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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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24/74

砦にて

***


目を覚ますと自分の上に深紅の布が広がっている、なんてことがあるのだろうか。ユリウスは身を起こした。実のところ内心、かなりパニック状態だったわけだが急に動けなかったのだった。自分の手を握る手があったから。


「マイヤ」

「ユリウス。大丈夫?」


姉は寝台のかたわらにひざまずき、ユリウスをのぞき込む。薄暗い。暗い色彩の彼女がそうしていると、ますます溶け込むようだ。


天蓋はたっぷりとした厚手の布でつくられ、前後左右を隙間なく密閉していた。さやさや鳴る金のふさの目が息を呑むほど細かい。影ばかりの空間で姉とふたり、息をひそめているなんて、まるで幼い頃のかくれんぼみたいだ。


「ここは?」

「お城、みたい。わからない。私には誰も何も教えてくれなかったわ」


と、姉は友達の意地悪を告げ口するように訴えた。


「でもお城なのは確かよ。お仕着せの人がいたから」

「怪我は?」

「平気。もう治ったみたいに痛くなくて、本当に治ったのかも」


と、包帯に包まれた足首を見下ろす。まったくいつも通りの横顔に、ユリウスはほっとする。


「あなたは? カインくんが……いなくても、平気?」


泣きそうに聞いてくるのが現実とそぐわない。だがいつものように苛立ちが沸いてくることはなかった。深呼吸して、ユリウスは目のふちをこする。


深紅の布の外から声がかかった。

「お目覚めですか」


びくっと飛び上がったマイヤを手で制し、ユリウスは声をあげた。


「はい。あなたは誰ですか?」


声の主は少し苦笑したようだった。


「侍従にございます。名乗るほどの者ではございません。お食事とお召し代えのご用意がございます。お開けしてよろしゅうございますか」


布に手をかける気配。どうやら拒否権はないようだった。


マイヤは立ち上がり、すすす、ユリウスの枕元に移動する。そこは小さな棚になっていて、見たこともないほど写る手鏡や銀の柄のブラシがこぢんまりと鎮座していた。


ユリウスが承諾すると、するすると布が開かれた。すでに部屋の窓は開け放たれ、今が朝だとわかった。一晩中、寝てしまったのだ。


部屋は家がまるごと入りそうなほど広かった。やっと気づいたが、この布団も汚れた着た切り雀の恰好で寝ているのが申し訳なくなるほど上等だ。マイヤが何やらもじもじしているので何かと思えば、スカートの裾が絨毯の敷かれた床につかないようにしているのだった。その気後れはよくわかる。


侍従の青年と同じ格好の青年たちが数人、入室し、あっという間に浴槽や着替えが用意され、お湯が運ばれてきた。ユリウスだけが入浴を促される。マイヤのことを誰もが見えないように振る舞った。そうした扱いを受けるいわれはなかった。


「姉も疲れています。彼女にも用意をしてやってください」

「その方のお世話は仰せつかっておりません」

【大森林】のエルフのように表情に変化がない、言い返せない口調で青年は言った。

「どうしてですか? 俺ひとりだけこんなふうにしてもらっても、受け取れないです。ここがどこだか、あなた方が誰かも教わっていないのに、何故姉だけを……」

「ユリウス、いいから」


マイヤは小声でユリウスの袖を引く。いつの間にかユリウスは立ち向かうように侍従の青年と対峙していた。青年たちは忙しく立ち働き、銀の盆に乗せた朝食が届いた。部屋の中央にある純白のクロスが引かれた円卓に据えられる。


「私のことはいいから。お心づくしよ、お受け取りしなさい」


ユリウスがしかめっ面で言い募る前に、音もなく部屋に入ってきた人がいた。初老の片眼鏡の男性で、いかにも執事然とした風格がある。


言葉もなにも必要なく、彼が手を振るとそういうことになった。もう一つの浴槽、お湯。もう一人ぶんの朝食。


青年の一人が腕まくりしようとしかけたが、執事らしい男がそれをやめさせる。ユリウスに一礼すると、彼らは去っていった。


いつまでも立ち尽くすわけにもいかず、それぞれに身なりを整え、腹を満たした。マイヤの白かった顔はみるみるうちに血色を取り戻した。


「一晩中跪いてたのか?」

「ううん、ちょっと寝たわよ」


……言葉通り、ちょっとなのだろう。


ユリウスに与えられたのはたっぷりの生地が広がるドレスシャツ、ぴっちりしたズボンに革ブーツで、どこに身体を入れればいいのやらわかりづらいほど豪華に見えた。森と鹿が描かれた衝立の向こうから出てきたマイヤは、形こそいつも通り上下一体のドレス姿だったが、若草色の生地のところどころに小花の刺繍があって、これは姉の趣味に合うだろうと思われた。


宝石のついたカフスボタンに苦戦していると、マイヤがするする寄ってきて手伝ってくれる。鏡で服装を見分するのも気が済んだらしい。


「素敵ね。こうしてみると貴公子みたい」

「姉さんも似合ってる」


まるでどこかで監視されていたように、実際そうだとしても驚かないが、わざと音を立てて扉が開かれる。深い赤色に装飾されたレリーフは鹿狩りを描き、小鹿の目に嵌められたエメラルドがぴかりと光った。最初の青年がそこには立っていて、


「ご案内いたします」

と礼儀正しく頭を下げる。


それで彼に案内され、ふたりは廊下を進んだ。開け放たれた窓があって光は十分なのだが、マーネセンの様子が見えるというわけでもない。おそらく中庭に向かって空いた窓なのだ。反対の壁には一切窓がないあたり、何か秘密を話すための屋敷、あるいは区間なのかもしれなかった。


色々観察しては思考するユリウスの一方、マイヤときたら窓から見える檸檬の木に気を取られ、飛び立つ鳩にぽけらっと見とれるばかり。仕方ないのでユリウスはマイヤのなるべく傍を歩くことにした。家族の気配なので、姉は警戒する素振りもないのだった。


その部屋の扉は一目見てわかるくらい分厚く、重厚な装飾が施されていた。扉が開かれると室内の紙の匂いと締め切った空気が頬を撫でた。促され、中に入る。背後で再びギィ、と扉が閉まり、ユリウスとマイヤは中庭を背負う部屋の中に取り残された。


大きな、家の食卓ほどもある執務机があり、男が一人、座っている。逆光で顔は見えなかったがやがて目が慣れた。


あの顎髭の騎士だった。老いてなお大柄な筋骨隆々の身体で、顔つきは厳めしい。難しい顔で書類を読み、ため息をつきながらサインをすると畳み、蜜蝋を垂らした。手つきは繊細だった。

背後でマイヤが石のように固まってしまうと、ユリウスはむしろ勇気を奮い起こすことができた。


「あの、」

「昨日はよく眠れましたか」

「はい、おかげ様で」


と、躾の成果というべきか、人の家に泊めてもらったあとだから、反射的にそう口に出してしまった。思わず顔が赤くなるほど、ユリウスはまだ若い。


「傷の具合は」

と老人はマイヤに顔を向ける。顔は穏やかな微笑みのまま、けれど若いふたりは敏感にその中にある感情を読み取った、あるいは捏造した――時折街中で見かける、ある種の……あれ。こう言っている顔。


――草原の民。【大森林】のほとりに住まわぬ民。


大陸中央部には広大な草原と砂漠がある。年々、草と砂と岩が互いに領地を取り合うようにして流動的に範囲を変える。そこには数多の種族、部族の人々が住み、過酷な環境に耐えて逞しく生存している。【大森林】を取り巻く国々は彼ら遊牧民の襲撃により、幾度となく危機に瀕した。

マイヤの顔が草原の遊牧民にとてもよく似ていることは、見ればわかることだった。このへんの人間じゃない、ということは。マーネセンは本当にあらゆる種類の人間が集う街なのに、その上層にいるであろう人の価値観はこうなのだ。


「おかげさまで、もう痛くありません」


とマイヤは上等のスカートの裾を広げて礼を言った。老人は頷き、ふさふさした顎髭に手を当てて目を細める。


「俺たちはどうして連れてこられたんです。あの矢を討ってきたやつらは誰ですか? ここはどこで、あなたは……」


ユリウスは勢い込んで聞いたが、それは自分でも少し性急すぎると思う態度だった。頭の奥で耳鳴りのような頭痛の破片が鳴る。


老人は眩しそうな顔をする。どっしりと落ち着いたままで、

「そうか。そうですな、まずはそれを知りたいでしょう。実に正しい」


大柄さや豪快そうな見た目にそぐわない、魔法使いのように理知的な声音である。いかにもユリウスを対等に扱おうとする意図があるかのように、まっすぐに目を見て、


「私はラルフ・リュサルール・コトヴァ。カーレリンの軍で将軍位を拝命しておりました。覚えておられるはずだ。違いますか?」


「……いいえ、俺はあなたを知りません。魔物の襲撃のあった日に、一度お見掛けしましたが、それがはじめてだったと思います」

「そうか……左様か。うん」


マイヤはハラハラなりゆきを見守っている。


「あなたを襲い、少年を殺したのは、おそらくネテロスと名乗る者たちです。十年前、カーレリン王国の小迷宮から逃亡した魔法使いたちの集った組織で、ダンジョンの謎の解明とその奥に存在する最も希少な魔石を求めて日々邁進している」


「冒険者のパーティー、ってことですか?」


「いいえ、そんな生易しいものではない。ネテロスはカーレリンのために生み出され、そしてカーレリン亡き今は目的もなく続いている、強い力を持った者たちです。危険な集団ですよ」

部屋の両壁には本棚と書類棚がそびえ立ち、みっしり詰まった古い本と手紙、紙束の埃で息苦しい。


「その、ネテロスがなぜ俺を。カインを」


「ネテロスはカーレリンを恨んでいます。国家そのもの、オウル王家そのものを。ハインリヒ王がご存命であれば王にさえ射かけたでしょうな。あなたの存在が彼らを刺激した。そして殺された少年は巻き込まれたといったところでしょう。ああ――そんな顔でお怒りになられるな。お父上によく似ておられる」


ユリウスは拳を握りしめ、息を整えた。


「……そんな、ことで、カインは」

「ご心中お察し申し上げる」

しばしの沈黙が満ちた。


「――ああ、先日はギルベルトが先走ったそうで、失礼をいたした」


と、突然にコトヴァが言い出したのは、話の矛先を変えるというより、過ぎたことはすでにどうしようもできないのだから、という達観があるように思われた。


数多の戦友、我が子さえも先に見送った老人の言う言葉は、重い。


ユリウスは顔を上げる。こめかみに汗をかいていた。


「ギルベルトの言うことは、否定しました。なんの覚えもないんです。俺は本当に、あの人が言ったような出自じゃない」

「なんのこと?」


とマイヤが呟く。忙しなく足を踏みかえ、胸元で手を組み合わせて大切な弟を凝視している。

コトヴァは静かにまっすぐ、彼らを見ていた。値踏みという温度ではなかった。奇妙な熱がユリウスをじっくり煮詰めようとしている。


「あなたは我らが主君の血筋です。正統なる王家の一員。王子であらせられる」


マイヤが息を呑む音がやけに大きく響いた。


「人違いです。俺はそんな人じゃありません。俺はあなたを知らない。そんな話は信じられません」


ユリウスは首を横に振る。背後でマイヤが固唾を飲んで話の行方を見守っている。将軍と名乗った男の目は群青色で、角度によってはマイヤのそれに似ていた。


「どうかご冗談をおっしゃいますな。私は長く王国に仕えてまいりました。あなたの父君のみならず、兄君方、他ならぬあなたご自身のご誕生にも駆けつけました。二番目の兄上の名付け親はこの私です。まだ幼いあなたを膝に乗せたこともある。あなたはようく懐いてくださったのですよ」


「繰り返しますが、俺にはなんの記憶もありませんし、お話に聞き覚えはありません。両親がちゃんといました、俺はアルフォンソの子です。戸籍もある。故郷もありま……した」


「――アルフォンソ!」


老人は痛ましげに眉を寄せる。彼がゆっくり立ち上がり棚に取りつくと、ますます埃が立ってキラキラ輝いた。彼は古い手紙の束を探し出し、


「御覧なさい、アルフォンソは王宮に仕える侍従の家柄の出でした。フランチェスカと結婚し、子が生まれるとほぼ同時にあなたが生まれ、フランチェスカがあなたの乳母に推薦された。アルフォンソはあなたの専属侍従として、誰よりも近しい護衛として仕えたのです」


「ソフィヤ……」


姉は小さく呟き、ユリウスの腕につかまった。


コトヴァが堂々と手紙を差し出したので、受け取らないわけにもましてや文句を言うわけにもいかず、ユリウスはその文字を読む。


確かに父の名前だった。宮廷侍従武官の名前リストの一番上に堂々と載っている。


横に小さく、妻子の名前もあった。フランチェスカとソフィヤ。

「……こんなのがあったからって、」


「でもお父さんもお母さんも時々不思議な話をしたわ。豪華な夜会やドレスの話を。字を読めない人も珍しくなかったのに、計算も暗唱も教えてくれた」


と早口にマイヤが告げるので、お前はどっちの味方だと詰りたくなる。


「だからって、あなたのいうことが真実とは思えない。今だって無理やり連れてきて」

「それに関しては謝罪申し上げる」

「俺をその、王子と思った理由はなんですか? 何も思い当たる節がありません」

「いいえ。私は人狼です。人狼は主を違えません」

「――人狼?」

「はい」


それは滅びかけた種族の名前だった。人狼はいっけん普通の人間の姿をしているが、夜になると狼に変身する性質を持つ。高等術である変身魔法を生まれながらに身に着けているという点で、特殊な種族でもあった。訓練次第で昼日中でも変身し、戦うことができる。古くから権力者に珍重され、護衛や兵士として使われることが多かった。だがその特別な血があだとなり、子孫を残すことが難しい。最近では純血の人狼はめったにいないと聞く。


「人狼は長年にわたり、他種族に寄り添って生きてきました。一度誓約した主のことはわかります、御身を見た瞬間に感じました。あなたは私たちと主従契約を結んだ一族の一員であると」

当たり前だがその種族特有の感覚について、他種族が理解することは難しい。人狼だってどうして人間がニンニクや玉ねぎを食べるのか、わからないに違いない。


「この確信については、ご理解いただけませんのでしょうなあ……」


老人は寂しそうに笑うと、窓辺により、締め切った窓を開け放った。吹き込んでくる中庭のほのかに花の香りがする風、ユリウスはほっと解放感に安堵する。


「あなたはハインリヒ王陛下のお子様です。そのことは私が保証申し上げる。しかし信じがたいというのも、その口ぶりを見るだに嘘ではない。あなたは――あなた方は市井で育ったのですな。本当の家族として」


コトヴァはふたりを眩し気に眺め、そっと大きなかたまりを吐き出すように、


「日の当たるところですべてお話ししましょう」

そうして、そのようになった。



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