十九 善助の哀れなる最期
根岸は小泉掃部を斬ってから、故郷を飛び出し逃亡の旅を続けていた。
ある時は農作業の手伝いをしながら、またある時は重い荷を積み込む作業を手伝いながら何とか食い繋ぐ生活である。
当然、決まった住居もなく、星空を仰ぎながら眠る夜も数えきれない。
もう、根岸にかつて名門道場の師範であった矜持は微塵も残っていなかった。
しかし、そんな側からみれば情けない旅を続けているうちに根岸自身が気づいたことがある。
自分の生き根性の汚さに、である。
(俺は、このような泥水を啜る生活を続けながらも、死にたいとすら思えない。大切な者を失い、友を斬る、という大罪を負ってまで、どうして生きたいかは分からぬ。しかし、なんと情けない生き様であろうか……?)
根岸は己の生き様を見つめ直し、苦笑する。
そんな当て所ない旅を続けて一年。
根岸は仙台のとある旅籠で住み込みの仕事をしていた。
今日も宿の主人にぞんざいな物言いでこき使われる。
「根岸さん、そこの机さっさと片付けてくんな」
「分かりましてござります」
主人は胡座をかきながら、帳簿をつけ根岸の返事に舌打ちをする。
「全くグズな野郎だぜ……」
そんな主人の女房は少しばかり根岸に同情的な態度であった。
「あんた、ちょっと根岸さんにキツくないかい?」
「ふん! あんな素性の知れん奴に寝床とメシを与えてやってるだけありがたいと思ってもらいてえね!」
「手厳しいねえ…… 鈍臭いけど懸命に働いてくれてるじゃないか」
旅籠の主人夫婦がそんな会話をしているうちに、食事をとっていた客の一人が雑用をしていた根岸を呼び止める。
「おう、そこの。注文をとってくれぬか?」
根岸は戸惑いながら、客に向き直る。
給仕係は別にいるので、自分にそんな事尋ねないで欲しい、と思いながら根岸は眉根を密かに寄せた。
「へい、お待ちを。拙者はただの掃除係でござって……」
「まあちょいと、こっち来て話聞いてくれよ、店員さん」
「あんたに用があんだよ、なあ」
長机に複数名いる連れらしい客たちは機嫌悪そうに、根岸を手招きする。
仕方なしに根岸は彼らの席へと近づいていく。
「はあ…… いったい拙者に何用で」
訝しげに根岸は客たちの顔を見回すが、一番近い席の男が不意に懐に手をやる。
「アンタを探してたぜ? なあ! 根岸新之介!!!」
「……ぐっ⁉︎」
いきなり取り出した短刀で斬りかかってきた男に、根岸は咄嗟に反応し後ろに飛び退る。
根岸は腕にかすり傷を負うだけで済んだ。
不意打ちは躱したが、この男たちは何者だろうか?
男たちは一斉に立ち上がり、根岸を睨みながら各々が用意していた袋から武器を手にする。
「ちっ! 仕留め損なったぞ! 構えろ!」
「殺せ! 根岸新之介で間違いないぞ!」
根岸は男たちを見回し、冷静にその手に持つ武器と人数を数える。
一、ニ、三、四、五……
それぞれの手に弓矢や刀を持ち、殺気の篭った目で根岸を睨んでいた。
別席で食事をとっていた他の客たちはその騒ぎに戸惑いながら、ある者は逃げだし、ある者は野次馬となる。
「……なんだ⁉︎ なんだぁ⁉︎ 何を暴れてやがる⁉︎」
「うわぁぁぁぁぁ⁉︎ 喧嘩か? 殺し合いか?」
根岸は鋭い声を発して男たちに威嚇する。
「辞めよ‼︎ 店で暴れるな! お前達は何者だ⁉︎」
男たちのうちとりわけ若い一人が、根岸を睨みつけ前に出る。
「黙れ‼︎ 根岸新之介! 心当たりはあろうが⁉︎」
その顔立ちにかつての友の影を重ねて、根岸は息を呑む。
「……まさか貴様らは」
怨嗟のこもった目で、その若い男は根岸を睨みつけた。
「そうだ! 俺は小泉善助! 貴様に斬られた小泉掃部の息子である!」
「……掃部の息子か」
小泉掃部の嫡男、小泉善助。
父を斬られたその若者が復讐に燃えるのは当然の理であった。
善助は刀の切先を根岸に向けながら、怒鳴るように吠える。
「よくもこのような所まで逃げてくれたな!!! 卑怯者め!!! 皆のもの、聞け! そこにいる根岸新之介という男は、坂山藩で我が父掃部を斬り殺し、脱藩した重罪人だ! これは正当な仇討ちである!!!」
追従するように善助に雇われたのであろう男たちは弓を構えながら、根岸を怒鳴りつける。
「さあ! 根岸! 大人しくその首を差し出せ!」
「そうだ! 悪いと思っているなら、黙ってここで討ち取られよ!」
仕事中であった根岸は丸腰である。
根岸は逡巡するようにしばらく目を瞑ると、善助を見遣り、不意に身をかがめ、地へと膝をついた。
「善助殿よ…… 貴公の父を斬ったことは謝る。済まなかった。だが…… 拙者も掃部を殺すつもりはなかったのだ……! やむに止まれぬ経緯というものもあった。どうか許してくれ」
おもむろに土下座を始めた根岸に、一瞬呆気に取られたが、善助はすぐに怒りの炎を燃やす。
「根岸ぃぃぃ……! 今更殊勝な態度を取りよるか!」
肩を震わせながら、切先を平伏する根岸の背に向けて一歩踏み出す。
「ならば大人しく俺の手にかかるというのだな⁉︎」
殺気を感じ取ったのか、根岸はまた立ち上がり、善助から距離を取る。
「……済まぬ それは出来ぬ……!」
「なんだとぉぉぉぉぉ⁉︎」
激昂する善助に、根岸は落ち着いた口調で嗜めるように続ける。
「拙者も馬鹿ではない…… 幾度もこういう日が来ることを考えておった…… 追っ手がくれば討たれてやろうか、とも考えた。だが、情けないことに我が命は惜しいのだ……! 済まぬが、これにて許してくれぬか?」
善助は激昂しながら机をひっくり返す。
「ふざけるなァァァァ‼︎ 根岸ぃぃぃぃぃ‼︎」
「ヒィィィィィィ!!! ウチの店で暴れねえでくれぇぇぇぇ⁉︎」
宿の主人の悲鳴を構う事なく、善助は雇った兵たちに命令した。
「殺せ! お前たち! 根岸新之介を射殺せ!」
すると、弓を構えた兵たちが根岸へと狙いを定め始めた。
「応‼︎」
「相手はしょぼくれたオッサン一人だ! やっちまえ!」
「弓構え!」
ふう、と息を吐きながら根岸は善助たちを見遣った。
「善助殿……! 引いてくれぬのか⁉︎」
「くどい! 我が父の仇! 討ち取ってやる! 根岸新之介!」
肩をわなわなと震わせながら、善助は鋭く声を発した。
「射て‼︎」
ヒュンヒュンと耳障りな風切り音と共に、傭兵たちの矢が宿内を飛び交った。
主人は再び悲鳴をあげる。
「うわぁぁぁぁぁ⁉︎ やめてくれぇ! ウチの店が……」
しかし、根岸は机をひっくり返し、裏に隠れると矢を全て防ぐ。
「くそっ! 机を盾に…… グアッ⁉︎」
突然、男の一人が驚くと共に、血飛沫を上げ倒れる。
机の影から猛然と駆けてくる根岸に傭兵の一人が、首筋を裂かれ殺られたのだった。
手にした刀は机の裏に隠してあったものだ。
慌てた傭兵たちが弓に矢を番えようとするうちに、根岸は次々と仕留めていく。
「うぁぁぁぁぁ⁉︎」
「ぐぇぇぇぇぇ‼︎」
「おのれっ!!! 根岸ぃぃぃ!!! くはぁ!?!?」
あっという間に四つの死体が出来上がる。
見ていた者たちは唖然とし、恐怖に囚われる。
善助は悔しさにその身を震わせながら、根岸を睨みつける。
「……根岸! おのれぇ!!!」
浴びた返り血を拭いながら根岸は、無表情で善助を見つめる。
「もうよせ、善助殿。お前の命を取る気はない。故郷へ帰れ」
「根岸ィィィィィィ!!! ば、馬鹿にしやがって!!!」
善助は正気を失ったように真っ赤になり、叫びだすと、不意に背後を向き走りだし、震えていた女将を組み敷き、首筋に刃を当てる。
女将は悲鳴をあげた。
「ヒィィィィィィ⁉︎」
根岸は眉を顰めながら、善助を嗜める。
「善助殿! よせ!!」
「うるさい!!! 根岸!! この女の命が惜しければ首を差し出せ! 俺はどのような手を使おうと貴様を討つ!」
善助はもはや、形振り構わず、正体を失っていた。
無関係の者でさえ、本当に殺しかねない。
「や、やめておくれよお!」
「ああ!! 離してやってくれええ!!!」
夫婦は突然の不運に悲鳴をあげた。
根岸は再び善助を説得する。
「……善助! その人は関係なかろう! 離せ!」
「だまれぇぇぇぇぇぇ!!! 全て! 貴様が! 貴様が悪いのだ! 根岸新之介!!! 貴様が我が父を殺さなければ!!!」
女将を組み敷きながら、刃を振り回す善助に根岸は深く頭を下げる。
「……本当に済まなかった 善助殿! だが、その人は我らの因縁に関係ないだろう⁉︎ 離してやってくれ!」
「うるさい!!! 貴様如きが正義を気取るな!!! この非道な悪漢め!!! 言っておるだろう! 首を差し出せ! さればこの女は助けてやる!!!」
「……わかった その方は離せ」
「刀は捨ててこっちにこい!!! 手のひらを見せ、腕を上げながらこっちへゆっくりこい! さあ!!! 妙な真似はするなよ!!!」
根岸は言われるままに持っていた刀を地面に置くと、手を上げ、善助へと近づいていった。
「分かっておる」
そして、腕が届く距離まで来ると善助は女将を足で組み敷いたまま、刀を振りかぶる。
「……根岸! 我が怨敵よ! 父の命だけでは飽き足らず、雇った兵まであっさりと殺してくれたな! 今、罰を降してくれる!!!」
善助が人質である女将から完全に注意を逸らした瞬間であった。
根岸は懐に素早く手をやり、短刀を取り出すと善助の脚に突き刺す。
「ぐあっ……! ね、根岸ぃぃぃ!!!」
脚から鮮血を上げながら、善助は床へと転がる。
取り落とした刀を拾い、根岸は倒れる善助を冷たい目で見遣った。
「悪く思うなよ、善助。返り討ちも世の習いだ」
「……ぐぅっ!!! おのれっ……!!!」
根岸が、苦痛にうめき睨んでくる善助に向けて刃を振るう。
弧線が走ったと思うと、善助の首筋からドバドバと血が流れ出した。
「……ぐはっ⁉︎」
善助は頸部を斬られ、断末魔と共にあっという間に絶命した。
根岸は、恨みがましげに虚空を見つめる哀れな善助の死に顔を見つめる。
主人夫婦は震えながら悲鳴をあげた。
「ヒィッ⁉︎」
「根岸さん…… アンタ……?」
根岸は真っ赤に染まった顔を拭いながら、慇懃に夫婦に頭を下げる。
「迷惑をかけて済まなかった。本当に世話になりましたな。拙者はこれにて二度と貴殿らの前には現れぬ」
そう言って、根岸は唖然とする面々を他所に宿を去っていった。
◇
「……うぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」
根岸は悪夢に跳ね起きる。
まだ薄暗い闇が満ちている時刻であった。
根岸は息を切らしながら、じっとりと滲んだ汗を拭った。
「はぁ……! はぁ! ハァ……! ゆ、夢か……」
根岸は立ち上がると、西の空に向けて合掌する。
「……善助 済まぬ」
返事は当然、返ってこない。
許しを乞うべき相手は既にこの世にいないのだから……




