一 ドブ街の厄介者
ドブ街と呼ばれる江戸の貧民街にも朝は来る。
ちゅんちゅん、とスズメの鳴き声が長屋の窓から差し込む薄い木漏れ日と共に、雨野勢二郎に覚醒を促す。
「……ふあーあ 朝か……」
起き出した勢二郎は、桶を掴み長屋を出ると顔を洗う用意をする。
「水汲みに行って味噌汁でも作るか…… 具は無いけど」
井戸へと向かっていると、おずおずと声をかけてくるものがあった。
「……あの もし」
勢二郎は機嫌悪そうに振り返る。
「なんだよ、おっさん」
見ると、薄汚い着物を着た伸び放題の髭の男がやつれた様子で両手を合わせ拝んでいた。
「ワシ実は…… 五日も何も食べておらぬ…… どうか味噌と塩と…… そして米を貸してくださらぬか?」
勢二郎はため息をつきながら、懇願する見窄らしい男に、無表情で冷たく返答する。
「……釣り竿を貸してやる それでてめえの食料を調達しな」
すると、その浪人風の男は地に手をつき、必死で足元に縋ってきた。
「そんなあ! 殺生な! 後生にござる! 後生にござる! 人助けと思って米を分けてくださらぬか? のう!」
勢二郎は怒りながら足元に縋る男を、振るい落とそうとした。
「ええい! しつけえぞ! 妥協案を出してやってんだろうが! てめえ、向かいのおっさんだろ? アンタまだここへ来て半月なのに評判悪いぜ? 貸した金も食いもんも返さねえってな!」
「仕方ないじゃろ! ……探しておるが仕事がないんじゃ! 腹が減って! ワシ腹が減ってたおれそうなんじゃああああ!」
「えええい! はなせよ! おっさん!」
男の声はうるさかった。
秩序などないドブ街のボロ長屋とはいえ、流石にそろそろ何処から文句がきそうである。
勢二郎が、必死に縋り付く男に苛立っていると、鈴のなるような声が険悪な空気を裂くように辺りに響いた。
「何してんの? 勢さん。騒がしいよ」
振り返ると縹色の着物を着たお駒が、呆れたような顔で二人を見つめていた。
勢二郎は、すかさずお駒に助けを乞う。
「お駒! 頼む! このおっさん引き剥がすの手伝ってくれよ!」
お駒は、はあ、とため息を吐くと、情けなく這いつくばるように、物乞いするその汚い男を哀れな目で見つめた。
「……おじさん 話は少し聞こえてたよ。……仕方ないなあ 朝ごはんはあげるから稼ぐ方法考えようね」
それを聞くと、男は喜んで立ち上がりその場で飛び跳ねる。
「……女神! 女神にござる! そこの貧乏侍とは大違いじゃあ! 感謝します!」
勢二郎は袴をはたきながら、冷たい目で男を見遣る。
「おうコラ、おっさん! 失礼な上に年下にたかってしかも気ぃ使わせてんじゃねえよ!」
「まあまあ、落ち着きなよ勢さん。困ってる時はお互いさまだよ」
そして、汚い男はその場でわあわあと泣き始めた。
「……うああああ ドブ街に舞い降りた女神様じゃあああああ!」
勢二郎とお駒は耳を押さえ、男の号泣を呆れたように見つめた。
「うっせえ!」
「うるさいなあ……」




