月夜の特訓
薄い雲が流れる月夜に、境内は虫のさざめきだけが響く。
伏虎と狐面の男は昨日と同じ時間に同じ場所で静かな闘志をぶつけ合いながら向かい合う。
伏虎は一日中、狐面の男の動きを頭で思い出しながら戦い方を工夫してきた。
お陰で心配して何度も顔を覗き込む兎丸の頭を何度も叩く羽目になった。
伏虎は思う。
力だけでは勝てない。
やはり、男の技を真似て鋭くキレのいい投げを放つしか無い。
狐面はまるで深い池のように静かに佇む。
「よく逃げずにきたな、伏虎よ。お前は良い力士になる」
「ぬかせ、狐野郎。おい、俺が一本でもとったら墓前で兄貴に謝ってもらうぜ」
伏虎は四股を踏み、己の腹を叩いて狐面の小男を睨みつけた。
その言葉に狐面が薄く笑ったような気がした。
「なんだ? まだ俺の軽口を気にしてるのか? いいだろう、俺から一本でもとれたら墓前に手をついて謝ってやるよ」
「言ったな、この野郎! まずはそのふざけた面を剥がしてやるぜ!」
そして、伏虎は狐面へと全力でぶつかっていった。
半刻後、伏虎は息を荒げながら草むらに倒れ伏して月を見上げる。
何十度投げ飛ばされたかわからない。
そして、小男を一度でも投げ飛ばすどころか、狐の面に手をかけることすら出来なかった。
……完敗
今日も完膚なきまでにやられたのだ。
「……くそっ 化け物め」
腹の立つことにその呟きに狐面は合いの手を入れてくる。
「うむ、昨日よりはよくなってるぞ、伏虎。身体の中心に力が入っていた。だが、まだまだだな。手の入れ替えや技の切れ、言い始めたらキリがない」
いらいらしながら伏虎は顔を顰め、狐面を恨めしそうに見上げる。
「……チッ うるせえな、妙なおっさんだぜ。おい、こんなことしてアンタに何の得があるってんだ? あんたはいったい何がしたいんだ?」
腕を組んで狐面の小男は素っ気なく応える。
「さあな。お前は三日後に始まる江戸場所の事だけ考えていればいい。明日で最後だ。同じ時間にこい」
呆れるような狐面の強さにうんざりしながら伏虎は顔を上げる。
「ったくよお…… 息一つ乱さずどんだけ化け物なんだ、てめえは」
さっさと背を向けて歩き始める狐面は少しだけ手を上げて、どんどんと遠ざかっていった。
「その意気だ。いいか、今のお前が在るのは周りの人間のお陰だということを忘れるな。今日のお前は少しその事を思いだしていたようだな、だから少しだけ手強かった」
「ふん! うっせえよ、おっさん」
林道に入ると、仲間たちが壬午郎に声を掛けてくる。
「壬さん、おつかれーー」
「毎日よくやるぜ。でけえ力士相手によお」
「相変わらず余裕だな、壬さん。まるでガキと大人の喧嘩だぜ」
勢二郎、白石、お駒は昨日と同様、二人の取り組みを闇の中から観察していた。
まるで野次馬だな、と三人の能天気な様子に内心で苦笑しながら壬午郎は着物の上をはだけた。
「そうでもないさ」
見ると、壬午郎の肩や胸の辺りには月明かりでも確認出来るほどの痣がついていた。
練磨の壬午郎には珍しい手傷である。
「おお……!」
「おいおい、大丈夫か? 壬さん、すげえ痣じゃねえか」
狐面をつけたまま壬午郎は呟くように言った。
「まだまだ伸び代があるぜ、あの若造」
そして先行して帰り道を歩いて行くが、珍しい壬午郎のその様子に白石は少し笑みを浮かべる。
「いつになく、楽しそうだなあ壬さん」




