卑劣な襲撃
そろそろ日も沈もうという頃、乃木屋の看板娘、律子は店から離れた川で洗濯物をしていた。
手は忙しなく動かすが、明日のことを考えると気が落ち着かない。
律子は故あって相撲をみていないが、伏虎は今日も勝ち、明日は全勝で横綱に臨むこととなったそうだ。
遂に明日の千秋楽の優勝決定戦で憎き仇である張天山と戦うこととなる。
嬉しくはない。
律子は恐ろしかった。
何があったのか伏虎は場所前に急に優しくなった。
しかし、あの張天山を目の前にすると伏虎が復讐鬼へと戻るのかもしれないと思うと律子は哀しくて、恐ろしくて仕方がなかった。
ふと人の気配を感じ、律子は洗濯の手を止め振り返る。
「誰⁉︎」
見ると、それは川べりを降りてくる兎丸であった。
頭をかきながら兎丸は挨拶する。
伏虎の付き人である兎丸はこうして時折り、乃木屋の様子を見に来てくれるのだ。
「ああ、律子姐さん。俺ですよ。ちょっと様子を見にきたんです。親父さんも帰りが遅いと心配してましたよ。何かあっちゃいけねえ」
「兎丸。心配かけたわね」
「いえ、お気になさらず」
もう、日も沈もうとしている。
確かに女一人で出歩くのは良くない時間ではあった。
……不幸にして兎丸の懸念は直後に当たる
その時、川の横の林の影から複数の大きな男たちがのそのそと現れた。
不穏な気配を感じ取った兎丸は律子を咄嗟に背に庇った。
「律子さん! 下がって!」
四名の男たちが手に何らかの武器を持ち、にやにやと嫌な笑みを浮かべると律子と兎丸を見つめていた。
兎丸は冷や汗を流しながら律子を庇い、後退りする。
「お前らはなんだ⁈」
「よお、兎丸。こないだは散々俺たちを袖にしてくれたなぁ⁈ お陰で俺たち、横綱にどつかれちまったよ」
良く見るとこいつらは三角山の力士たちだった。
兎丸は鼻を鳴らしながら表面上は強気の態度を崩さない。
所詮は張天山が怖くて、自分の頭では何も考えず悪事ばかり働く愚かな奴らだ。
「ふん‼︎ 知るかよ! 自業自得だ! 汚ねえ三角山のカスどもが‼︎ 腐った横綱なんかさっさと見切っちまいな!」
「へへ……! 言ってくれるじゃねえか。どけよ、兎丸。今日はお前に用はねえ。うちの横綱はそこのお嬢さんがご所望だ」
「なにぃ……!」
兎丸が律子を振り返ると驚いた顔をして、すぐに怒りの表情で力士たちを睨み返していた。
「……そう あんたたちが私の姉さんをこんな卑劣な手で……!」
そうして、兎丸も人伝てに聞いた去年の悲劇の噂を思い出す。
「知ってるぞ‼︎ お前らは去年同じ手を使って兄貴の兄貴に酷いことをしたらしいな! この俺がいるからにはそうはさせねえ‼︎」
そんな兎丸を嘲笑いながら、力士の一人は棒を構えて兎丸の頭へと振り下ろした。
「うるせえ‼︎ この雑魚が‼︎」
「ぐぅっ‼︎」
「兎丸くん‼︎」
兎丸の頭から鮮血が滴り落ちるが、律子を庇いながら必死に声を絞り出す。
「……り、律子さん! にげてください!」
しかし、三角山の力士たちは兎丸を掴み、転がすと首を絞め落とした。
兎丸の強さはほとんど素人に毛の生えた程度のものであった。
律子は青褪めながらも、力士たちを睨むがどうしようも無い。
「逃げるだと? そうはさせねえぜ。おい、嬢ちゃん、こいつ殺しちまうぞ⁈ こっちに来な」
「……うう」
仕方なく、律子は力士たちの元へと歩いていくが、口元に布を当てられるとあっという間に気を失った。
布には睡眠薬が塗られているらしかった。
「よし、大人しくなったな。連れてくぞ!」
卑劣な男たちはしてやったと笑みを浮かべると、倒れた律子を抱えようとする。
しかし、その時、風切り音とともに三角山の力士の一人のこめかみに矢が突き立っていた。
「がっ⁉︎」
くぐもった声と共に絶命し倒れ込む同僚に驚いた力士たちは、慌てて辺りを見回す。
「な、なんだぁ⁉︎」
「どこから矢が……?」
びゅう、と夕風が吹き、薄暗闇に男の低い声が響いた。
「本当に害虫以下のクソだな、お前ら」
動揺する力士たちの頭上から次は女の可愛らしい、しかし怒りの籠った声が降ってきた。
「勝負の世界で懸命に生きてる者に八百長を仕掛け、負けそうになったら女を攫って人質にする。もう死んだ方がいいよ、お前ら」
目を凝らすと、近くの木の上に一人小柄な女の影が見え、河原の上から降りてくる男が一人こちらに向かってくるようだった。
三角山の力士たちは三名、呼吸を合わせて向かってくる侍らしき男に対して身構える。
「何だてめえら⁈ クソッ! やっちまえ‼︎」
三人の巨体が勢二郎に向かって一斉に突進してくる。
しかし、力士たちが間合いに入るとともに勢二郎が低く身構え、柄に手をかけた瞬間に鈍色の一閃が奔り、事は終わった。
「……あーあ、くっだらねえ」
勢二郎が悠然と力士たちとすれ違うと共に、三名の首が落ち、残された胴が赤を吹きながら無造作に倒れ込む。
夕陽の朱に血飛沫が霧のように舞った。
「図体だけだな、お前ら」
勢二郎が刀を鞘に収め、木からお駒が降りてくると、黒い装束を着た複数の男たちが音もなく木陰から現れた。
「おい、死体の処理は任せたぞ」
律子と兎丸の容体を確認しながら勢二郎がそう言うと、黒装束の男たちの頭目と思しきとりわけ背の低い一人が薄く笑いながら言った。
「へいへい、あっしらにお任せを。金さえ頂ければ厄介な遺体も綺麗さっぱりと消しちまうんで。これからもご贔屓に」
彼らは死体処理専門の裏仕事を請け負う闇の世界の仕事人達である。
彼らが処理した死体は決してこれから人の目に触れる事はない。
特殊な仕事の関係上、よく渡し人たちとは組むことが多かった。




