張天山の半生
張天山はある藩の下級武士の妾の子として生まれた。
生母が蒸発した為、物心つく前にその武士の家に引き取られた張天山は、家内で疎まれ、腫れ物を扱うように依枯の扱いを受けた。
子どもの頃から身体が大きく、山犬のように威圧感のある顔立ちをしていた張天山は大人たちから可愛がられることはなかった。
本妻との間にいる二人の兄も幼い張天山を目にも入れず、一切構うことはなかったという。
ある日、七つになった時分に張天山は遠くの寺に引き取られる。
旅立ちの際に父はおろか、彼の面倒を見る役だった飯炊き女でさえ張天山の見送りにこなかった。
この寺送りが厄介払いであることをよく理解していた張天山は荒れに荒れた。
同年代の少年だけでなく、兄弟子にさえ喧嘩を売り青あざを作らない日はなかったという。
引き取りの際に張天山の実家から、そこそこの支援金を受け取っていた寺側も中々そんな張天山を強く叱ることはしなかった。
張天山は近所の悪ガキどもを引き連れ、里山でやりたい放題暴れ回ったという。
そんな暗黒の日々を送っていた三年後、張天山に転機が訪れる。
体格が良く、喧嘩も強い張天山が里山の代表として少年相撲大会に出場することになったのだ。
張天山は年長者でさえ、軽々と投げ飛ばしこの大会で難なく優勝する。
そこで当時の親方の目に止まった張天山は、横綱を擁する名門三角山部屋に引き取られることとなった。
三角山部屋では周りは本職の力士とあって、流石に張天山といえど好き勝手は出来ず、数年は大人しくしていた。
張天山はよく焼きを入れられた力士の付き人となり、彼の後についてよく学んだ。
ある日、用があって、張天山は幕内力士である兄貴分の供をすることになり、江戸を訪れた。
張天山を連れて歩く兄貴分は江戸の街を見渡し、振り返る。
「どうだ、張よ。これが江戸だ。大きい街だろう」
乱暴者の兄貴分も、花のお江戸に来たとあって今日はご機嫌のようだ。
張天山は大きな荷物を抱えながら相槌を打つ。
「……たしかに。あっしらの過ごした田舎なんぞとはえらい違いですわ」
兄貴分はかかとわらい、鼻息を荒くした。
「そりゃあ、そうだろう。ここは日の本一の街なのさ。いいか、張。俺は横綱になってこの街の女を抱きまくる。その為に毎日のように練習してきたのだ」
野望とも言える夢を語り、爛々と目を輝かせる兄貴分を見ながら、張天山も江戸の街を見渡した。
「流石です! 兄貴! その時は俺もお相伴に預からせて下さいよ」
「はっはっは! 勿論だ! 頑張れよ張!」
そう言って兄貴分は張天山の肩を強く叩いた。
その晩だった。
宿の寝床で兄貴分が呻き声を上げ、喉を掻きむしる。
大量の汗を浮かべながら蒼白となった顔で手足を振り乱す様は尋常ではなかった。
苦しそうに傍の布団で眠る弟分を呼ぶ。
「……グッ! 張……! む、胸がくるしい……! 医者を…… 医者を呼んでくれ……」
張天山は隣の布団から起きると、必死の形相で、手を伸ばす兄貴分をじっと見つめた。
……なるほど、聞いていた通りの効果だ
あの強壮だった兄貴分が顔面を蒼白にして虫の息である。
張天山は兄貴分の手を取って、翳りのある笑みを浮かべた。
「残念です。兄貴。あっしもアンタが夢を叶えるところを見たかったよ」
「張……?」
訝しげに問いかける虫の息の兄貴分に、張天山は残酷な事実を告げた。
「横綱はアンタが邪魔だそうで。さようなら。アンタの見たかった景色は俺が見てやるよ」
そう言って張天山はクックッと残酷に笑った。
三角山部屋の大将である、当時の横綱が近頃力を伸ばしてきた張天山の兄貴分を疎んで毒を盛ることを命令したのだ。
「……張⁈ ぐっ……」
ますます息を荒げる兄貴分は吐血し、その脈を弱めていく。
そして数分の後にはその息を引き取った。
その日以来、張天山は奸計を用いることを覚えた。
数年後に当時の横綱に毒を盛ることも躊躇しなかった。
そうして、張天山は揺るぎなき地位を手に入れたのである。
「……ぶはっ⁉︎ うう……! 夢か……?」
張天山は悪夢にうなされ、はね起きる。
久々に嫌な夢を見た。
庭に出て、井戸の水を飲み、気を落ち着かせる。
これも横綱の地位が危ういことを意識しているせいだろうか。
八百長の交渉に失敗した役立たずの弟弟子どもは叩きのめしてやった。
余人には到底理解出来ないかもしれないが、張天山は今の横綱の地位を手放すことは出来ない。
張天山は自分を捨てた父母と実家を心底憎んでいた。
故郷の何処かで、横綱張天山の悪名を聞いて、震えているのか、嘆いているのか。
どっちにしろ、張天山にとって横綱であり続けることは己を捨てた生母や実家への意趣返しという意味もあった。
月を見上げ、鬼の形相で張天山は拳を握りしめる。
「ワシは…… ワシは横綱でなきゃあ……! 強くあり続けなきゃあならんのじゃあ‼︎ この世は弱肉強食……! ワシは……! ワシは誰にも負けん‼︎」
張天山は手段を問わない。
勝利こそが彼の存在意義であった。




