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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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32/74

戦支度

カーレリンの第四王子が生きていた。フェサレア貴族、ひいてはフェサレア王国連邦に吸収された小国にルーツを持つ者たちにとってそれは、希望でもあり悪夢でもあった。フェサレアの強権の前になすすべもなく、あるいは喜んで服従していたおのおのの思惑が動き出し、見せかけの平和が崩れる合図であったから。


平民の多くが知りもしないうちに、事態は動き出してしまった。


使者が小型ドラゴンで飛び立つ。天使族の伝令があとを追う。天使はドラゴンほど長距離飛行ができないが、その分俊敏で小回りがきき、あらゆるところに潜伏した同志に文を渡した。すなわち――カーレリン復興の激文である。


……“フェサレア王国連邦による苛烈な支配は我らの神聖なる秩序を揺るがした。高潔なるカーレリンのオウル家は代々の王たちの徳と賢明なる指導によって国を富ませ民の幸福と繁栄を啓蒙し”、“農地から得る女神の祝福はフェサレアに収奪され農夫の手元に残らない”。“ヒューマン、エルフ、ドワーフ、ノーム、ゴブリン、オーク、トロールなどあらゆる種族が居住するカーレリンの地においてフェサレアによる強硬なフェサレア化政策が軋轢を生み”、“フェサレアの唱える歴史的大帝国の成立のため血を流す数々の種族とその憎悪が”……。


このままではフェサレアになにもかも奪いつくされ、我々は我々でなくなってしまうと説いたのである。


実際に、フェサレア貴族による圧政があまりに過酷で、元からいた住民の大半がこの十年のうちに消えてしまった地域もあった。またフェサレアの都からはヒューマン以外の種族が追い立てられ、財産と家族を失っていた。


ダンジョンの出現により一定以上の税収を上げることができたマーネセンや、戦略上重要な拠点のある地域、港町、山の民との交易窓口であった町、そして森の女神の信仰をもっとも篤く誇る【大森林】のほとりの街々だけが、そうしたフェサレアの略奪から免れていたのだった。


知れば知るほどユリウスは己のもの知らずを恥じた。新聞が検閲を受けていること。カーレリンのみならず、被支配地域のために働く議員は議会にほとんどいないこと。純血フェサレア人と非純血人との争いを裁く、公平な裁判制度さえない。税負担さえ違う。どうしてコヤの街が全体的に貧しかったのかユリウスはその理由を考えたこともなかったし、むしろフェサレア兵の駐在やマーネセンの造った駅舎を誇らしくさえ思っていた。


カーレリンにあった国立銀行と国防軍は解体させられ、フェサレアの制度に取って代わられていた。自らの手で金も安全も買えない、カーレリンはフェサレアの奴隷だった。


これでよく、生活に不自由はしていないなどと考えていたものだった。ダンジョンで稼げさえすれば父母と姉の生活もよくなると、一辺倒に信じ込むばかりだったのだ。


王子の激文に呼応し、カーレリン元貴族、平民であっても力ある冒険者などが声を上げた。事態はどんどん大きくなり、あっという間に反乱軍は膨れ上がる。カーレリンの国旗などどこにしまってあったものか、マーネセンの城の頂に翻る。ユリウスの紋章だという鷲の紋が緋色の布に刺繍され、同じく旗にされる。――少年は人々の旗印となった。


自分の名が自分のあずかり知らないところで急速に膨らみ、期待と不信と愛情と嫌悪が同時に向けられる。


怯えがなかったかと言えば、嘘になる。けれどもう後には引けなかった。


ユリウスの毎日は激務になった。午前中に倫理、政治哲学、国政、法律、それから代々の君主の行動や統治方法、対外政策など歴史の勉強。それぞれの科目に一流の教師、あるいは魔法使いが連れてこられ、コトヴァの人脈の広さを思い知る気持ちだった。あまりにも大量の知識を脳に流し入れたせいか、毎日カーレリンの話を聞くせいか、頭痛がしくしく痛む日々だった。


また、マーネセンに続々と集まってくるカーレリン派と会うことも重要な仕事だった。実権はコトヴァが握り、ユリウスが実質的にしていることといえばサインと封蝋と挨拶くらいである。それでさえ最初は手が震えた。


砦を改築したあの館を出たとき、ユリウスはそれを振り返り、あんな小さかったのかと驚いたものだった。


新たに拠点となったマーネセンの城は、確かにダンジョンの富が集中したのだと納得できるだけの豪華さだったが、ユリウスはすでにあの正方形の館に愛着が湧いていた。四方八方を守られたマリーゴールド中庭。切り取られた空。


けれどそんな感傷に浸る暇などいっときもありはしなかった。王子になるのだ――いずれ王になるのだ。彼は変わらなければならなかった。求心力があり、公平で、歴史と伝統を大切に守り、一を聞いて十を知る人にならなければならなかった。


「父王様はそれがおできになりました」


とコトヴァは言う。最初に話した日以降、ユリウスは彼の笑顔というものを見たことがない。厳しい教師よりも怒りっぽい上官よりも、コトヴァはユリウスに辛く当たった。


その象徴ともいうべきなのが剣の稽古だった。午後いっぱいは剣を教わる。ハンスという男が教官役に抜擢されたが、この稽古も傷など意に介さぬ、骨折もいとわぬ激しさだった。


ハンスは三十がらみの、ごくまっすぐに立つハシバミ色の髪の男だったのだが、平凡そうな見かけとは裏腹に剣の腕は最上級、しごき方はえげつなかった。


「はい、右。はい左。死にましたな。死にました。はい殿下。また死にましたよ」


という具合で、ユリウスが悲鳴を上げようがゲロを吐こうが気にせず追い詰めてくる。


元々、王宮の剣術指南役も間近と思われていた二十歳のハンス青年は、カーレリンそのものが消えたことにより王子たちに指南する誉を失った。失意のままフェサレアでも剣士としてそれなりの名声を築いたが、今回の激文によりマーネセンにふらりとやってきたという経緯だった。


コトヴァが彼を一目見てユリウスの指南役にしたことは兵士たちに波紋を広げたが、今となっては誰もがその実力と適材適所を認めるところだった。ハンスは手を抜くのがうまいのだった。ユリウスが死なないギリギリで、死にそうな剣戟を作り上げ指導してくれる。


聞けば、ギルベルトも昔はこうして死にかけつつ鍛えられたのだという。ユリウスの腕は自分でもわかるくらい、めきめきと上達した。


ユリウスは――今が楽しかった、何もかもが。今まで着たことのなかった上質の服を着て、手に指輪を嵌めることも。あのまま冒険者になっていたら決して会えなかっただろう人に剣を習い、怪我をすることも。貴族に王子と呼ばれること、知れば知るほど奥深い歴史や魔法や外交の知識を学ぶこと。


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