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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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別れと誓約

マイヤの結婚相手はレオポルド・ロイ・キャヴェロ伯爵といった。二十六歳の美男子だということだが、肖像画は長所が誇張されているのが常である。


というのもマイヤの縁談を取り仕切ってくれたのはコトヴァ老将軍に古くから仕える女官の一人なのだが、彼女が連れてきた絵描きが描き上げたマイヤの肖像画はまるきり別人で、草原の民に似た瞼や輪郭がかなり修正され、すっかりカーレリン貴族のように見せかけられていたのだった。


明日、マイヤは馬車に乗って、キャヴェロ領セプヴァーンに向かう。そこで新妻となり、子ができれば一族に認められる。――明日! もう、明日である。


(こんなことになるとは思ってもみなかった)


けれども、ユリウスがそれでいいと認めたのならマイヤはその意に沿いたい。いつまでも弟の心配だけしていたかったが、人間だもの、いつかは離れるときがくるし、


(離れるのが正しい)


のはわかっている。心がどれほど苦しくても。


マーネセンはずいぶんと騒がしくなった。各地から兵を引き連れた貴族たちがやってきては、東に広がる草原へ物資を運び、陣を敷く。


フェサレアの都から反乱軍の討伐令が出され、フェサレア側の勢力が集められている、と聞く。草原での本格的な合戦まであと数日もない。出発を早めて慌ただしくセプヴァーンに向かうのも、そのためである。


不安は尽きない。セプヴァーンは典型的な貴族領地らしい領地で、防衛に適した山脈を背後にお城が構えられ、山にはトロールたちの集落があり、平地には人間の村がある。


貴族の奥方の仕事は多岐にわたる。家庭を清潔に維持し、使用人に仕事を割り振り監督すること。それから他の貴婦人たちとの社交。子供が生まれたらその子たちを一人前の貴族に教育しなければならない。慈善活動。お客様や使者がいらしたら、夫の代理人として接待すること。常に所領と家のことを考え、その利益になるよう行動すること。


マイヤはユリウスの名において貴族名簿に引き上げられていたが、外面の地位ばかり得たところで生まれたときから貴族令嬢として躾られた方々にかなうはずもない。現状、マイヤの後見人はコトヴァ老が務めてくれており、ドレスや宝石、化粧水やパウダーが揃えられ、なんとか見た目だけでも整えようと侍女たちが奮戦してくれる。歩き方や言葉遣いの教師もつけてくれた。けれど悲しいかな、血というべきか育ちというべきか――どれほど着飾ろうがどこかちぐはぐで、滑稽なのは鏡を見るたびよくわかる。


貴族である夫や義理の両親に歓迎されるだろうか。新しい環境に適応できるだろうか。


(むりだよ……)

と、ため息はつきない。


(時もところも構わずに、望まれてもいないのにお嫁に行くのが貴族の常なの? だとしたらなんて……なんてむなしい人生なの)


マイヤは生まれてはじめて、尊い人々に同情した。自分がその一員になる? まさか、今でも信じられない。覚悟が決まらない。そして覚悟も目標もなく乗り込んでくる小娘など、決して歓迎されるはずはない、という事実から巧妙に目をそらした。


日が暮れかけていた。マーネセン城は改築を繰り返し、防衛には使用しない見せかけの塔がいくつかある。中は普通に居住できる空間に整えられており、そのうちのひとつがマイヤに宛がわれていた。


塔の周りは警備兵がいるばかりで、とくに近づく人もなく静かである。だからその足音はよく響いた。


「あ、」

と気づいて両開きの扉の前に立ち、手をかけたところで向こう側から開く。

「おっと、」

「ユリウス」


弟は照れ臭そうににやっと笑った。

「明日だな、と思って。入っていい?」

「うん。どうぞ」


たぶん今日を逃せばゆっくり語らう時間は取れないだろうと、どちらもわかっていた。


ユリウスは明日、平原に立つ。宣戦布告が正式に成れば、軍勢を率いてフェサレアと戦うのだ。マイヤは今でもそれを、悪い夢のように感じることがある。


お茶でも沸かそうと思って暖炉に向かうと、

「そこまで時間ないんだ」


とすまなさそうに笑う。それでもユリウスは卓についてマイヤと話す姿勢を見せた。彼女にとってそれで充分だった。


「勉強はどう? 進んでる」

「うん。毎日やらなきゃいけないことばかりで、大変だ」

「あなたがたとえ何者だろうと、」


マイヤはユリウスの前に腰かけて、その手を握る。弟の手はいつも同じ温度で、少し乾いている。


「私はあなたの味方だし、家族だから。絶対に忘れないで」


「うん。……姉さんも忘れないでくれ。俺が言ったこと、覚えてるだろう?――怪我をしてコヤからマーネセンに来た日に、言ったよな?」

「あの、怖いこと?」


マイヤはかすかに笑った。うん、とユリウスは頷いた。


「あんたが身を削って得た結果なんて許さないから、それがどんなものでも。あんたが傷ついたら、相手全部殺すから」


実際に、もはやユリウスにはそうするだけの力があるのだとマイヤは気づく。それが冗談でも、ただ口にしただけの決意でもなくなる日が来てしまった。


「わかったわよ、ええ。わかってるわ。そうならないようにする」

「幸せになってくれ。知らないところで、知らない人に囲まれて怖いだろうけど。違う風習に馴染むのは辛いだろうけど」


「ええ、ええ」

「マイヤもカインみたいに殺されてしまうのはいやだ。父さんと母さん、コヤの街の人たちにみたいに、俺の知らないところで死なれるのはもっといやだ。だから、死ななくてすむ、幸せになれる可能性のあるところに行ってもらうんだ」

「わかってるわよ」


幸福感がじわじわ足の先から駆け上ってきて、マイヤはくすぐったさに身震いした。幼い頃、雪の中見つけたユリウスの顔が脳裏にちらつく。銀色の髪、青い目がきらきら輝いて、まるい頬はふっくらと赤かった。小さな手が差し伸べられ、その手に縋って柵を越えた。


あの日から人生が始まったのだ。


「私はユリウスのためならなんでもできるから。必要になったら呼んで」

「わかった」

「お嫁さんをもらうときも呼んでよ。いきなり結婚式の招待なんていやよ」

「ああ――そう、それがあった。戦争が終わったらすぐ、お見合いだってさ。たまんないよなあ」


苦笑する少年は心底困り果て、姉の方はそれが面白いのだった。


王子、戦争、お見合い、死ぬかもしれないこと、馬やドラゴンや鎧のたてる重たい音、鉄と血のにおい、王家の者として確立された身分を彼がまっとうなものにするためには武勲が必要です、血の繋がらない草原の民など必要ではありませんと申し上げているのです、お分かりなさいませ。……今までの人生だったら考えられないような物事が、瞬く間に起きては積もっていく。


「じゃあ、これで」

「ほんとに忙しないわ」

「これから作戦会議なんだ。俺が行かないと始められない」

「そう。……じゃあね。元気で」

「うん、マイヤも」


お互いの肘を握りしめるようにして抱きしめ合い、体温と匂いを感じた。額とマイヤの肩をこつんとぶつけると、ユリウスは彼女を離して振り返らずに部屋を出た。塔の螺旋階段を下っていく確かな足取りが、かつんかつんと反響する。


マイヤはしばらく見送った扉の前から動けなかった。だんだん身体が冷えてくる。


扉を見つめ、息を整え、胸元の両親の形見をぎゅっと握った。


彼女なりに覚悟を決めた。


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