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必殺・裏稼業  作者: Taylor raw
横綱仕置
50/97

伏虎 対 大龍

 支度部屋で握り飯を食べ終えたばかりの伏虎は四股を踏み、息を深く吐く。

 目を閉じ、己の胸に今までの道程を問うてみた。

 今の伏虎はかつてないほどに身体と心が澄み渡っている。


 むしろ、落ち着かずそわそわしているのは兎丸はじめ同輩や先輩の力士たちである。

 羽鳥部屋の今場所出場力士は伏虎しかいない。


 そろそろ時間である。

 兎丸は落ち着いた様子の伏虎に懸命に声をかける。


「アニキ……! 頑張ってください‼︎」


 伏虎は振り返りにこやかに応える。


「おう、兎丸。しっかり俺の水を取ってくれや」


 親方羽鳥は自然と湧いてくる冷や汗を拭いながら伏虎の目をじっとみる。

 何十年とこの舞台に携わってきた訳であるが、緊張しているのは仕方ない。

 これはいつもの江戸場所ではない。

 何しろほんの一年前に愛弟子の生命を奪われたきっかけとなった舞台なのである。


 羽鳥にとって恐らく最期に携わる大舞台となるであろう場に赴く最後の愛弟子伏虎に、親方は言い聞かせるように肩を軽く叩く。


「伏虎…… 気負いすぎるなよ。お前の頑張りはみんなが見てきた。例え結果がどうあろうと誰に恥じる事もない。お前の相撲をやれ」


 いつものように親方の言葉に反発する事もなく、伏虎は小さく頷く。


「ああ、わかってるよ、親方。だがな」


 そして着物を翻し手早く脱ぐと、大きな背中を見せて兎丸を伴い、花道へと向かっていった。


「俺は羽鳥部屋に優勝旗を持ち帰ってくるぜ。必ずな」


 その堂々たる大きな背中に呆気に取られながら羽鳥や同輩たちは呟いた。


「……伏虎」


 同輩の一人は改めて昨年受けた屈辱と、羽鳥部屋にとってのこの江戸場所の重圧を感じながら自然と拳を握りしめた。

 伏虎一人に頼らざるを得なかった己の無力さを噛み締め胸の内で祈る。


「伏虎……頼んだぞ」





 花道から現れた巨漢の力士を目に留めると歓声が一瞬止まり、そして更に地鳴りのように大きくなる。


「出てきたぞ‼︎ 伏虎だ‼︎」


「兄貴分に劣らねえ迫力だなあ…… 去年とは大違いだぜ」


 悠然と花道を行く伏虎はまるで昨年の兄貴分のように大山のような揺るぎない雰囲気を纏う。

 そして普段纏っている刃のような殺気は鞘に納められたように鳴りを潜めている。


 何かが起こる予感に観衆たちは逆の花道から向かってくるもう一人の力士も見遣る。


「でも初日でいきなりあいつと当たるとはなあ…… これが恐らく横綱への挑戦権を賭けた取り組みになるぜ」


 そう、今年の江戸場所は初日から注目の一戦が組まれていた。



「東ィィーー! 羽鳥部屋! 小結伏虎ォォォーー!」


「西ィィーー! 亀川部屋! 関脇大龍たいりゅうぅぅーー!」


 土俵にほぼ同身長の巨漢力士が逆方向に並ぶと行司が両名の名乗りを上げた。

 目に見えないが闘気のようなものが既に土俵を渦巻くようにぶつかり合っているようだ。


 伏虎の対戦相手である大龍はこの一年間、打倒張天山を目標に番付表を駆け上がってきた。

 この男も竜ヶ峰の悲報に涙を流した一人であったのだ。

 伏虎と大龍、この二人が張天山に次ぐ今場所の優勝候補とも言われていた。


 伏虎と大龍は土俵の真ん中で向き合う。

 似て非なる道を歩んできた二人は、この日は対照的な表情を浮かべる。

 怒りを押し隠した顔で大龍は伏虎を睨む。

 竜ヶ峰の最も近くに居ながら、その志を継いでいないらしい彼の行状に腹を立てていたのだ。


「伏虎さんよお、随分荒れてるようだな? アンタ、評判悪いぜ? 竜ヶ峰の意志を継ぐのはアンタじゃねえ、この俺だ。今日、この一戦で分からせてやる」


 対する伏虎は無表情で大龍を見つめ返し、開始線から離れ仕切り直す。

 いつもの荒々しい伏虎とは違う様子に少し戸惑いながら大龍は怒りをこの場でこの男にぶつけようと意気込む。


「どうした? 今日は噛みついてこないのか? 張天山を倒し、次代の横綱になるのはこの俺だ」


「そうか」


 伏虎は微かに振り返り静かに応えるだけであった。


「……アニキ」


 兎丸は息を呑みながら兄貴分を見つめる。

 伏虎がいつもとは違う。

 いつもとは違うのだが、それはいいことなのかそうでないのか、兎丸には判別が付かず内心でやきもちするしかなかった。


 やがて時間いっぱいとなり、行司の指示通り伏虎と大龍は開始線で拳を硬め、低い姿勢で向き合う。


「見合って見合って」


 この瞬間、会場が静まり返り音が消えた。

 その静寂を破るのも行司の掛け声である。


「……はっけよーい! のこった‼︎」


 空気が裂けるように弾け、伏虎と大龍がぶつかり合う。

 互いにがっぷりと四つに組み合い、鍛え上げられた肉体と肉体が弾けあった。

 観衆は沸きに沸き、怒号のように歓声が飛び交う。


「……うう!」


 兎丸は冷や汗を拭い、組み合ったまま動かない両者を見つめる。


(アニキッ……! まともに受けた……!)


 両者譲らない四つの態勢に見えるが、この勝負、既に大龍が一方的に追い込まれていた。

 技を仕掛けようとしても隙が微塵もなく、全力で押しても引いても伏虎はピクリとも動かないのだ。

 息を荒くし始める大龍に伏虎は呟くように言った。


「ありがとう、大龍。俺のアニキを慕ってくれてるんだな」


「……‼︎」


 そういうと、伏虎の身体の芯に徐々に力が入り始める。

 たまらず大龍が二、三歩後退した。

 一層歓声が大きくなるが大龍の耳にその声は届いている。


「だが、アニキの意志を継ぐのは俺だ」


「グッ! このっ! くらえっ‼︎」


 伏虎の目には全ての動きが見えていた。

 大龍が苦し紛れに仕掛けてきた右脚の切り返しの膝を踵で引っ掛け、肩を掴みぶん回す。

 大龍は伏虎と交差するように勢いよく回転しながら地に倒れた。


 地に伏した大龍は驚いたように伏虎の背を見つめる。


 そして一瞬の静寂の後に嵐のような歓声が上がった。


「……おおおおおおっ‼︎」


「伏虎ォォーーー‼︎」


「つ、強えーー⁉︎」


 決まり手は妙技河津かわづ掛けである。

 今までの伏虎には見られない華麗なその技に観衆たちは一斉に拍手を送り地鳴りのような歓声を上げる。


「おいおい、あの大龍を一瞬で投げちまったよ……! しかも高度な技、河津掛けでたぜ?!」


「今からでも賭け札買い直せねえかな」


 とりわけ喜ぶ弥太郎は横に座る壬午郎を見つめる。


「おじさん! みた⁉︎ 伏虎が勝ったよ‼︎」


「ああ、当然だな」


 笑みこそ浮かべていないが、壬午郎のその顔はいつになく穏やかで満足そうであった。

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[一言] このまま行ってほしいですが。
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