義理姉弟
やっと戻ってきたユリウスが肩を腫らしていたものだから、マイヤは悲鳴を上げ、手当てのために棚を引っ掻き回し、大騒ぎをした。
ユリウスはそんな姉をちょっと冷めた目で見て、
「落ち着けよ、姉さん……」
呆れつつ椅子を引いてくれたものである。
同じ卓を囲んでやっと一息つく。マイヤの手当ては温かみはあってもしょせん、素人技だから、また後日医者に診せる必要が出るかもしれない。
彼女は泣きそうな顔のまま、ユリウスの手を取った。
「ユリウス、逃げましょう」
「え?」
「最近のあなたはおかしいわ。まさか自分が王子様だなんて、本気で信じてるわけじゃないんでしょう?」
――まあ、それは。その点についてはユリウスだっていまだ半信半疑である。
しかしただの冒険者見習いを騙したところで、高貴な人たちに何か利益があるとも思えない。実際の中身はともかく、目の前で繰り広げられた貴族たちの会議が作り物とは思えなかったし、何よりコトヴァの真剣さがユリウスの中の何かを変えていた。
「人が俺に何かしろと言うのであれば、」
考え考え、ユリウスは言葉を紡ぐ。そもそも館の造りの厳めしさ、警護の厚さを思えば逃げるのは現実的ではない。
「俺は俺の手の範囲の及ぶ限り、協力したいと思うよ。ましてやギルベルトは父さんと母さんを葬ってくれたじゃないか。ここで逃げるのは恩を仇で返す行為だ」
ユリウスは静かにマイヤに今後の展望を語った。――正式に王子として名乗りを上げ、フェサレアに戦いを挑むことを決めた、と。
マイヤは言葉に詰まった。絶句した、と言った方がいいのかもしれない。
「俺だってまだ俺が何者なのか知らない。今でも父さんと母さんが俺とマイヤの父さんと母さんだったと思ってるし、王様と王妃様の肖像画を見せられたけどピンとこなかったな。でも、ここで逃げることはしたくないんだ。あの人たちが俺に望む通りになれるのかは、わからないけど。逃げたくない。逃げちゃいけないんだ」
「ユリウス……」
「それに、帰ってどこに行くんだ? コヤの街はひどいありさまだって聞いた」
「それは街のみんなで少しずつでも復興していけばいいわ」
「何人が戻ってくる? 約束した人だってきっと戻っていきやしないよ……みんな、子供や若者はコヤから出たがってただろ」
マイヤは傷ついた顔をしたが、ユリウスはそれをあえて無視した。
「帰れるものならコヤの街に帰りたいのは、俺だって一緒だよ。でももう帰る場所はないんだと、思った方がいい。それにネテロスとかいうのは本当に俺たちの命を狙っている――カインは俺の巻き添えで殺されてしまった。安全で、守ってもらえる場所から離れることはできないと思う。コトヴァ老に願い出るつもりだよ、マイヤはどこか安全な場所に匿ってもらって――」
「そのことだけど、」
マイヤは落ち込んでいたが、かいつまんで今日あったことを話した。
「結婚?」
コヤの街では十七歳で嫁ぐことも珍しくはない。家の事情次第である。法律としても問題はない。マイヤは十九だから、とっくに嫁いでいてもおかしくはない。
「姉さんが結婚かあ……」
母が身体を悪くしていたから、姉はもう数年は家にいて家事を手伝うつもりだった。ユリウスもその気でいて、だからこそ一人だけマーネセンに飛び出すなんて不義理を押し通したのだとも言える。
そのようにまだ先だ、先だと思っていたことがいきなり現実問題として降ってくるのは、十六歳の少年には荷が重い。
しかし父母はすでに亡く、マイヤに身よりはユリウスしかないのだから、きちんと意見を述べなくてはならなかった。
「えーと、それはどこの人たちからの縁談だったの」
マイヤはいくつか名前を挙げた。ユリウスが急ごしらえで頭に叩き込んだカーレリン派の貴族名簿の中にあった名前だったが、今の彼にわかるのはそれだけである。
「困ったな。いい人なのかどうかもわからない」
「うう。それにとても感じの悪い人たちだったの。貴族の方とは思えない。成り上がりの徴税人か地主の家に嫁入った人の親族みたい。笑われたの。いやだった」
こういうとき姉はてんで頼りにならない。ほかでもない自分のことなのに、ぐじぐじと感情と感傷に囚われてしまう。
少し前のユリウスだったら癇癪でも起こしていたかもしれない、けれど今となってはそうする時間も惜しい。
「マイヤはどうしたい?」
「お話をもらえるのはありがたいことよ。でもすぐには無理よ。親がもういないのに――」
と、言葉を詰まらせる。
フェサレア、カーレリンともに妻と夫の役割や財産権、相続権の概念はさほど変わらない。それは女神の教えに基づくものだからである。
「マイヤに自分の家ができるなら、俺は安心できる」
「私はできないわ。ユリウスから離れるなんてイヤよ」
マイヤはめそめそした。ふたりきりで考えこんでもきりがないのは、ユリウスにもわかった。こんなときに味方がほしかった、きちんと相談できる信頼のおける相手が。
一瞬、ヴェインたちのことが頭をよぎったものの、ここまで家族の内側に関わることを話して大丈夫かまで判断つかないし、そもそも彼らが今どこにいるのかも知らなかった。マーネセンを離れていてもおかしくない。
「コヤに帰りたいわ。近所の人たちに会いたい。お店の子たちがどうなったか知りたい」
「だから、それは無理があるって……」
肩を落とすマイヤの背中を撫でながら、姉がまた熱を出しているのに気づいて顔を曇らせる。今夜は看病の夜になりそうだった。
こうして互いに依存することが互いにとって必要であり、不可欠だった。世界じゅうでふたりぼっちになった気がしていた。
むしろ本当にそうなれたらどんなにかよかっただろう。
多分、そっちの方がよかったに違いない。




