牙を剥く横綱
十四日目の朝、横綱張天山は焦っていた。
江戸の瓦版も全て伏虎の話題で持ちきりで、張天山のことと言えば悪口しか書かれていなかった。
無理もない。
今場所の張天山は半分ほどの取り組みに八百長を使っているのだ。
傍にいた付き人を張り飛ばすと、張天山は集めた弟弟子たちを平伏させ拳を振るい声を張り上げた。
「おい! 本当にお前らは無能だな‼︎ これだけ時間と金をかけても伏虎を説得できねえとはよお! いらねえ奴から部屋から放り出してやろうか? ああ⁉︎」
当然ではあるが、張天山側から羽鳥部屋にずっと仕掛けている八百長工作は全て不調に終わっている。
張天山は怒り心頭であるが、しかし、その態度が己の実力が伏虎に劣っていることを無意識に認めている事実を如実に物語っていた。
今日も伏虎は勝ち、全勝で明日は張天山との決勝にもつれ込むだろう。
素人目に見てもわかる。
伏虎の強さは最早、竜ヶ峰さえ越えていた。
重苦しい空気の中、立ち上がりずいと歩み寄る一人の力士がいた。
「……恐れ入ります 横綱、あっしに提案がります」
「なんだぁ!? 多賀崎! いってみろ!」
それは去年、おまさを人質にとるという卑劣な策を立てた、あの多賀崎であった。
多賀崎は口元に歪んだ笑みを浮かべ、張天山に進言する。
「竜ヶ峰の恋人だったおまさのことは覚えていますね? あの女には妹がおります。今日中にそいつを攫って伏虎を脅せば、あとは去年と同じ流れ、というわけですわ」
張天山は黒い笑みを浮かべながら、がしりと多賀崎の肩を叩く。
「なるほど、造作もないことだな……」
そして、顎をさすり暫し考えていたかと思うと、弟弟子たちを振り返り怒号を飛ばした。
「お前ら! 聞いたな! 今日中にその妹とやらをさらってこい! それとあの厄介な羽鳥とかいうジジイも殺してこい! ヤツは老獪で厄介だ! それも今日中にな! いいな⁉︎」
一斉に立ち上がる弟弟子たちを睨むように見つめながら、張天山は伏虎の取り組みを思い返す。
数々の華麗な技にびくともしない剛力。
……まともにぶつかれば勝ち目はないだろう
太い眉を寄せながら、張天山は拳を握りしめる。
「明日までに……! 明日までにやらねえと俺がヤツとガチンコで決勝を戦わなくちゃならなくなるだろうがぁ‼︎」
当然のように、伏虎は今日も勝利を収め、遂に明日の千秋楽の決勝に駒を進めたその日の夕方、羽鳥は方々に頭を下げて回っていた。
「……どうか、私の引退後は亀川の方への出資をよろしくお願い申し上げます」
間もなく自分がこの世から去った後、亀川に弟子たちを預けると決めた以上、金銭面で迷惑をかけることはできない。
羽鳥は部屋の出資者たちを周り、弟子たちが移籍した後の亀川部屋への支援を要請していた。
病身を推して神経を張る仕事であったが、友人の漢気に応え為さねばならない仕事である。
大方、出資者の家を回り終えた羽鳥は汗を拭い、夕日の空を見つめる。
「ふう、いささか疲れたな。……だがこれで俺の思い残したことはもう」
人気のない寂しい通りであった。
その時、不意に背後から声をかけてくる者があった。
「爺さん、済まねえ。煙草の火を貸しちゃくれねえか?」
振り返ると編み笠を被った大きな男が三人並んで立っていた。
不審に思いながらも羽鳥は首を振り、先を急ごうとする。
「ああ、俺は煙草やらねえんだよ。わりいな」
しかし、嫌ににやついた物言いで男の一人は羽鳥の肩に手を乗せ引き止める。
「気にすんなよ、爺さん。煙草なんてどうだっていいさ」
「何?」
そう言うと懐から取り出した短刀で羽鳥の肩口をいきなり突き刺した。
吹き出す流血と共にうめき声をあげ、羽鳥は道端に手をついて倒れる。
「じゃあな、爺さん。あんたにゃ何の恨みもねえが怖い横綱の命令でな」
「グッ‼︎」
肩を押さえ、睨む羽鳥に男たちは迫っていく。
その時、飛ぶように影が踊り出てきたかと思うと、男の一人の身体が宙を舞うように吹き飛んだ。
「やめろっ‼︎」
「……があっ!」
不意に投げられた男は、腰を打ちつけうめき声をあげる。
その男の編み笠が外れると中身は三角山部屋の力士であった。
残った力士たちは振り返り短刀を取り出し身構える。
そこには顔なしの仮面を被った男が殺意を漲らせ立っていた。
「なんだてめぇっ⁉︎」
「見られたぞ! 殺せ! 殺せ!」
仮面をつけた白石は鼻を鳴らし、チラと倒れた羽鳥を見遣りながら男たちを冷ややかに睨みつける。
「死ぬのはてめえらだよ、カスどもが」
力士二人が白石に突進し、思い切り短刀の突きを繰り出した。
「どすこい‼︎」
しかし、突きをかました肘を取られ、力士たちは二人同時に宙を舞い、短刀を取り落とす。
腰を打ちつけた力士たちは驚いて仮面の白石を睨む。
「な、なんだ⁈」
敵が怯んだ隙に白石は羽鳥の脈を取りながら、悔しそうに歯噛みした。
羽鳥の意識は混濁している。
どうやら短刀には毒が塗られていたらしい。
「くそっ! 俺とした事が不覚だったぜ。目を離した隙にこんな卑劣なことをしやがるとはな」
力士は三人立ち上がり、ジリジリと白石へと詰め寄った。
「な、なにを言ってやがる! お前は誰だ⁈ この野郎!」
「俺が誰か、それを聞いてどうする?」
白石は振り返り、三人の力士たちが怯むほどの圧を放ちながら悠然と向かっていった。
「これから三途の川を渡る奴らがよお」
空を切る音が耳を裂いたかと思うと、力士の一人が喉を押さえ、微かな呻き声を上げて倒れた。
「ぐっ……! ああ……」
死んだ力士の喉には手裏剣が突き刺さっていた。
それは白石の手元が見えない程の凄技であった。
「この野郎‼︎ どこのどいつだ⁉︎ てめえ‼︎」
激昂した力士は二人で殺すつもりで白石へと襲いかかる。
しかし、力士二人の腕をいなし、一人の首を掴むと共に後方に倒れ込む。
ごきりと嫌な音が通りに低く木霊する。
残された一人が見ると、首の骨が折れた力士が白目を剥いていた。
唖然とする残された一人を投げ飛ばし、その首を掴むと白石は力士に問いただす。
「おい! 張天山は何の毒を使いやがった⁈ 吐けば勘弁してやる‼︎」
力士は怯えながら必死に声を絞り出した。
「ひ、ひぃ……! ひ、彼岸花! 彼岸花だとかいって、ました……!」
「よし! じゃあな! 外道‼︎」
そう言うと白石は懐から取り出した短刀を力士の喉元に突き立てた。
急いで白石は気絶する羽鳥へと駆け寄る。
「親方‼︎ しっかりしろ! 今助けてやるからな‼︎」




