなるかを考えられもしない。娘時代からそうだった、人にくれてやり、妻の地位に立ってさえそうならば、ではユリウスはどうすればいい? どうすればこの愚かな女は、彼の思い通り平穏に暮らせるのだろう。

冷ややかな目でユリウスはマイヤの後頭部を見つめ、ふと、思いついたことを感情のままぽろりと、


「殺してやろうか、本当に」

口に出した。マイヤがばっと顔を上げた。


「あの子がどこの誰でもどうでもいいよ。殺してしまおう。そうすれば姉さんも自分のしたことがわかるだろう。俺は自分を削るなって言ったんだ。なのにそうした。また、また……」


塗れたアスファルトのにおい。雪の日の夜。


そう、ユリウスは国じゅうに道路が張り巡らされたその国を知っていて、だからカーレリンもそのようにしようと思ったのだった。あの国があんなに交通網を発達させていなかったら、ユリウスは助からなかったから。


「お願いだからそんなこと言わないで」

と、か細い声でマイヤは懇願した。あの夜のように。お願いだから殺さないでください。


「あなたがそんなこと、言っちゃダメ!」


立ち上がり、身を乗り出すマイヤをユリウスは黙って引き寄せる。抵抗なく膝の腕に収まってきた身体を抱きしめた。ぐらぐらした怒りが頭の中で沸き上がって止まない。腹の底まで共鳴して熱くなる。


マイヤはぺたぺたユリウスの顎を、頬を盲人が手探りするように触って、彼のほとんど白くなった青い目を覗き込んだ。あ。黒い虹彩の周りに虹色に輝く色がある。ああ。


ちう、とマイヤの唇が、ユリウスの額と眉間に触れる。何度も軽く、乾いてひび割れた感触が押し当てられる。


「ね、大丈夫。大丈夫だから。ごめんなさい、ごめんなさい。許してください……」

ユリウスは顔を仰向けた。お互いの唇が触れ合った。雪の味がした、と思った。


ぎゅう、とマイヤの薄い背中に指を食いこませる。身体にはそれほど肉がついていないのに、面白いほど指が沈んだ。ぐう、痛みに呻いた喉を、彼は無視して舌を突き入れた。


そのままそうしていた。室内が明るくなり、時間の感覚がなくなっていく。頭の中身だけ十年前に戻っていった。カーレリンが滅びて、世界を渡り、そしてマイヤに出会ったときの。


ユリウスの目の色が徐々に青味を帯びていき、白く光る部分が消えていく。伏せた睫毛の先がマイヤの皮膚をひっかく。


そうか――と彼は納得した。最初からこうすればよかったのだ。


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