表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

41/74

セプヴァーンの子供1

――カーレリンが勝った! フェサレアは滅びた!


知らせは城じゅうを駆け巡り、今日ばかりはマイヤも部屋から出るのを許された。


パトリシアは地下貯蔵庫からワインを振る舞い、領民たちが城に招かれ大規模な酒宴が催される。


マイヤは胸元で手を握りしめ、心からのため息をついた。


(ユリウス……生きてる)

本当に、よかった。


女たちは涙ながらに噂する、男たちはいつ帰ってくるのでしょう? あの人はまだわたしのことを覚えているかしら? 戦場でよその女に心動かされていないといいのだけど……ああ、それより娼婦が……病気が……それが心配。


大広間が解放され、農民の妻たちが子供たちと手を取り合い、絨毯に泥を落としながら踊っていた。赤ワインの大樽がいくつか中央に置かれ、その上で踊る女もいる。広間の片隅で眠りこける老女もいる。マイヤはそっちに近づいて、肩にかけたショールを老女にかぶせてやった。


特にすることも、すべきこともなかった。厨房からは丁重に立ち入りを断られてしまったし、侍女たちに混ぜてもらおうにもなかなか隙を見せてくれない。セプヴァーンにとってマイヤはまだよそ者である。


(部屋に戻ろう)

パトリシアに挨拶はすませたので、そして彼女はどうやら名目上の息子の妻のことなどもはや顔も覚えていないようだったので、マイヤはそのようにした。途中の廊下でくすくす笑う召使い姿の女の子二人にわざと転ばされそうになり、ひょいと飛んで避けた。彼女たちはキャアキャア笑いながら大広間にチーズの皿を掲げて入っていく。


なんだったかしら? と首を傾げ、ああ、夫の子供を産んだどんぐりまなこちゃんの友達だ、と気づいたのは角を曲がったところだった。


自分の部屋の付近まで進むと、ぼそぼそとした声で噂する二人の影をマイヤは見つける。衛兵らしい年の近い青年たちだった。彼女は足音を忍ばせ、手近な部屋に飛び込んだ。マイヤの部屋以外はかんぬきもなければ鍵もかかっていないのだ。胸元には両親とともに、窓の鎧戸の鍵が大切にしまわれているが、まだ使う機会はなかった。


「マーネセンで戦後処理を?」

「ああ。偉い人たちがどっとやってきて、会議するんだと」

「大丈夫かなあ。王子様はずいぶん若いそうじゃないか」

「大丈夫だろう。コトヴァの殿様がついていらっしゃる」

「俺だってコトヴァ様のことは信じてるさ。でもなあ……なあ、あの方は本当に王子様なのかな?」

「しぃっ。何をいうんだ」


「だっておかしいじゃないか。十年だぞ。十年前、あれほど大勢がお探し申し上げて見つからなかった人が突然現れて、末の第四王子だなんて。目はオウル家の色でも、あの髪。あんな髪の王族はこれまでいたためしはない……」

「やめろって。誰かに聞かれたらどうするんだ」

「――王様が生きててくれたらなあ」


この城はフェサレアが覇権を握ったあとも存続を許され、人間たちはほとんど変わっていない。村に滞在していた代官や徴税人は勝利の報とともに泡食って逃げ出し、今やセプヴァーンにいるのは完全にカーレリン人だけである、マイヤを除いて。


声が通り過ぎてしまうとマイヤはのそのそ部屋から出てきて、深いため息をついた。ユリウスが不合理な理由で罵られている、という気持ちがあった、けれどそれがいまさらなことも理解できていた。――あの子はもう王子なのだ。一度そんなふうに名乗ってしまったら、それを貫き通すしかないのだ。


物悲しい気持ちだった。いつかユリウスが『うちの弟』以外の肩書を得ることはわかっていたつもりだったが、まさかこんなことになるとは。この一年ずっと、マイヤはそればかりぐるぐる考え続けている。


自分の部屋に戻り、いつの間にか仕事ということになっている縫い物に取り掛かった。


奥方の仕事である使用人の監督やら慈善活動やらは、残念ながらまだ教えてもらえていない。時期が早いというのである。奥方同士の社交は、戦時には不謹慎だというので控えるのが常識らしい。つまりこれからは復活するかもしれないわけで、マイヤとしては頭が痛い。


姑のパトリシアは前の冬に生まれた孫に夢中である。母親のどんぐりまなこの娘に与えた邸宅に足繫く通っている。子供は男の子で、父の赤い髪の色と母の緑の目の色を受け継いだ、それは可愛らしい子なのだそうだ。めでたいことである。


年老いた女中がちらっと様子を見に来て、マイヤが使用人の上着や奥様の下履きの継ぎ宛てをしているのを確認すると、再び鍵を閉めて去っていく。かんぬきはもうかけられないが、いつでもやろうと思えばできるようになっている。


マイヤは女中の足音が向こうに消えるまで待ち、縫い物をあらかた片付けてしまうと席を立った。実のところ、一日で終わることができる量を少な目に見せかけている。姉のこういうところをユリウスはこずるいと呆れる。


マイヤは窓に飛びつき、アマルベルガのくれた鍵で開けて外にまろび出た。こっそりと。


今日の月は白いのがひとつきり。白い癒しの天使の目だ。天使族はあれこそが我らのご先祖なのだと胸を張り、その他の種族はこれは天使という名の大昔にいた神様の名を借りているだけ、現存する天使族とはまったく関係ないと怒る……。


月の光に照らされて、野菜畑はきらきら光る。文字通り、夜露が即座に凍り付いて光のだった。この季節のセプヴァーンでは野菜は育たない。何故この土地に花がほとんどないのか、マイヤは肌身に染みて納得した。育たないし、育てる余裕もないし、壁に飾るのは花瓶ではなく刺繍タペストリーの方だ。


それでも雑木林はいつものように不思議に落ち着いている。蔦の絡んだところをなんとなく手で撫でて、落ち葉を蹴って歩いて。夜空を眺めて星がまたたくのを目で追って。


「明日もきっといい日でしょう、今日がとてもいい日だったから……明後日もきっと楽しいでしょう、今日がとっても楽しい日だから……」


と小唄を歌い、

「私はぜんぜん楽しくないけどねえー、みんなと違ってー」


と、背にしてきた城の中の喧噪に思いをはせる。


独り歩きは楽しい、仲間外れは寂しい。マイヤの中ではひとつも矛盾していない感情である。

視線を手元に戻した。細い何本かの倒木に沿って絡み合った蔦の群れのむこう、こっちを観察する、まんまるな目と目があった。


(――びっ……くりした……)

心臓、確実に一度止まった。


そのときマイヤが思ったのは――王子の姉として命を狙われる恐怖でも、貴族夫人として適切でない時所で人に会ってしまったという動揺でももちろんなく、ユリウスにさえ猫を被って見せないように(ばれているのだが)してきた裏側の愚痴を聞かれてしまった、という焦りだった。乙女の恥じらいである。


彼女とその子はしばらく見つめ合っていた。やがてマイヤの方が我に返って、

「……どこの子?」

と聞いた。


冷たい風がぴょうと吹いて木々の葉っぱを揺らした。山から吹き下ろされてくる風。


その子はにこっと笑った。一度も見たことのない子だった。さすがに一年もここにいれば、使用人の子供たちなんかの顔は知っている。


切りっぱなしのくるくるした黒髪、トパーズのような金にも見える茶色の瞳。きらきら光るそれは人によっては不吉と言うだろう。もごもご丸い唇を動かして、だが子供は声を出さなかった。

大きな葉っぱの下からもぞもぞ這い出てくると、その子はマイヤにおずおず近寄ってくる。


相手の怯えがわかってマイヤは声を出さなかった。やがてその子は何がおかしいのかくすくす笑い出し、徐々に声は大きくなっていった。


子供の笑い声が雑木林にきゃらきゃら響く。マイヤは誰かが起き出してくるのを恐れて、

「しぃっ。しーっ」


とその子の口に人差し指を立てた。すると子供は嬉しそうに真似をして、

「しいっ! しいー」


と指を立てるのだった。身なりはそんなに悪くない。着古されているが清潔な、厚着にマフラーまでしている。足元はつま先まで覆う革靴で、少し大きいようだ。きっちりコートまで羽織ってきたマイヤと大差ない。


前にしゃがみ込むと、子供はわくわくした顔でマイヤの黒髪に手を伸ばし、いじくった。ひょっとして、自分と同じ髪色を見たことがなかったのかもしれない。セプヴァーンの人々は大抵、金の巻き毛、あるいは色素の薄い茶髪だから。


その子はマイヤの手をとって、一緒に走れと促した。大人と子供の足の長さの違い、転びそうになるのをそれぞれ助け合う。はじめはぎこちなかったが、すぐに動作に慣れた。


(どこの子かしら? 本当に人間? 妖精だったら……このまま連れていかれるかも)

ユリウスは泣くかしら、とマイヤは思う。


青い光の元、その子は無言のまま口だけ開けて、はくはくと息を吐き出す。


「……ふふふっ」

マイヤは笑った。心から。


久しぶりに、本当に久しぶりに人間と会話した気持ちがした。たぶん土に還る途中の落ち葉がたっぷり溜まっていた。何十度目の雪を越え、たっぷりと栄養を蓄えて遅い南風を待ち望んでいる。


子供はちらちらマイヤを見つめ、いかにも遊びたそうである。マイヤが微笑み返すと、とたんにぱっと地面に飛び込んだ。一瞬で姿が消える。腐葉土の下にくぼみがいくつかあって、そこに姿を隠しているのだった。雪が消えたとはいえ冷たい地面である。心配もあったが、


「かくれんぼね? いいわよ! 負けない」


マイヤは喜び勇んでその子の挑戦を受けてたつ。夜にしか遊べない事情のある子なのだろうと推測していた――目の色を親が嫌がったかどうかして、隠されて育てられた子なのだ。それでも今日の城の賑わいは尋常ではないから、耐えきれなくて出てきてしまったのだろう。


その気持ちはとてもよくわかった、人恋しくてどうしようもなくなってしまう心、話し声のする方に無意識に顔を向けてしまう身体、手、笑ってしまう顔。あとでどうなるかも考えられずにそうしてしまうのだ。


しばらく、夜のしじまに声を出さずに楽しく遊ぶふたつの物音が響いた。


くるくるの黒髪をその子は振り乱し、息だけで笑う。たまに声未満の音も混じる。耳が聞こえない、口がきけないわけではないらしい。マイヤに慣れてくると子供は、飛びついたりふざけてスカートを引っ張たりしてとにかく構ってもらいたがった。年頃は八歳くらいだろうか。その年にしては幼い動作にも思える。


マイヤはよくよく子供を観察したが、怪我などは見当たらなかった。ならば、今はただこの子の望む通り付き合ってあげようと腹を括って、そのようにした。子供は間違いなく嬉しそうであり、マイヤも幸せだった。


植林の途中で放り出されたらしい栗の木、松の木の樹液のかたまり、オークの若木。芝生になりきれない雑草の生えた地面に子供は転がり、春の猫のようにくねくねする。


マイヤは保護者然としてそれを笑いながら、手近な木の幹にもたれて座った。さすがに息が上がっている。大きな赤いキノコがかたわらに生えていて、夜中に妖精が腰かけでもしたのか小さく丸いくぼみができている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ