残してきたもの
「裏ルートで魔石を売買していた違法組織を摘発しましたが、その中にアルダリオンの遺産がありましたのでお持ちいたしました」
と、タイタスは言った。
ユリウスはコトヴァ老にちらりと視線を寄越し、心得た老人は素早い身のこなしでその魔法具を受け取った。
夏真っ盛りのリリンイアの王宮は、あらかた改装を終えて十年前の水晶宮の名にふさわしい輝きと透明さを取り戻している。
マーネセンの領主の座について以来、タイタスは数々の魔法使いをダンジョンに通してやり、その研究を許した。また冒険者にも調査報告を推奨した。
結果として魔法使いギルド、冒険者ギルドには凄まじい量の研究結果が集まり、タイタスが支援した出版社から出版され、タイタスが後見する書店と図書館に卸された。大儲けである。また学問を守護する領主としての名声も上がる。いいことずくめだった。
しかしダンジョンの爆発事故以来風向きが変わる。事故そのものはダンジョンそれ自体がもつ魔法式の不具合で片付けられても、それを後押ししたのはマーネセン領主ではないかと批判が起きた。
元より身一つで領主にまで成り上がり、しきたりや形式に囚われることなくダンジョンを思う存分活用し、金儲けを貫くタイタスは貴族から評判が悪い。彼もそれを知っていて、リリンイアがフェサレアの名の元にあった頃から寄り付かなかったと聞く。
その彼が顔を出した。おまけに、アルダリオンの遺産だという。ただごとではなかった。
今日も黒ずくめの質素な服装で、小姓に差し出されたお茶さえ拒否し、タイタスは直立不動である。
「王の命である、腰かけよヴァニゼリア。肩が凝る」
とユリウスが手を振らなければ、ずっとそうしていたに違いない。
いくつかある王の執務室のうち、一番狭い部屋だった。アルダリオンの遺産は小さな金色の鈴だった。秘密があるようには見えないが、コトヴァ老が鼻に皺をよせるのを見るまでもなく、それが強い魔力を秘めていることがユリウスにさえわかった。
アルダリオンは時の旅人である。数百年前に活躍した記録があるかと思えば、また百年姿を消すこともある。姿さえ定まらず、あるときは白い髪の美しい男、またあるときは賢い皺がれた老女、あるときは三歳の子供の口を借りて歴史の表舞台に姿を現した。彼の魔法は常に時の為政者たちに力を与え、その敵を打ち負かした。偉大な魔法使いであり、才能と知識に裏打ちされた魔法は燦然と輝く星のよう。
大魔法使いがきまぐれに歴史に落としていくいくつかの魔法道具のことを、アルダリオンの遺産を呼ぶ。多くの魔法使いにとって過去の魔法を知るための貴重な情報源であり、ひらめきの宝箱でもあった。魔力を強化するアミュレット、火を噴く紙の犬、音色を耳にした者を徹夜で働かせる笛、城壁のように硬い結界を貼る魔法陣、歌声をカナリアのようにする口紅……。
どんな魔法使いだってこの鈴を欲しがることだろう。賢者の島からやってきた賢者たち、魔術学院および研究機関の魔法使い、そしてコトヴァが集めた【白の魔法使い座】、どこの誰だって。
ユリウスは慎重に鈴を眺めながら、
「これの名前は? 効能は?」
「わかりません。何も。お持ちするより先に子飼いの魔法使いたちに探らせたのですが、わからずじまいでした」
「そうか」
なに、とコトヴァが重々しく口を挟む。
「魔法具とはそのようなものです。有能な魔法使いが十年かけても解明できないこともある、ともあれ見つけてくださったマーネセン伯は大したものです」
タイタスは黙って頭を下げた。
タイタスはかつてフェサレアにろくな官職を与えられずじりじりとした困窮状態にあったコトヴァやフリードリヒと亡き父を賓客として扱い、マーネセンに無期限に逗留を許していた。それは彼らをマーネセン騎士団の無料の剣術指南役にするためだった。その結果、マーネセンはカーレリン派の本拠地となり、今がある。
(この人が何を考えているのかわからない)
とユリウスは思う。片眼鏡の細い鎖をチャリ、と弄び、タイ
タスは何かを考えているようにも、憮然と時が過ぎるのを待つようにも見える。
(こういう人は怖い。猫なで声でこちらを侮ってくる貴族より、よほど)
だから決して敵には回すまい。彼が口で言った通り、望むだけの財産を築き終えたあとはどこへなりと消えるつもりだとしても、引き留めるまい、と思うのだった。
コトヴァ老はユリウスの宮廷で、彼の後見人として強い勢力を保持している。軍のうち農民から徴収された兵はすでに故郷へ帰ったが、残った正規兵および傭兵のほとんどは彼の薫陶を受けたことがある。フェサレアが自軍に取り入れた人狼たちの従士制度や新兵訓練は、軍の中で人狼の地位をかつてなく高めたのだった。
「コトヴァ、【白の魔法使い座】に解析を頼めるか」
「心得ました」
頷くユリウスの視界に、タイタスがやや緊張しているのが映った。何かを言い出しかける臣下の様子で、しかし言いあぐねている。ユリウスは彼に身体ごと目を向け、
「何か言いたければ言うがよい」
と重ねた。タイタスの口元に苦みのある笑みが浮かんだ。彼は子羊の黒手袋で一枚の報告書をユリウスに差し出す。
「些少なことでお手を煩わせますのは、とも思いましたが。念のためのお耳汚しでございます。……冒険者ヴェイン、テレゼ、ルセの三人パーティですが、魔石違法取引の咎で現在、マーネセンの監獄におります」
ユリウスは書類を取り落とした。見れば確かにその、投獄の記録書である。
脳裏にダンジョンに上ることだけを考えていた日々が、見るもの聞くものすべてが新鮮で楽しく、わくわくしていた頃が――失われた少年時代が、ぱっと閃いては消えた。カインの笑顔や、宿屋で出会った同い年の冒険者たちの悲喜こもごも。愛情や友情や、騙されたり喧嘩したりしたことまで。
ひゅう、と息を呑んで、次の瞬間には元通り。彼は王であるから、動揺を見せてはならないのだった。
「罪状は?」
「取引の間、護衛を。リーダーが違法組織に借金があったようですな」
(ヴェインさん――)
憧れのかけらがきらきらする。目の裏で。
ユリウスはしばらく斜め上の何もないところを見つめ、
「すまないが……、解放してやってくれ。三人とも。これを、」
と、手近にあった金貨の詰まった袋をタイタスに差し出す。
「渡して、もう足を洗うよう伝えてほしい。頼まれてくれるか」
「承知いたしましてございます。私は陛下のしもべです、何を歯向かうことがありましょうか」
失望と哀しみを押し隠し、ユリウスはつとめて明るく声を上げた。
「ああ。これからもよい働きを期待している」
マーネセンの領主が行ってしまうと、ユリウスはぐったりと椅子にもたれかかる。ずるずる沈んでいく銀髪の頭を、
「これ」
とコトヴァが掴み引き上げた。
「いでで。気安いぞ、じい」
「卵の殻を尻にくっつけたひよこが何をおっしゃいますことやら。……お仲間のことは残念でしたな」
一度でも仲間と認めた相手には無限の愛情を抱く人狼らしく、コトヴァは眉を寄せた顔である。いいんだ、とユリウスは手を振った。
「しょせん、冒険者なんてそんなものだ。頭では、分かっていたつもりなんだが」
「前をお向きなされ。することを片付けていくうちに、心の靄は晴れます」
「だといいが。……立派な人たちだったんだよ」
と付け加えたのは、自分の過去を見くびられたくない、精いっぱいの虚勢だったのかもしれない。
実際、リザードマンを守るために暴漢たちに立ちはだかったヴェインの雄姿をユリウスは忘れていない。タイタスが嘘をつく意味がない以上、どうやら投獄は真実である、として、だからといって彼らがユリウスに優しくしてくれたことは変わらない。
(あんな迷惑なクソガキ、今の俺のところに来たら叩き出している)
と、自身のことをそう遠い過去でもないのに思うくらいだった。
通用口が音もなく開き、リカが新しい手紙の束を届けに来た。フリードリヒが連れてきた双子の狼少年のうち一人だった。片割れのルルとともに、今はユリウスに直接仕えている。
フリードリヒは戦争の終わりと同時に双子の人狼をユリウスに献上したのだった、その忠誠心の表れに。しかし本人がアウレリオ家の領土に引きこもってその統治に専念しているのを見る限り、やっとしがらみから自由になれた自分からなけなしの贈り物、という面も否定はできない。
室内の空気を敏感に察知して、リカは狼の耳をぴょこんとはためかせ首を傾げる。ここ一年で急に背が伸びた。
「お手紙です。ギルベルト様からの私信は上にしております」
ユリウスは慌てて身を起こすと、さっとそれだけ取って懐に入れた。
「ギルベルトを【大神殿】の調査に向かわせたとか。シュトルヒェンベルグが的を得たことを言う場合もあるのですな」
と、コトヴァは探るよう。ユリウスは黙って首をすくめた。
「まあ、よろしいでしょう。国境の様子はなんと知らせてきておりますか」
と、いくつかコトヴァは親しい士官の名前を上げる。いずれも国境警備に向かわせた信頼のおける人狼たちである。
「僕らのお父様からのお手紙は? ありますか?」
「これは機密だから見せられないよ、リカ。下がれ」
とユリウスに手を振られ、リカは笑いながら通用口に姿を消した。
現在、元フェサレア領だった土地には草原の民が流入し、混乱が続いている。血みどろの内乱状態に陥った地方、地元豪族が立身し一方的な独立を宣言した地方。
カーレリンはカーレリンの土地しか要求しなかった代わりに、フェサレアに莫大な賠償金を取り付けた。それを元手に国を建て直すのだ。フェサレアにはまだ多くのフェサレア貴族が居残って己の不運を嘆いており、いずれなんらかの火種になるだろうが、今は敗戦国をいじめるより国内をどうにかすべきときだった。
それから仕事の話に終始して、一日は過ぎていった。もうしばらくマイヤのことを考えていなかった。ユリウスにとってそれが日常になりかけていた、家族の一人を送り出したあとの残りの家族そのものに。もうちょっと気に掛けるべきだったのかもしれない、あの姉が知らない寒い厳粛な貴族の家庭でうまくやれるわけがないのだと、もっと疑ってかかるべきだったのかもしれない。なにもかも後の祭りである。




