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【完結】少年王と魔石の乙女  作者: 重田いの


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ネテロス2

マイヤはなんにも覚えていやしないのだった、自分がどこにいて何をしていたのかも、どうしてここに立っているのかも。


気づけば知らない小さな庭に立っていた。親切な小男の治療院の裏庭だ、と気づいたのは、少し足がよくなってから覗いたことがあったからだった。花があるかしら、と思って。せめて世話くらいさせてもらえたらと思った。けれどあったのは壁につたう蔓ばかり、鉢植えのひとつもありはしなかった。


ここは大丈夫なところだ、と納得できて安心した。それにしてもいったいどうして夜なのに、こんなところに立っていたのだろう? いやだ、夢遊病かしら。


打ち身が疼いて切り傷がずきずき痛み出し、痛み止めが切れたことがわかる。とにかく、寝台に戻ろう。まだ治らないし、歩く練習は少しずつにしないと悪くしてしまうと先生は言っていた。

そこで音と臭いに気づいた。とくに強い鉄の、腐臭が混じる臭気は強烈である。思わず袖で鼻を覆うと、


「――マイヤ!!」


叫んでユリウスが走り込んできたのは同時だった。


思わぬ姿である。仕事あがりそのままに、洗いざらししたチュニック姿。銀髪が乱れてほうぼうに飛び跳ね、小さい頃みたいだった。彼は息を荒げて裏庭に飛び込んでくると、マイヤに駆け寄り抱きしめた。少し骨が軋むほどの強さである。


「いたいっ」

「あ、ごめん」


相手の目の色を見つけるとお互いほっとした。


「何が起きてるの? 私、どうしてここに……」

「何も覚えてないのか?」

「うん」


とにかく、とユリウスはマイヤの手を引く。


「表に出よう。話はそれからだ」


この治療院は古い建物で、裏庭に出ると袋小路という設計である。建物があとからあとから造建築された街ではよくあることだった。


内部の血の海の様相にマイヤは絶句したが、ユリウスは唇噛み締めて先を進む。死体の山をかき分けるかのような、凄惨な短い道行きである。マイヤの冷たい手はユリウスの手を握って離さない。彼女は周囲を見るに堪えず、弟の手と背中だけを見て進んだ。


ようやく表に出たときの解放感。マイヤはなるべく早くこの場から離れようとしたが、ユリウスが押しとどめた。


「よろめかずに歩ける?」

「ええ、もう大分」

「わかった。じゃあこっち。ついてきて」


と選んだのはマーネセンの裏の裏、古く汚くいかがわしい界隈へ続く道である。やんわりと、だが拒絶できない強さで手を引かれてマイヤは慌てて従った。抗うすべはないし、そもそも弟がこいと言うならマイヤは行くだけだ。お姉さんなのだもの。それでもさすがにこれだけは、と叫ぶように言った。


「警邏兵を呼ばなくていいの? だって、みんな――みんな、」

「警邏も騎士団も来てくれやしないよ。今は手が離せるときじゃない」

「でも、」

「コヤは小さい街だったから、兵士の目も行き届いた。でもマーネセンじゃ日常茶飯事だよ、押し込み強盗があった一週間もあとに死人が発見されるなんて」

「でも……」


マイヤは軽く錯乱状態である。無理もないことだが、それに優しくできる余裕は今のユリウスにない。


「いいからいうこと聞けよっ」


と抑えた声ながらも怒鳴ってしまい、あくまでしんとした裏通りに叱られたような気分になる。表通り、酒場がおおい区画から聞こえるどんちゃん騒ぎの音と声は、どこかしんみりと死者を悼む様子が滲む。


街はまだ、安全ではない。小さな魔物、思いがけない大きな魔物が相当数入り込み、まだ発見されていない数はそれなりと思われた。今日はいい夜だが、酒場も娼館も扉を閉ざして内輪で楽しんでいることだろう。夜は魔物が活性化する。


肩越しに振り向き、汗ですべる手の中に姉の手の感触を感じながら、


「少し前から変なんだ。このままだとふたりとも殺される」

「何をいうの。何を言い出したの、ユル」


「安全なところに行くんだ。少しでも安全なところ。俺とお前を守ってくれる、かもしれないところ」

「悲しみで気が変になったの?」


彼はマイヤの手をぎしりと握りしめた。痛がるのを承知の上だった。


「カインが殺された」

「え?」


「少し前は変な男が俺を――俺は俺じゃないという。たぶん、俺の、俺たちの手には負えないことが起こっている」


「待って、カイン君? こないだお見舞いに来てくれた子? どうして、あの子がそんなことに……ダンジョンに行ったの? そこで魔物に?」


ユリウスはため息を押しこらえる。


昔から、姉に細かいこと複雑なことを説明するほど難儀だったことはない。マイヤはひとつのことに納得しない限り次に進めないし、そのせいで森の女神の聖なる教義の理解さえおぼつかず、表面的な理解に留まっている。その結果コヤの街やその価値観に忠誠ともいえる愛着を持ち、ごく純朴に生きる結果につながったのはいいが、こんなときにはその愚鈍な繊細さはいっそ邪魔でしかない!


「ギルドに保護を求めるんだ」

「ギルド? 冒険者ギルド?」

「ああ」


ギルドに登録がある冒険者は、たとえ下っ端でもその保護、管理下に置かれている。冒険者同士、あるいは商人や一般市民とも衝突を緩衝する役目も、ギルドは果たしてくれる。荒くれからクソガキまで多種多様な種族の冒険者たちをまとめるには、そのくらいの度量で受け入れてなければならない、ということなのだった。


「これから、ギルド局に駆け込む」

「お城の、ッハァ、真下にあるところね?」

「そうだ」


マイヤの息が上がってきた。ユリウスはやや足を緩めたが、周囲を見渡し矢羽の音を気にするのはやめなかった。


「命を狙われてると言って……カインの死体を見ればわかってもらえるはずだ」


「その、それ、ほんとうに? ほんとうに死んじゃったの? あなたの見間違いではないの?」


ユリウスはますますマイヤの手をとる手に力を籠めることで、返答の代わりにした。

薄暗がりの直角ですらない角を曲がったとき、


「ま、及第点かな」


と聞いたことのある声が上から降ってきた。頭を上げる余地もなかった。マイヤの悲鳴が響いた。


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