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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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縁談話と人狼の双子

マイヤはぽかんと示された肖像画を見つめている。


「けっ……こん、ですか」

「ええ、ええ。とてもいいお話ですことよ。若くてお金持ちで優しくて、素晴らしいお相手。なんてお幸せなことでしょうねえ!」


と貴婦人たちはおばちゃん顔でにこにこするのだった。


いつもの部屋に突然、新品の訪問着を持った侍女が訪ねてきたと思ったらあれよあれよと着替えさせられ、化粧され、部屋から出された。廊下を歩き、小さく堅牢な館の奥まった日当たりのいい小さな部屋まで。


この館は昔、砦だったという。中庭が袋小路になっていたり、屋上に凹凸がついていていかにも射撃ができそうだったりと、言われてみればその名残りがある。そんな改修されながらも無骨なその部屋は、色とりどりの花柄絨毯などが敷かれ、レースのカーテンが風にゆらめき、さながらマイヤにはお姫様の部屋のように見えた。


「お連れしました」

と一声かけて、侍女が下がってしまう。


部屋の中には三人の貴婦人がいた。ふくふくとした愛らしい三方で、少女がそのまま大人になったような、見るからに家の中で好きなことと子育てをして幸福に生きている女たちである。それぞれが名乗ったが、名前さえも似ているのだった。


そして話は冒頭に戻る。

テーブルクロスのかけられた丸テーブル。そこに座る三人の貴婦人。そして残るひとつの椅子には、まるでもう一人の人間であるかのように肖像画が立てかけられている。


彼女たちはそれを微笑んで指さす。提示された肖像画の中で微笑むのは、栗色の髪の善良そうな貴族の若者であった。少し鷲鼻で、目が飛び出て見えることを除けば美男子と言ってよい。


「あの、この方は……」

「それはそれは立派な方ですよ。今はフェサレアのねえ、貴族役人なんかにされてますけれど、元はカーレリンのお血筋正しい貴公子ですもの」

「いえ、その……」


マイヤは続きを言わせてもらえない。申し訳程度に用意された花茶のカップがかちんと音を立てるほど、貴婦人たちは身を乗り出して、


「名門ローゼン家の血を継ぐおうちのご子息なのですわ。代々高貴な血筋を受け継ぐ名家で、多くの偉大な人物を輩出してきましたの。お聞きになりましたこと、ありましょ?」


「家柄だけじゃありませんわ。彼の手元には相当な財産があると言われていますの。カーレリンの美しい庭園や資産をそっくりそのままフェサレアに持ち越したのですもの。きっと豊かで華やかな生活があなたを待っていますことよ」


「貴公子との結婚! なんて幸運な方ですこと。彼の財産はあなたの産んだ男の子に。女の子もたっぷりの持参金を持って、貴族に嫁げますわ」


まあ、なんてこと。なんてこと。貴婦人たちは声を合わせてコロコロ笑いあった。マイヤが喜び勇んで躍り上がったと言わんばかり。


古いカーレリンの貴族たちはフェサレアに吸収され、そのまま同化した者もいれば抵抗を続ける者もいる。彼女たちは夫がカーレリン復興のため働く騎士なのだという。


マイヤにとって家というのは小さなもので、夫がそんな危ないことをしていれば止めるのが妻というものである。だって子供に類が及ぶかもしれない。確かに亡国カーレリンのことを思えば飲み込み切れない気持ちもあるだろう、けれどせっかく拾った命ならば、夫には大事にしてもらわなければ。


それを――彼女たちはまるきり何も感じていないようなのだった。現状に不安や先行きの見えなさを感じてもいないようで、ふわふわと幸せに輝いている。マイヤは手のひらに汗がにじむのを感じた。


――この人たちとはあまりにも、話が通じない。と思った。


(新興宗教の勧誘みたい……)


くらくらしながら、それでもなんとか笑みを浮かべたのは、もしここで固まってしまえばものを知らない田舎娘よと馬鹿にされるだろうし、またユリウスにも悪影響が及びかねないと思ったからだった。今でもマイヤはユリウスが王子だなんて思ってもいないが、それでも周囲はそのように弟を扱うのだから。


「あの、ありがたいお話です。けれど私はただの平民です。ご貴族様と結婚できるような身分ではありません。それに父亡き今、弟と相談しませんことには私には何も……わかりません。申し訳ありません、ご厚意はありがたく頂戴いたしたいと思います」


とおどおど下から言ったマイヤに、貴婦人たちはぴたりと笑うのをやめた。まるで知らない国の言葉を聞いたかのように、珍しい果物でも見分するように、扇や手で口元を隠し、目元をなごませている。


(いやな感じ)

が、した。マイヤはお辞儀して、


「今は下がらせていただいてよろしいでしょうか。弟が、会議からいつ帰ってくるかもしれません。待っていてあげたいんです」


ええ、と鷹揚に頷いたのは一番年嵩の貴婦人である。いかにも貴族の奥方といった優しい目で、美しい手つきで扉を示した。


「よろしくてよ。さ、お行きなさい」

「ありがとうございます」


マイヤがほうほうの体で、としか言いようのない無様さで、慣れない新しいたっぷりした裾に苦戦しつつ扉に取りつくようにして、逃げ出すと、彼女が扉を締め切るのを待たないうちに部屋の中には上品な笑い声が再び満ちた。


――まあ……、まあ! 頂戴いたしたい、ですって。頂戴しとうございますと言うべきでしたわ。あの子ったらいったいわたしたちを誰だと思っているのかしら。まあまあ、あの子は王子様のお姉さまですよ! うふふ。ふふっそうでしたわね、元はといえば乳母の子なのに。アラ、乳母の子ですらないそうですわよ、お聞きになりまして?


ほほ。おほほ。うふふふふ。

マイヤはしょんぼり、廊下を回る。


館は四階建て、立方体の真ん中に中庭がある。ここがどこだかはまったく知らないが、二階の日当たりのいい部屋だったから、今は昼前だからたぶん元いた部屋はこっちだ。と、花を育てるのを好む小娘としての勘を働かせて、マイヤはそっちだと思う方に進んだ。


(なによあれ、感じ悪い)

と思う間にも、少しばかり涙が目に幕を張る。


(なんで私が貴族なんかに? 冗談じゃないわ。私はちゃんとした、職人かお店を構える予定の商人と一緒になるんだから。ユリウスの家の近くに住みたいの)


いつか赤ちゃんが生まれたら抱いてもらいたいのだ。父母にはもう無理だから、せめて弟にくらいはそうしてほしいのだ。


涙はすぐに引っ込んだものの、あの異様な同質性のある空気への恐怖は消えない。貴族の奥方とは、綺麗で優しくて下々のことを常に考えてくれる、女神様のお使いのような方々だと信じていた――ほんとはああなんだろうか、みんな? あれが本物の貴族の女の人、なのだとしたら、いったいユリウスはどんな階層の人たちに取り巻かれているのだろう。


――一刻も早く弟と一緒にここを逃げようと、決意した。


どこをどう間違ったか、たぶん階段を数え間違えたのだが、中庭にたどり着いてしまった。


「はあ」

マイヤは自分にため息ついて、少し休んでいくことにした。マリーゴールドの花壇は今日も綺麗。手入れに気になる部分はあるけれど、コヤでもそうだったように他人の花壇に無断で手を加えるのは重大なマナー違反だ。


花壇に近づきかけたそのとき、ふいに左手すぐの扉が開いてぎょっとした。館の扉はすべて分厚い木製で、その向こうの足音だの話し声だのをすべて吸収してしまうのだった。


驚いたのは相手も同じだった。


双子の少年が目を丸くしてマイヤを見つめた。ぴょこぴょこ動く狼の耳としっぽ。何故、草原の民の姿をした者がここに? と目が語る。


「あ、すみません。すぐ立ち去ります」


その目は使用人でさえもよくしていた、部屋の掃除をしてくれる小間使いでさえ時にはそうだったから、マイヤとしては日常のことである。ああ、またかと思って目を伏せると、


「いいえ、いいえ。お気になさらず」

「僕たちの方が後から来たんですから、お気になさらず、レディ」


双子は双子らしく同じ声で言い、礼儀正しく目礼をして、小首を傾げた。扉を抑える手は年に見合わず剣ダコで歪み、すでに大人の男のように幅が広く指も長い。


「あの、あなたはひょっとして、王子殿下の?」

「……ええ、ユリウスの姉です。マイヤと申します」

「ああ、やっぱり。兄の僕はリカ。アウレリオ家の一門だよ」

「僕はルル、弟の方なの」


二人は子供らしくぱあっと顔を輝かせる。すでに警戒の片鱗も見せないので、なんて懐っこい子たちだろうとマイヤは思う。こんなかわいい子、人さらに連れていかれないのかしら。


双子はあんまりにも邪気がなく、いっそ少女じみた純真な恥じらいがあって、くすくす笑うと本当に少女のようである。


「会議が終わって、ヒマになったの。ここは息が詰まっちゃうね、暗くて」

「中庭だけだよ、こんなにお花があるのは。マイヤもお花を見に来たの?」


子供たちはくるくるとマイヤの周りをまわった。嬉しそうに、しっぽをぱたぱたさせながら。


「ねえ、ねえ!」

と双子の――これはどっちだったろう、たぶん兄の方だ。


「王子殿下ってどんな方? 聞かせて!」


と、マイヤの手をとらんばかり。思わず後じさりするほどの勢いだった、ふくらはぎが膝の高さの花壇にぶつかり、マイヤはもう逃げられない。

「聞かせて、聞かせて! 忠義者のマイヤ!」


と、弟の方が笑う。

「ちゅ、忠義者?」


「カーレリンが滅びてからずっと、乳母やたちと一緒になって王子様をお守りしてきたんでしょ?」

「すごいよね、すごいよね、市井に隠された王子様、それをひそかに守り育てる乳母! きゃああ」


――なるほど、そういうことになるのか、とマイヤが純粋な驚きをもてあましているうちに、おそらくルルがきゃらきゃら笑って後手に腕を組む。


「主君を守って市井に潜伏するなんて、まるきり叙事詩の世界だよ。どうやったの?」

「殿下は【大森林】のそばでお育ちになったの? あのあたりでは森の露を飲むってほんと?」

「あのね、あのね。落ち着いてね」


マイヤは苦笑して、諫めるために出した手にさせ双子は頭をこすりつけてくる。利発で元気で線引きを知らない子たちなのだ、コヤの街でもこんな子はごまんといた。ただ身に纏うもの、耳としっぽが違うだけ。


それからはありきたりな子供の質問攻めにいくつか答えてやり、

「ごめんね、次の用事があるの」


とかなんとか、適当に言って逃げ帰ることにした。


双子は残念そうに、だが躾のいい子供らしい聞き分けの良さでマイヤを解放してくれた。


部屋に逃げ戻ったマイヤはぐったりしていた、なんだかもうすっかり、下がったばかりの熱がぶり返しそうだった。


貴婦人たちの声でしょんぼりした自尊心は、かわいい双子に慰められた。けれども内心の基盤として確かにあった貴族というものへの幻想が、粉々に打ち砕かれたのを感じる。


(コトヴァの殿様は立派な方だったし、ユリウスに包み隠さず全部教えてくれたけれど……)


ああもう。マイヤは両手で目を覆って、ハアっと息を吐き出す。今晩にでもここを出よう、ユリウスとふたりで。そうしてコヤに戻って静かに静かに暮らすのだ。さすがのお殿様といえど、貴族様といえど、あんな小さな街のちっぽけな姉弟のことを付け回すほどお暇ではあるまい。


両親の墓も心配だし、コヤがどのように復興していくのか、この目で見られないのも心配だ。必ず今夜、そうしよう。ええ、そうしよう。


と、マイヤは腹を決めた。悲しいことにコヤの街に人は戻ってこない。コヤはマーネセンとともに発展してきた、比較的歴史の浅い街である。住民は街や家に愛着はあれど、同じ【大森林】のほとりの街や村に縁故も多い。もしそれがなくても、都会に行けば職はある。


コヤの街がかつての賑わいを、花の香りを取り戻すことはこの先二度とない。


残酷な現実に、マイヤはいまだに気づかない――夢を見ている、といってもいい。この娘はいつだって夢を見ている。生まれた時からずっと、目の前のあるものごとから器用に視線をそらして生きてきた。そうなるはずはないわ、と不幸を受け入れなかった。その生き方しか知らなかった。


愚かであるのは罪ではないが、自分で自分を調教して愚かになり果てたことは罪である。


マイヤはそのことに、いつだって気づかない。


会議はもう終わったのだという。ならばあの二人の言っていた通り、ユリウスはもうすぐ帰ってくるだろう。


マイヤは衝立の向こうで着慣れない服を脱ぎ、いつも着ている簡素な平服に着替えることにする。胸元にはしっかりと、両親の一部がハンカチにつつまれ入っている。


……マイヤはもちろん、人狼が武力以外の武器を身に着けようと長年にわたる自己改造によって獲得した魅力のひとつに、耳としっぽをぱたぱたさせるかわいい少年たちがいる、とは夢にも思わない。彼らもまた貴族階級に息づくあまたの魑魅魍魎の一種であり、マイヤから聞き取った情報を当然、主に報告するだろう。


ユリウスが本当に対峙しなくてはならないのはそういう類のもので、それは悪意でも善意でもない。愚かなままでは対抗できないものだ。


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