二十六 修二郎の涙
その日、宿に矢文が届き、修二郎と吉之丞は急いで書かれていた場所に向かった。
森をかき分け、一心不乱に急いで行けば、そこには地を真っ赤に染めた遺体があった。
言うまでもなく、根岸新之介の遺体である。
首は桶に詰められ、真っ赤に染まった胴は側に仰向けに倒れていた。
驚愕の後に彼らはこれで復讐を遂げた、と歓喜の声を上げた。
それから一週間、悲願を果たした彼らは故郷を目の前にしていた。
馬上から吉之丞は聳える山を指さす。
「……叔父上 故郷の山が見えて来ましたよ。もう随分と目にしていなかった景色に御座る……!」
そう言いながら、吉之丞は涙ぐむ。
無理もない。
彼にとって、辛く終わりの見えなかった旅を終え、二年ぶりに目にする故郷の風景であるのだから。
修二郎も眩しそうに目を眇めながら故郷を見つめる。
「ああ。本当にご苦労だったな、吉之丞。思えば二年。お前はよく頑張ってくれた。誰がなんと言おうと、お前が根岸を討ったのだ。兄も善助も、冥土で喜んでおる事だろう」
「……うう 叔父上」
堪えきれず、吉之丞は涙を流し始めた。
後に付き従う中間(※)たちは、塩漬けにされた根岸の生首の入った桶を掲げながら、ある者はもらい泣きし、ある者は目を閉じて頷く。
修二郎は甥の背を叩く。
「これ、そのような顔で帰る気か。しっかりせい」
「はい…… 申し訳御座りませぬ。思わず……」
根岸を首にしたあの日の事を思い返す。
根岸の首を回収してから、約一刻の後、矢文が再び届き、指定の場所である、町外れの無人寺に大金を置くと、いつの間にかその金は消えていた。
これで、誰がなんと言おうと、根岸新之介を討ったのは吉之丞ということになる。
「改めて申すが、よくぞ怨敵根岸新之介を討ち取ってくれた。掃部の弟として礼を言う」
「叔父上……!」
「お前には次代の小泉家を担って貰わねばならぬ。しっかり頼んだぞ、吉之丞」
「はい‼︎」
泣きながら笑みを浮かべる吉之丞に頷き、修二郎は故郷の空を見上げる。
(やりましたぞ、兄上……! 悪鬼根岸を首にしてやりました……! さぞ悔しかったことでしょうな。ゆっくりお眠りくだされ)
兄と根岸の因縁を思い出しながら、修二郎は馬上でふと目を瞑った。
◇
円古流の当主の座をかけて争い、敗れた日の夜、腕を折り帰ってきた勝之丞を見るや否や、堀家の当主である父は驚愕と共に怒鳴りつけた。
「勝之丞! それは何としたことじゃ!」
口を真一文字に引き結びながら、勝之丞は無表情で答える。
「……馬から落ちました どうということは御座いませぬ」
父はますます激昂しながら、肩を震わせ声を荒げた。
「嘘をつけ!! そんな事はあるか!! そうか! あの貧乏道場の仕業だな!! おのれ! 潰してくれる!!!」
勝之丞は思わず叫ぶ。
「やめてくだされ!!! 父上!!!」
今までにない息子の剣幕に驚きながらも、父は憤懣やる方ない様子である。
「勝之丞!!! 何をいうか⁉︎ 腕まで折られて庇いよるか!!!」
負けじと勝之丞は強い語気で言い放つ。
「立ち合いに敗れた腹いせに、権をもって道場を潰すなど卑劣千万!!! 恥の上塗りに御座る! そんな事をすれば私は父上を許せませぬ!」
「勝之丞!!! 貴様の為であるぞ! しかも父に向かって左様な口をききよるか‼︎」
顔を真っ赤にしながら、言い争う二人を家人や中元たちはオロオロしながら見守っていた。
修二郎もその内の一人であった。
勝之丞は最後にこう言ってその場を後にする。
「勘当も覚悟に御座る。ですが、くれぐれも堀道場に手を出されることの無いよう……!」
結局、勝之丞の剣幕に折れたのか、父は堀道場に手を出すことなく、その事件はその場限りで立ち消えになった。
勝之丞が良家から嫁を貰い、嫡男も青年になった頃。
坂山藩にたちの悪い疫病が流行した。
多くの者の命を奪ったその疫病は、根岸の妻であるおさとを病床へと追いやったという。
勝之丞はそこで意外な行動に出る。
おさとを救うため、堀道場に赴き、根岸に会うというのだ。
かつての因縁を知ってはいたが、まだ思いを断ち切れていないのか、と訝りながら、修二郎は兄を止めた。
「兄上、わざわざ兄上が足を運ぶ必要は御座いませぬ!」
しかし、勝之丞は頑なな表情で首を横に振った。
「そうはいかん。根岸というのは頑固な男だ。私が直に話さないと説得に応じぬだろう」
憮然とする修二郎に勝之丞は諭すように言う。
「修二郎。お前の言いたいことはわかっておる。それでも、私は後悔したくないのだ」
「兄上……」
その後、意気消沈したかのように帰宅した兄を見て気の毒に思ったことも覚えている。
おさとが亡くなった日、密かに街外れの森に蹲っていたことも……
◇
故郷の街が見え始め、中間たちと楽しそうに話始めた吉之丞から見えぬところで、修二郎はそっと目頭を拭う。
散々苦杯を舐めさせられ続けた兄の苦悩と屈辱を思い、修二郎は思わず涙を流したのだった。
(兄上……! 根岸の態度はさぞ歯痒かったでしょうな…… 悔しかったでしょうな…… どうか安らかにお眠りくだされ)
※ 中間とは
武士の召使いのような役職。
門番や荷物持ちのような雑用を担います。




