十八 鬼達の葛藤
(……?)
しばらくの静寂が続き、修二郎と吉之丞は訝しげに神像の辺りに目をやる。
何故だかは分からないが、この場の超然とした空気が何処か人らしいものに変わった気がしたのだ。
だが、それも一瞬限りのことであった。
感情の交えない声が何処かから返ってくる。
「因縁について話せ」
気のせいだったかもしれぬ、と修二郎は気を取り直す。
「……奴は 根岸は我が兄小泉掃部と同門であり、友でありながら、酒の席にかこつけて立ち会いを挑み、斬り伏せ、罪を逃れる為に逃げよった! そして仇を討ちにいった息子の善助とその一行でさえ、容赦なく斬殺した鬼のような男である! 更には……」
再び復讐の炎を燃やしながら、修二郎は聞き及んだ怨敵の今の生活を思い出しながら声を絞り出した。
「己の手を友とその子の血で染めながら、のうのうと生きながらえ、ドブ街で呑気に教師などをやっているというではないか! これが許せるか……!」
怒りに震える叔父を見つめながら、吉之丞は改めてこの叔父の憤怒の深さを知る。
「……叔父上」
修二郎は神像の足元を見つめながら、鋭く叫んだ。
「殺してくれ! 我が兄の仇、根岸新之介を!」
吉之丞も平伏しながら、懐から何かを書いた紙を取り出し、必死で声を絞り出す。
「私からもお願い申し上げます……! 奴のせいで我が小泉家の名声は地に落ちました! これに、奴の特徴を捉えた似顔絵と、今のヤサがあります……!」
洞窟に隙間から流れ込む風の音と、松明の燃える微かな音のみが響く。
しばらくの静寂の後、男の声が返ってきた。
「わかった」
声は感情を交えることなく続ける。
「事が成った後、お主らの住処に知らせる。代金は後日支払うように」
そして、冷然とした声はこの場を占めるように取り引きを切り上げる一言を発した。
「ではゆけ」
◇
小泉家の二人が帰った後、それぞれが潜んでいたところから渡し人たちが現れる。
──北町奉行所大目付周防播磨守忠直
──北町奉行所書記番頭左藤兵衛
──抜け忍白石
──同じく抜け忍お駒
──鳶職人壬午郎
──元城河藩藩士の素浪人雨野勢二郎
ドブ街に伝わる暗殺者たちの伝説。
彼らこそが、江戸の闇に棲む悪鬼を喰らう更なる鬼たちであった。
数多の依頼をこなし、幾人もの悪人を消してきた彼らだが、今夜はいつもと様相が違った。
いつもはこの場では無表情な彼らであるが、誰もが複雑な表情を浮かべる。
壬午郎は顔を顰め、考えるように目を瞑った。
「やれやれ…… よりにもよって……」
勢二郎は白石を睨むように尋ねる。
「根岸の野郎…… なんかあるとは思ってたがよ。おい、白石、お前知ってやがったな?」
ため息をつきながら、白石は観念したように述べる。
「まあな。これでも元忍びだ。近づく奴の過去は調べたよ」
そう、彼だけは根岸の過去や素性を知っており、仇がこの江戸に留まっている情報も掴んでいたのだった。
渡し人たちは浮かぬ顔で誰もが顔を顰める。
「これも因果か……」
「それにしてもなんて因果だよ。根岸が標的になるとはな。まったく……!」
そんな中、お駒は兄である白石に詰め寄る。
「ねえ、兄さん! 本当なの? 根岸さんが友達とその子どもまで殺したなんて……」
兄が無表情で頷くと、頭を振りながらお駒は痛ましげに俯いた。
「なんで……」
「後で話してやる。今は依頼を受けるか受けないかだ」
そんな渡し人たちを見つめながら、彼らの頭目的存在である周防は、冷然とした声をかけた。
「どうした? お主ら。どうやら標的は知り合いのようじゃな」
そんな周防にお駒は身振り手振りで、必死に説明する。
「ねえ、元締め! 勝手に受けないでよ…… 私、びっくりしちゃったよ! だって、最近知り合った人だもん! 近所に住む人で、気のいいおじさんなんだよ⁉︎」
しかし、周防はお駒を見つめながらも表情を微かに動かすこともない。
「そのようなことは聞いておらぬ。殺れないのか?」
お駒はもちろん、渡し人たちは誰もが気まずそうに明後日の方を向き考えこむ。
周防はそんな彼らに容赦なく冷たい目線をくれた。
「誰も乗り気ではないようだな。見損なったぞ、お主ら」
左藤も周防に同調するように、渡し人たちを見回す。
「元締めの仰る通りだ。勘違いするな。我らは正義を行っているわけではない。正当な理由があり、金を払うなら標的を殺す。ただの暗殺稼業だ」
その言葉に渡し人たちは、己の使命を思い出したように顔を上げた。
「殺れないなら、久々にワシと兵衛が腕を振おうか」
周防の言葉に、いち早く反応したのは勢二郎だった。
「それには及ばねえよ、爺さん」
勢二郎の目はいつもの冷たさを取り戻していた。
そして、仲間達を見回す。
「根岸は俺が斬る。おい、お前らも協力しろ」
そして、気を取り直すように白石も壬午郎も頷いた。
「そうだな。奴は紛れもなく、依頼人の仇だ」
「……その通りだな」
ただ、お駒だけは承伏出来ないのか、大きな声をあげる。
「ねえ……! こんなの間違ってるよ! みんな! 根岸さんが悪い人じゃないこと知ってるじゃない!」
お駒は彼らを見つめるが、返事は返ってこない。
冷たい眼差しがその答えである。
「辞めようよ!!! ねえ⁉︎」
必死で叫ぶお駒の声は、洞窟に哀しげに木霊するだけであった。
兄である白石は妹を嗜めるようにその目を厳しく見つめる。
「お駒…… その辺にしとけ。俺たちは殺し屋だ。それ以上でも以下でもねえ。忘れたか? これは慈善事業じゃねえ」
白石の眼差しはいつになく厳しい。
お駒は込み上げるものを耐えられず、出口に向かって駆け出した。
「私、やらないから!!!」
「おい! お駒!」
呼び止める白石の肩に手を置きながら、勢二郎は頭を振る。
「まあ、仕方ねえだろ。あいつは嫌がるだろうよ」
「全く…… 馬鹿な妹だぜ」
白石はため息をつき天井を見上げた。




