四
夜空にかかる細い月の明かりは弱く提灯を片手に典和は家路を急ぐ。
もう日付は変わってしまっている頃合いだ。
飲み屋街を過ぎると人影も無く人家の明かりも乏しい。
「すっかり遅くなっちまった。早く帰らないと……」
状況が状況である。
典和はそれなりに周囲に気を遣いながら歩いていたのだが、角を曲がった所で男の肩とぶつかる。
「おっと申し訳ない」
典和は頭を下げてすぐに帰り道を急ごうとした。
男は提灯を持っておらず片手には酒瓶らしきものを提げている。
どちらかと言うと男の方が悪いのだが……
その男はドスの効いた声で典和を呼び止め迫ってきた。
「おい、待てよ。ぶつかっといてそれだけかい?」
「えっ…… 本当に申し訳ない……」
典和は驚いて立ち止まり、男の顔をまじまじと見つめる。
腰には刀を差していた。
見知らぬ男だ。
男は典和につかつかと歩み寄り襟首を掴むと歪んだ笑みを浮かべた。
「関本典和だな? あんたにゃ恨みは無いが死んでもらうぜ。こいつは冥土の土産だ」
そう言うと男はいきなり手元の酒瓶の蓋を開け、典和の口へと突っ込んだ。
「ぐっ……! がぼっ‼︎」
飲めない酒を喉へと流し込まれ典和は咳き込み道端へと手をついて倒れ込む。
男はそんな典和を冷たい目で暫く見つめると腰の刀を抜刀し、くず折れる典和へと歩みを進めた。
「じゃあな。往生しろや」
男の構える白刃に驚く暇もなく典和は喉元へ刃を受けうめき声を上げ道端を転がる。
「ぐぅぅぅ‼︎」
……くそぅ、稲富の仕業か
典和は口から血の泡を噴いてのたうった。
沈み行く意識の奥で目の端に映る血塗れの刀を担いだ侍とぼやけた夜空を見つめながら典和は残される家族のことを思う。
(菅四郎……! おふみ……!)
……どうかうまく逃げてくれ
そうして典和の意識は闇へと溶けていった。
菅四郎は夜が更けても帰らぬ父親を待ちながら店の資料の整理をしていた。
妹のおふみにはもう寝るようには言ってある。
書斎を片付けながらここ数日のことや、父親の仕事ぶりを思い返す。
『顔を上げてくれ。飢饉で大変だろう。返せる時に返してくれりゃあいい』
よく働く父親だったが、やはり貧しい者が困っていれば糧食や金子を分け与えていた姿がまず菅四郎の脳裏に浮かぶ。
その善意が原因で今回は他の商人から疎まれ睨まれる羽目になったわけだがきっと父親は後悔していないだろう。
そういう男だった。
……自分が同じ立場ならあんなに堂々と振る舞えるだろうか
思案に暮れているといつの間にか作業しながら眠ってしまっていたようで玄関から聞こえる物音に目を覚ます。
長かった夜は明け窓からは朝日が差し込んでいた。
「……うう、いけねえ。親父かな」
そう言って菅四郎が襖を開けて廊下へと踏み出すとおふみと鉢合わせる。
「お兄さん……」
「ああ、おふみか。誰か玄関に来ているな。親父の帰りならいいんだが」
そして兄妹揃って玄関先へと急いだ。
父親の言いつけ通りしっかりと戸締りをしている雨戸の窓口から相手を確認しながら応答する。
どうやら玄関口に居るのは身なりからして複数人の役人で間違いなさそうだった。
「もしもし、どなたかおられぬか?」
「はい、どなたでしょうか?」
菅四郎は扉を開けて応答する。
年配の男がほう、とため息をつきながら同僚と顔を見合わせ話を始めた。
「ああ、おったわ。こちらは関本屋で間違いないな? 関本の息子さんかね。ふむ、朝一番で言いにくいことなんだが……
昨夜、ここの店主である関本典和さんらしき者が無礼打ちにあった。
気の毒にな。
典和さんの死体も確認して欲しいので奉行所に来てもらえるかね」
その悲報に菅四郎は思わず大声で叫び仰け反りそうになった。
「……そんなっ‼︎ 嘘でしょう⁈ 親父……!」
「いやぁぁぁぁ‼︎」
おふみは悲鳴を上げ畳に頽れると泣き始めた。