十 根岸の回想『出会い』
堀秀国は古流武術堀円古流の系譜を受け継ぐ嫡流であり、坂山藩では達人と呼ばれる剣豪であった。
しかしその物腰は柔らかく、多くの弟子をとり、道場には子どもから大人まで身分を問わず、二百名ほどの者が通っていたと言われる。
子どもたちが訓練を繰り広げる、午前の部の道場では、朗々とした激しい声と木刀が練習用の木や藁に打ち付けられる音が響く。
「てやぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「たぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
一通りの型稽古を終え、汗を拭い、防具を外した子どもたちは雑談を始めるがいつもと違う光景に気づく。
子どもたちは道場の隅で堀先生と話している新顔の少年に目を止めた。
「新之介、おい、見てみろ。あいつだぜ」
そう呼ばれ、幼き日の新之介は友人の指す方を見遣る。
そこには堀先生と話し込む、如何にも行儀のよい坊っちゃんといった風体の少年がいた。
「小泉勝之丞、お前と同い年らしいぜ」
小泉勝之丞とは、小泉掃部の実名であり、この頃十二であった。
その日が初めて小泉が自身の希望により、堀道場に入門した日である。
根岸の友人の一人が面白くなさそうに鼻を鳴らす。
「小泉家の御曹司で、麒麟児だとの噂だそうだな」
「あの小泉家か…… 言っちゃなんだが、なんだってわざわざこの道場に汗を流しにくるかね」
藩で名門である小泉家の御曹司、というだけでもやっかみを買うのに、平民も通うこの道場に通ってくる意味が彼らには分からなかった。
身分が高いなりに通う所は他にもある。
「わざわざ四つも隣の街から、こちらに通い始めた変わり者でもあるね。はっ! そんなに堀先生の箔が欲しいかね」
そんなやっかみに新之介が戸惑っていると、堀先生がこちらを向き、手招きする。
「おい、新之介。こちらへ来い」
「はい」
新之介が急いで駆けていくと、小泉と目が合い、やはり名門らしく整った顔立ちと高そうな衣服が確認できる。
黙っていると、勝之丞が深々と頭を下げてくる。
「小泉勝之丞と申す」
慌てて新之介も同じ高さまで頭を下げた。
「根岸新之介と申す」
堀先生は二人を見比べると、目を細めながら事もなげに言う。
「お前たちは同い年だったな。ちょうど良い。立ち会え」
もちろん、師の命令に否やはない。
「……かしこまりました」
堀流の防具を身につけ、細い木刀に幾重も藁を巻いた訓練用の模擬刀を手に取ると、二人は開始線に向かい合い立つ。
生徒たちは二人の立ち合いを息を呑み見つめていた。
「はじめっ!!」
堀先生の掛け声と共に新之介と勝之丞が同時に打ち込む。
「……タアッ!」
「フンッ!」
模擬刀がかち合う音が道場に響き、二人は互いに激しく攻防を繰り返す。
刀と刀が音を立てて幾度もかち合う。
「てぇぇぇい!」
「チュリャァァ!!」
互いの斬撃は身体に当たらず、身体や体勢は幾度も入れ替わる。
火の出るような攻防を繰り返しながら、二人は道場の端から端まで打ち合いを続けた。
打ち合いの際中は、もはや互いに雑念など無く、一本を取ることしか考えてはいない。
そんな二人を生徒たちは唖然としながら見つめていた。
互いの打ち込みが三十合ほどを超えた頃だった。
「よし! そこまで!」
堀秀国の制止の掛け声と共に、二人は動きをぴたりと止める。
息を切らせながら開始線に戻ると、互いに礼をし、試合は終わった。
堀秀国は満足そうな笑みを浮かべると、二人の少年剣士たちを交互に見つめる。
「見事だ、二人とも。お前たちはまだまだ若い。これから切磋琢磨して、この道場を盛り立てていってくれよ」
新之介と勝之丞は同時に返事をする。
「「かしこまりました、先生」」
◇
それから数ヶ月、勝之丞も道場に馴染んできた頃、生徒たちが先生に連れられ、飯屋に来ていた。
あの日初めて出会って以来、何とはなしに新之介は勝之丞と行動を共にする事が多くなり、今日も隣同士で飯を食べていた。
すっかり街道場に馴染んでいるが、コイツは小泉家の跡取りなんだよなあ、と思いながら新之介はふと尋ねてみる。
「勝之丞よ、お前は小泉家の嫡男だろう。こう言ってはなんだが、剣にかまけている時間はあるのか?」
勝之丞は箸の手を止めて、少し考えてから答えた。
「ああ…… 父からいい顔はされてないよ。覚える政務が多くてな。だが、言われたことは全てこなしておるから、何も言わせぬよ」
「そこまでして円古流を学びたいのか? 何故こだわる?」
「それは……」
少し躊躇いがちに勝之丞は奥の席を見やった。
新之介はその視線と彼の表情を見逃さない。
彼が見ていたのは堀先生ではない。
勝之丞の視線の先には、堀先生の隣で友人と談笑する娘、おさとの姿があった。
おさとは彼らより二つ歳上の気立ての良い女性であり、生徒からの評判も良い。
驚きながら新之介は勝之丞を見遣る。
「おさとさん…… お前、まさかおさとさんに会うが為に?」
少し決まり悪そうに、茶を飲みながら勝之丞は歯切れ悪く答えた。
「ふん、おかしいか? 以前寺参りでおさとさんを見かけてな。楚々としたあの佇まいに惹かれた。一度近づいてみたいと思ったのだ」
呆れと驚き、そして真面目なだけではない勝之丞の一面に感心しながら新之介は苦笑する。
「なんと不純な奴! 先生が聞いたらさぞ落胆されるぞ」
頬をかきながら、勝之丞は香のものを齧る。
「そう言うな。先生から剣を学びたいという心に偽りはない。だがな、俺は、いつか必ずおさとさんをもらってみせる」
(そうか…… おさとさん、か)
この時、初めて新之介はおさとという女性を意識し、皮肉にもこのことが後年二人の諍いの元となったのであった。




