嵐の前の静けさ
「すいません。六番便水お願いしまーす」
留置所の独房にいるヘンリーは、用を足したあと力なく叫んだ。
汚物を混じった渦巻きと共に、トイレの水は流れた。
「センゴクを殺す」
ヘンリーはそう呟いた。ヘンリーは数々の変事を起こしてきたが、身に覚えのないタイガーマスクの事件でどうにかされるのは勘弁だった。
タイガーマスクは既に殺すリストに入っているが――センゴクもその中に入っていた。
「あのやろう。オシンを老化させるし。それに捕まる時に俺のことをぼこぼこにしやがって許さん。絶対に許さんぞ」
「平和だー」
センゴクは妹が書いたライトノベルを読んでいた。男の子が主人公でボーイミーツガールで、現代を舞台にしたファンタジーだ。挿絵が可愛らしい、ただあとがきでテンションの高めの妹に、センゴクは若干ひいた。
「でも、大丈夫なの? ヘンリーのこと」アッシュがジョーダンから投げられたソフトボールをミットでキャッチした。ここは学内の中庭である。
「一応根回ししたから、学校内の騒動はもみ消されると思うよ」
センゴクは良心の呵責から、ヘンリーの学内での悪行について口を塞いでおくように皆に言っていた。女のほうは簡単だったが、男のほうの中にいたヘンリーに彼女を奪われたやつらを説得するのは大変だった。ヘンリーから女を分けてもらうことで説得したが、それが実行されるかはヘンリーしだいだった。
「で、写真は焼いた?」
「おう。ちゃんとパソコン室でタダでね」
センゴクはライトノベルをおいて、鞄から数枚の写真を取り出した。
そこには学長の写真など、学校内の大物と金髪のかつらを被ったアッシュまたはコスプレしたジョーダンと手をつないでいる写真があった。
「俺と日暮で協力して撮ったんだけど、きちんと取れたのはこれぐらいだ」
アッシュがボールをジョーダンへ投げて、センゴクが置いた写真を見た。
「金髪もいいな」アッシュが自画自賛して言った。
「これいい! 俺のコレクションにしていいか?」美青年にして美少女のような風貌のジョーダンの趣味はコスプレだった。
「駄目だ。これは脅しの道具なんだから。二人ともお疲れ」
ヘンリーが捕まってからセンゴクの行動は早かった。
アッシュとジョーダンの美人局爆弾は、無理やり学長どもの腕に巻きついていったのだ。
現像されていない写真の中には、軽く争っているのもあった。
「俺がタイガーマスクだったことは俺とジョーダンとアッシュと俺の妹ぐらいしかいないけど、これはマジで喋るなよ。言っとくけど裏切ったら、脅しに参加したとして道連れにする」
「しないよ」アッシュが不機嫌そうな顔をしていった。心外だったようだ。
「アッシュじゃなくて、ジョーダンだ」
「な、な、なんで俺?」
「お前は口が軽すぎなんだよ」
「うー、反論できない」
「ところでさ、ジョーダン。前から聞きたいことがあったんだけど」
「何?」
「クリスマスにサンタの衣装をしている女の子がいるじゃん」
「いるよ。俺も去年は女のフリをしてケーキ売っていたし」
「コスプレってコスチュームプレイだろ? サンタクロースの格好をしている女の子とセックスしているAVがあったら、見ている人はサンタとやりたいと思っているの?」
「そうです」
「違うだろ!」アッシュが女なのに男の代弁をしてくれた。
「多分だけど、サンタって聖人だろ? ザビエルと一緒で」
「まあ、なんでそこでザビエルを出すか分からないけど。そうだよ聖人だよ」アッシュはハーフだ。キリスト教に造詣は深かった。
「セイジンだもんねー。性人だもんねー。メリークリ○リスだもんねー」
女の子の前で今日も最低なセンゴクだった。
「メリーの意味知っている?」アッシュが呆れながら言った。
「えっ、メリー?」=センゴク。
「メリー……」=ジョーダン。
「答えはWEBで」
「ちょっ待って!」
「言えよ!」
「陽気な、愉快な、お祭り気分か……」
センゴクはパソコンでメリーを検索していた。
「どうしたの?」妹がセンゴクに聞いた。
「メリーの意味」
「メリー・ウイドゥってのは陽気な未亡人って意味だもんね」
「カクテルにあるな……ってお前未成年だろ」
「心は大人です」妹が片手を伸ばして本をとった。中身は酒の種類がいっぱい書いてある辞書のようだった。「本を書く上での資料です」
「なるほどね。つーか
メリーの意味がそうだとなると。メリークリ○リスは、陽気なクリ○リスってことか。淫乱っぽいな」
「なんでそういう中学生レベルのシモネタが好きなの? 私女の子だからね!」
「忘れていた」
忘れんな。
「あーそうそう。今度(写真のお礼として)俺の友達がこの家で飲み会をするから、そのつもりでね」
「えー、酒臭いのいや」
「問題は布団なんだよな……」センゴクはぶつぶつと呟いた。
センゴクは玄関を振り向いた。
目が点になっている。
妹がセンゴクを見て首を傾げた。
「まずいっ! 早く隠れろ」
センゴクは妹を軽々持ち上げた。
「きゃっ! 何するの。胸触っている。尻触っている。そこ股間だって!」
「うっせぇっ!」
センゴクは押入れを空けて、妹を投げ入れた。
「いったいどうしたの?」
「姉ちゃんだ! お前を探しに来たのかもしれない」
センゴクは姉ちゃんの足音を覚えていた。それは本当に玄関の扉の前まで来た。
「布団を被っていろ。絶対に声を上げるなよ」
ピンポーン!
ピンポンピンポンピンポン!
「セッちゃん! いないの!」
姉ちゃんが扉をどんどん叩いた。
ボロイせいで部屋中が震えている。
「いないよー」
「いるじゃねぇか! 開けろ!」
センゴクはしぶしぶ玄関まで向かった。
鍵を開けた。
赤い眼鏡をかけ、髪をロングのストレートにした姉ちゃんがいた。足は黒いタイツを履き、ハイヒールが片方折れているようで手で持っていた。フリーターをしながら職探しをしているセンゴクの姉ちゃんだった。
「寒い! 寒い! ごめんね。セッちゃん。お風呂沸かしてくれる?」
「帰れ」
「冷たいなセッちゃん。今日の気温も冷たいけどね。あははっ」
センゴクは苦い顔を何とか抑えた。風呂場へ行って、小さな湯船にお湯を貯めた。
「きゃああああ!」
センゴクは急いで戻った。
そこには――。
「か、彼女?」
「あっ、どうも……」
押入れから布団を取り出している姉が、押入れから出てきた妹にビックリしていた。