二十三 隣人からの殺意
薄く茜が差し始め、樹々が小鳥の鳴き声に揺れる。
根岸は勢二郎の顔を見つめながら、また一歩後ずさった。
今聞いた言葉が信じられず、戯れだと思い込もうとするが、勢二郎の冷たい眼差しが本気であることを伝えてくる。
「……⁉︎ 突然何を言われますか? 酔っておられるのか? 雨野どの⁉︎」
「至って正気だし、俺は本気だぜ、根岸さん」
柄に手をかける勢二郎の表情は冷たく、根岸を見据えていた。
根岸は首を振りながら頭を下げる。
「勘弁してくだされ…… 拙者の差している刀はいわば飾りに御座る。いったいどうして貴方が拙者と立ち合いたいなどと言い出したのか知らぬが、拙者には武術の嗜みは一切御座らぬ。どうかご勘弁を」
「惚けるなよ、根岸新之介」
静かだが、刺すような勢二郎の声に辺りの空気がひりつく。
勘の良い小鳥たちが殺気を感じたのか、枝から飛び立っていった。
「お前は自分の剣友を斬り、故郷を逃げるように飛び出した」
びくり、と根岸の肩が震える。
舞い散る木の葉でさえ、凍りつくような空気に朝の光が揺れた。
「そして、追ってきた友の息子さえ返り討ちにし、更に流れ流れてこんな江戸のドブ街にまでたどり着いた」
勢二郎はますます俯く根岸に、抜刀した切先を突きつけた。
「そうだろ? 根岸新之介。大層な腕の持ち主らしいじゃねえか」
その言葉に目の前の男は過去の全てを知っていると判断する。
根岸は地に頭を突くと、心より詫びた。
「……どうか、ご容赦を 拙者の過去をどうやって知ったのか、聞く権利も、返す言葉も拙者には御座いませぬ。気に入らぬなら、今すぐ拙者は貴方の前から消えましょう」
勢二郎は頭を振り、一旦構えを解くと諭すように根岸の背に語りかける。
「そうじゃあねえんだよ、根岸さん。アンタが誰と揉めようが、誰を斬ろうが俺たちは気にしてねえし、そんなこと関係ねえ。アンタの罪には何の感情も抱いちゃいない」
ならば、なぜ、と尋ねるように根岸が顔を上げる。
勢二郎の目は真っ直ぐに道理を解いた。
「でもな。俺は、いや、俺たちはアンタを斬らなきゃいけねえ。そういう仕事を請け負ってるもんでね」
……理不尽な道理を
根岸は首を振りながら立ち上がると、不思議なその道理を理解しようと努めた。
「……何を仰っておられるのか、分かりませぬ」
はっ、と息を吐き根岸は思い当たる。
「まさか…… 修二郎どのの差し金か? あの方は兄を慕っておられた……」
「さあなあ。ただ、俺たちはアンタを今から殺す。何の感慨もなく。対価と引き換えに。何故ならそれが仕事だからだ」
冷や汗が一筋流れ、緩い風さえも冷たく感じられた。
根岸はドブ街の冗談のような血生臭い噂に思い当たり、影の差す勢二郎の無表情を見つめた。
「そうか…… 貴方がたが、ドブ街の噂の鬼であったのか……」
隣人たちが殺し屋であったことに気づき根岸は一瞬頭が凍ったように感じた。
勢二郎は状況を察した根岸を見据え、再び切先を突きつける。
「わかったら、刀を抜き、構えな。さっきのがアンタの最後のメシだよ、根岸さん」
しかし、根岸は驚愕もあるが、戦う気は全く湧いてこない。
諭すように説得しようとした。
「何故だ……? 厚かましいことを言うつもりはないが、卓まで共にした仲ではないか。拙者をよりによって貴方たちがわざわざ殺しにくることはないであろう⁉︎」
「こういうのは感情の問題じゃねえんだ。根岸さんよお。金があり、筋さえ通ってりゃ、俺たちは子ども以外は殺す。そういう外道なんだよ」
暫く目を閉じ、考えていた根岸は首を横に振り、息を吐いた。
「……断る お前たちが何者であろうと、恩人には変わりない。刃を向ける気はないので、斬りたければ斬るがよい」
実際、根岸はもはや彼らになら斬られてもいいとさえ考えていた。
背を向け、去ろうとする。
「また逃げるのか? 根岸新之介。そうして、追っ手が来る度に返り討ちにするのか。何人その手にかける気だ? 飽きるだろ。もうここで終わらせねえか?」
「……失礼仕る 子どもたちには申し訳ない」
背を向け、歩き出した根岸に勢二郎は更に煽るような言葉をかけた。
「じゃあ、こうしてやる。堀円古流つったか? アンタの流派を俺が叩き潰してやる。元当主なんだろ? 逃げれば、お前の流派をクソ弱えって喧伝してやるぜ」
「……雨野どの」
根岸は振り返る。
更に冷たい眼差しが根岸を計るように見つめてくる。
ぶっきらぼうだが、気のいい隣人ではない、明確な敵意を持った刺客がそこにいた。
薄笑みを浮かべ勢二郎は姿勢を低く構える。
「そうだ。無道な悪党がお前の師も弟子も、侮辱してやがるんだ。全力で守りにこいよ、根岸新之介」
「どうしても、か……!」
根岸は抜刀し、青眼に構えた。




