二十七 血に染まる宵闇
根岸を倒し、故郷に帰ってからひと月。
吉之丞は熱烈な歓待を受け、どこへいっても下にも置かない扱いを受けた。
辛く厳しい旅路とは一転したその扱いに、吉之丞は大層気を良くし、連日、街で娘を引っ掛けては酒を呑む日々を送る。
夜も更けた人通りの無い道を、吉之丞は赤らんだ顔で女の肩を掴みながら上機嫌で歩く。
「ふう…… いい料亭だったな」
隣を歩く女もにこりと微笑みながら頷いた。
「ええ、ご馳走になりました」
ニヤリ、と笑みを浮かべながら吉之丞は女の顔を見つめる。
「今晩はお前の親は留守だったな? では早速……」
「ふふ。いけないお人ですね」
女の艶のある髪を撫でながら、吉之丞は気の抜けた笑みで呂律の回らない口調で言う。
「いいではないか。みんな、俺と遊ぶのは楽しいと言う」
女は笑いながら、吉之丞の腕を掴んだ。
「ねえ、吉之丞さま。貴方が悪鬼を斬った時のお話が聞きたいわ」
「またそれか。やれやれ」
吉之丞はため息を吐きながらも、口角を上げる。
泰平の世の女たちは、血生臭い話に飢えている者も少なくなく、根岸を討って帰ってきたと評判の吉之丞がもてる要因でもあった。
吉之丞は得意そうに、思い出すような素振りを見せながら語り出す。
「悪鬼根岸は、偉大なる俺の叔父を斬り、仇打ちにきたその息子ですら、切り捨てた残虐なる男だった。怒りに震えながら俺は奴を探し続けたよ」
「……へえ 恐ろしい男なのね」
「二年間、奴を追い続けその姿を見つけた時、俺はその怒りを爆発させた。『我が一族の誇りにかけてお前を斬る』とな」
ますます回る舌で吉之丞は、まるで本当にあった話のように語る。
「奴は鬼のような表情で斬りかかってきた…… 俺は次々と迫り来る奴の斬撃をかわし、漸く首に一撃をくらわしてやったよ」
頬を紅潮させながら女は聞き入る。
吉之丞はますます上機嫌で、根岸を討った顛末を続ける。
「地に倒れた奴は、無様にも命乞いをしてきやがった。『頼む、助けてくれ』とな。俺は『今更見苦しいぞ、根岸! あの世で叔父に詫びよ』と首を刎ねてやったのだ」
女は顔を赤らめながら、感心したように頷いた。
「相変わらず、何度聞いても面白いわね。貴方のお話は。毎回違って面白いわ」
眉を顰めながら、吉之丞は女を見つめた。
「何? 疑っておるのか?」
「まさか。冗談よ」
その時、冷たい声が宵闇に響いた。
「おい、小泉吉之丞だな?」
足を止め、振り返ると編み笠を被った男がいた。
自分の名前を不遜に呼ぶその男を不審に思いながら、鋭い声で吉之丞は尋ね返す。
「何だ貴様は?」
しかし、冷たい声の主は淡々と同じ質問を繰り返してくる。
「吉之丞か、と聞いておる。間違いないか?」
むっとしながら吉之丞は編み笠男を睨んだ。
女はすっかり怯えて、吉之丞の背へと隠れている。
「如何にも俺が小泉吉之丞だ。おい、何者だ? 怪しい奴め」
編み笠を外し、男は額に傷のある顔を見せ、冷たい目で見つめてくる。
「私は原川流古武流、原川太一郎と申す。立ち合いを願いたい」
我が耳を信じられず、吉之丞は原川の顔を見つめる。
「は? 正気か? いきなり何を言う! お前、私はあの小泉吉之丞だぞ?」
「知っている」
そう言いながら原川は刀の柄に手をかける。
冗談を言っている風でも、酔っている風でも無さそうだ。
すっかり酔いが覚め、吉之丞は後退りしながら、必死で説得する。
自分がすごめば、どんな輩も逃げ出すというのに、この男には通じない。
「……おい 頭を冷やせ! この泰平の世で斬り合いなぞして何になる! 何のつもりだ⁉︎」
「根岸先生を斬ったという貴様の腕を確かめたいのだよ。一つ付き合ってもらおうか」
原川が抜刀すると、女は悲鳴を上げながら逃げ出した。
オロオロしながら吉之丞は手を振って、必死に言葉を絞りだす。
「ば、馬鹿な事を申すな! 理由もなく勝手に斬り合いなぞ出来るか! もし何かあれば貴様の家も取り潰されるぞ⁉︎」
「承知の上だ……」
闇に鈍く光る刃に息を呑みながら、吉之丞は唖然として立ちすくむ。
(この男は狂っているのではないか⁈)
原川は無表情で、吉之丞の情け無いその態度を咎める。
「どうした? 刀を抜け。来ないのなら……」
「ま、待て! よし、貴様には真実を話そう!」
吉之丞は息を吐きながら、冷や汗を拭う。
真実を話せば、この狂ったような男もわかってくれると思ったのだ。
この際、命には代えられぬ。
自分は根岸を手にかけていないと伝える事にした。
「私の腕は大したものでない! 勘違いしてくれるな! 根岸は暗殺者を雇って殺したのだ! 誰にも言うなよ?!!!」
一瞬の静寂の後に、原川はますます冷たい目で吉之丞を睨んできた。
「……ふざけるな」
「は?」
静寂の闇に原川は怒りを爆発させた。
「ふざけるなァァァァ!!!」
「ひぃ!?」
肩を震わせながら、原川は刃を手にますます迫ってくる。
その顔は般若のごとく、怒りに塗れ、今にも刃を振り下ろさんとしていた。
へっぴり腰で吉之丞は抜刀するが、力の差は歴然であった。
「汚い手を使って根岸先生を殺しておいて、あれだけの愚弄をしたというのか⁉︎ もはや許せん‼︎」
「ま、ま、まてぇ‼︎ お、落ち着けぇぇぇぇ‼︎」
吉之丞が必死で叫ぶも虚しく、闇を鈍色が一筋駆ける。
肉の裂ける音の後に、首筋から血を吹き上げながら、吉之丞はその場にどうと倒れた。
赤の雨を浴びながら、吉之丞は虚な目で闇を見つめて呟く。
「……根岸先生」
やがてまもなく、役人たちが続々と駆けつけてきた。
女が呼んだのであろう。
「いたぞ! おい! 何者だ⁉︎ 貴様!」
そして、凄惨なその光景を目にして誰もが驚愕する。
名門の子弟が血に塗れ倒れ伏しているのだ。
「ああ⁉︎ 吉之丞どの⁉︎ なんということだ‼︎」
「おのれ! 不逞の輩め! 縄で縛っておけい!」
そうして、原川太一郎は捕らえられる。
吉之丞の哀れな骸は、赤い血に塗れて虚な闇を見つめていた。




