脱出2
トロールたちはマイヤとクレトに親切にしてくれた。彼らは意識の根底でつながっているのだ、という。
「私たちは元は同じ一つの岩だったから……」
と、彼らの神話も教えてくれた。この世でエルフの次に神に愛される種族、それがトロールであるという言い伝えだ。マイヤが教わった神話では、その地位は人間――ヒューマンにあったわけだが、もちろんそんなことはおくびにも出さない。
トロールたちは紫色に近い灰色の体色をして、洞窟や岩陰でうっとりまどろんで暮らしていた。時折、円形に集まっては小声でこのように、
「グリーグはローニャに会えた」
「会えた、会えた」
「会えたのは素晴らしいことだ」
「彼らは一つの岩となるだろう」
「奇妙な色の魔法使い……」
「だが、魔法使いが来るまでは……」
「マイヤ、マイヤがグリーグを救った」
「救われたなら救わねばならない」
「うむ。ならない」
と、同じことを何人かが繰り返し、繰り返し、確認しあっていた。
教えてもらったことは他にもある。トロールたちは意識を共有する他、大きな特徴があった。いわゆる人間らしい食べ物を必要としないのである。主に岩の中に含まれる微細な生物や苔、温泉の中の栄養素を食べるらしく、うっとりしているように見えるのは食事中らしい。彼らは一日の大半を食事に費やす。
「だから私たちはほとんど動かない」
のだと、言う。
クレトは一度喋り始めたら三歳の女の子のようにのべつまくなし話すようになった。ヒューマンの年齢がよくわからないらしいトロールは、十歳のクレトが二十歳のマイヤの子供であると思っているらしい。
トロールたちは集落から集落へ、グリーグを知る者、知らない者にマイヤたちの情報を伝達してくれた。ウパロ山脈に張り巡らされた彼らの住処である横穴を進むことが許された。
それは古い坑道の名残りだった。掘ったのはトロールではなく、ドワーフである。今は【小さな大陸】や草原を越えた先の国で工房都市を築いて暮らすドワーフたちだが、その前に住んでいたのはウパロ山脈だったのだ。
「もう七百年も昔のこと」
「まあ、私なんて影も形もありません」
「おれ、おれねえ! おれのおかあさまのおかあさまのおかあさまのおかあさまは、いたと思うよ!」
と、クレトは大人の会話に割り込む。マイヤはそのお尻をぴしゃりと打って、
「すみません。ほら、クレトも」
と、トロールに謝るのだった。
穴から穴へ、山脈の中をぐねぐねと進んでトロールたちは、マイヤとクレトを都市のある平野まで送ってくれた。集落を離れると次の集落からトロールが一人か二人、迎えに来てくれ、彼らの横穴を案内してくれるのである。アリの巣に迷い込んだような気分だった。
また、食べるものが違うのが本当に難儀だった。持ってくることができたパンやアプアの実はとっくに食べきってしまい、マイヤはときどきトロールたちに地表へ出してもらう必要があった。群生する野草をとったり、こっそりノームやヒューマンの村で装飾品と引き換えに食べるものをもらったのである。そのときばかりはクレトもお喋りの口を閉じて、神妙にしていたものだった。
――クレトは年齢よりはるかに幼かった。トゥラウベラを亡くした悲しみが癒えないのか、初めて見ることずくめの旅に興奮しているのか。どっちもだろう、とマイヤは思う。
(私じゃだめだわ。誰かきちんと両親になってくださるご夫婦に早く預けないと、まともな大人にはなれない)
と、早々にマイヤは悟った。言い方を悪くすれば誘拐した子、犬猫のように拾ってきたようなものだから、せめて養子縁組が決まるまで面倒をみなくては。善良な夫婦と彼らの金銭的な納得さえ見つけられれば、縁組先では幸せになれるはずだ、マイヤがそうだったように。
マイヤは最近、アスファルトと自動車のヘッドライトの夢を見ない。赤いテールランプも見えないままだ。そばにクレトがいてくれるからだろうか。まるでコヤの家でぬくぬくと暮らしていた頃に戻れたようだ。
やがてようやく平野部の、見覚えのある都市が見えるところへ出たのは三日が経ってからだった。
「――マーネセンが見える!」
そして、【大森林】も。ダンジョンが聳え立つのも見える。
ウパロ山脈のはしっこ、【大森林】との境目の丘陵にその横穴は出口を持っていた。
「ああ、ありがとうございました。本当に。おかげ様で、ここからはどうにかなりそうです」
と、日の光の元眩しそうにする、赤紫色よりの体色のトロールに礼を言ったが、彼女は首を横に振る。
「私たちはあなたを心配している。向こう見ずで危険。幼い子供もいるのだから、もっと警戒した方がいい」
言葉に詰まった。確かに、ここから首都リリンイア――ユリウスのところへ行く手段を、漠然としか考えていなかった。何もわかっていないクレトがマイヤの腰にまといつく。
そのくるくるした髪を撫でてやりながら、マイヤが口を開いたとき、
「だから、呼んでおいた」
と、赤紫色のトロールは優しく目元を和ませて丘の向こうを指さした。彼女の若い皮膚は発育中で、動くにつれて豊かなウパロの土がほろほろ落ちた。
その人がやってくるのをマイヤは見た。
薄い銀に近い金髪を、今日は結わずになびかせている。灰色の目が青く見える若草色のボンネット。乗っている馬はどこで調達したのやら。上がスーツ仕立てのドレスのスカートはボンネットと同じ若草色で、たっぷりとひだを取ってあり、風に舞うたびレースがしゃらしゃら音を立てた。
「――まったく、どうしてあなたたちったらわたくしを便利に使うのかしら!」
ぷりぷり怒った口調で笑った目で、アマルベルガはさっと馬から飛び降りる。
「アマルベルガさん……!」
「お久しぶりね、マイヤ」
マイヤは彼女に飛びつき、抱きしめた。抱きしめ返される腕の暖かいこと。アマルベルガは灰色の目をいきいきと輝かせ、次にトロールへ両手を広げた。
「ウラロロピカロ。お久しぶり!」
「久しぶり。奇妙な色の魔法使い。山の王の子らの友よ」
「ええ、ええ。わたくしは山の王の子らの友アマルベルガ。ようく顔を見せてちょうだい――アラ、元気」
と、一通りはしゃいだ。マイヤとしては、アマルベルガとトロールたちがそのように親交があったとは初耳である。アマルベルガはマイヤの知らないところでずいぶんと……活躍しているようだった。
「それでは、私はもう行くから。早く山の中へ帰らなければ、食事をとれず身体が動かなくなってしまう」
「ええ、そうね。あなたたちはお山で生きる民だもの」
そうしてトロールは行ってしまった。マイヤは両手でスカートの裾を持ち、片足を後ろに下げる正式な礼で彼女の背中を見送った。
アマルベルガは上機嫌にそんな様子を眺め、都市を見下ろすことができる丘陵の風景と空気を楽しみ、馬が草をはむのを見守り、やがて目線がクレトにいきついた。灰色の目がかすかに見開かれるのを、マイヤは見た。
「そういうこと」
と、唇が声を出さずに動く。
クレトがしゃっちょこばってお辞儀をする。トゥラウベラに仕込まれた通りに。だが口上が出てこないらしい。
「よくってよ。完璧だわ。やっぱり収斂というものがあるのだわ」
と口走り、アマルベルガはクレトを見つめにっこりした。
「わたくしはアマルベルガよ。はじめまして、クレト」
と、握手をする。ぶんぶん手を振り回され、クレトは気まずそうでも恥ずかしそうでもある。マイヤといえば、
(彼の名前、教えてないのよねえ……)
と、もはや苦笑の域なのだった。
それでよかった、少なくともアマルベルガは敵ではないのだから。
「それじゃ、行きましょうか」
と、さも当然のように令嬢はドレスの裾を誇らしくひらめかせる。帯のように背中に結ばれた大きなリボンがまた可愛らしい。
「ええ。行きましょう――ユリウスに早く会いたいわ」
マイヤはクレトの手を取った。ここ最近、冷たい食事で我慢させてきたから、温かいものを食べさせたい。
アマルベルガは快闊に笑い、ひらりと馬に跨る。
「そんな顔をして。あなたって――まるで恋する乙女のようね!」




