五 原川
授業が終わり、日が暮れた茜空の下、子どもたちは手を振りながら帰宅の途へと着く。
「先生、さようならー」
「根岸先生ー、ありがとうございました!」
根岸も笑顔でそんな生徒たちを、手を振って見送った。
「気をつけて帰るでござるよ」
生徒を見送ると、カラスのなく赤い空を見上げて、根岸も荷物をまとめ始めた。
帰り支度をしながら、根岸は不思議な気分になる。
故あり、ドブ街に流れ着き、数日前までひもじい浮浪者のような生活をしていた自分が、教壇に立って子どもたちに勉強を教えているのだ。
給料まで出るという。
仕事を探してくれた壬午郎たちには感謝の念しかない。
久々に温かい気持ちになりながら、根岸は寺子屋の戸締りをした。
「さて、拙者もそろそろ帰るでござるかな」
寺子屋から出て幾許かもいかない頃だった。
「根岸先生!」
不意に自分を呼ぶ男の声に根岸は刀の柄に手をかけ振り返る。
「何奴⁉︎」
根岸が振り返ると、編み笠姿の男が近くに立っている。
根岸の剣幕に、男は慌てて両手を広げ、敵意のないことを示すと編み笠を外した。
「そう身構えないでください。私です、原川です。何時ぞやはお世話になりました」
額と頬に少しばかり刀疵を負ったその若い男は、根岸の見知った顔であった。
安心しながら、根岸は柄から手を離す。
「……原川 久しぶりでござるな。こんな所で何をしておる?」
原川と呼ばれた侍は頭を下げながら、根岸に改めて挨拶する。
「人伝にあなたを探していたのですよ、根岸先生。まさかこのような所で教師の職に就いておられるとは夢にも思いませんでしたが」
「探していた? 拙者をか? ……原川、お前」
そう言ってまた、距離を取り、警戒の念を強める根岸に、原川は首を勢いよく横に振った。
「ちょ、ちょっとお待ちください! そう警戒しないでくださいよ。貴方の状況を思えば、無理からぬ事ではありますが…… そうツンケンされては悲しゅうございます。一年前の恩義は忘れてはおりませぬ! ですから、我が道場の師範になってもらおうと貴方を探していたのですが……」
そう言う原川の目に敵意や嘘というものは欠けらも滲んでいなかった。
根岸は顔を顰め、フンと鼻を鳴らす。
「すまんが、もう二度と剣を教えることは出来ぬ。拙者は二月ほど、お主の屋敷で世話になった。礼などそれで充分だ」
しかし、原川も引き下がらない。
それほどに原川は根岸という男の腕を買っていた。
「……先生 先生ほどの方がこのような貧民街の教師で終わるなどもったいのうございます!」
根岸は胸内で小さくため息を吐くと、真剣な眼差しで説得を続ける原川を見つめ、いつにない真面目な口調で言い聞かせる。
「原川よ、拙者はお主の思っているような人間ではない。拙者が故郷で大罪を犯したことは話したな? 日々生きていくだけで精一杯なのだ…… 拙者はな、満足しておるよ。今の職もこのような拙者などにはもったいないくらいだ」
原川は戸惑った表情で根岸を見上げる。
根岸の表情に迷いといったものは感じ取れなかった。
「根岸先生……」
そして、根岸は原川に背を向けるとさっさと家路を歩き出す。
「わかったら帰れ。原川よ。拙者に義理を感じる必要はない。もう拙者に構うな」




