依頼の条件
どこかから流れ出る風に微かに揺れる灯りが御神像の恐ろしい表情を照らし、一層洞穴の闇を深める。
息を呑み込む間もなく、どこからともなく響いてくる声は羽鳥に問いかけた。
「さて、お主がここへ参った訳を申せ」
「……はい」
羽鳥は汗を拭い、一つ息を吐くと気力を振り絞りながら御神像の足元辺りを見つめた。
「私は相撲部屋の一つを預からせてもらっております、羽鳥と申します。この度ここへ参ったのはこの世から消してもらいたい憎き仇がいるからです」
暫し目を閉じ、愛弟子の最後の取り組みや最期となった姿、あの日の伏虎の悲鳴を思い浮かべる。
消えてくれない記憶は思い出す度に胸を切り裂き、嘔吐しそうなほどの悲しみと怒りに囚われる。
……感情を堪えながら羽鳥は訥々と語り始める。
「……私の弟子は一年前の江戸場所で張天山の汚い罠に嵌って身体を壊され、結果その生命を奪われました。それだけなら仕方ない、と諦められます。結局は全て弟子の心を分かってやれなかった私の責任だからです」
そして、協力者からこないだ聞いたばかりの張天山の動向を思い返す。
……もはや、ヤツを許すことは出来ない
「しかし、この度ヤツは…… 張天山は残された弟弟子である、件の力士の元付き人にまで危害を及ぼすと言うのです。もはや生かしておけません」
視界がぼやけるので、目元を押さえてみると、掌が濡れる。
己で気が付かないうちに羽鳥は涙を流していたらしい。
不甲斐ない己の身に一つ苦笑いすると羽鳥は続けた。
「……ヤツはあの日、私の弟子を散々痛ぶり、そればかりか土俵の上で再起不能にまで追いやりました。一年経って反省するばかりか酒の肴にする始末です……! どうか……! どうか、この相撲界に巣食う鬼を成敗してください‼︎」
地面に額を付け、神に祈る気持ちで祈った。
……相手が神でないことは分かっている
この世に神など存在しないのだ。
清廉な心を持った愛弟子の生命が無惨に奪われた事で羽鳥はそう確信している。
しかし、姿は見えずとも影に潜む渡し人たちが只者ではないことは、羽鳥の老体に威圧となってひしひしと感じられた。
暫くそうしていると洞に反響するような穏やかな声が羽鳥の耳に届く。
「張天山が標的、ということでいいのか?」
「……いえ、あつかましいお願いとは思いますが、此度の依頼には条件がございます」
「聞こう」
羽鳥は考えに考えた末に、ただ張天山を殺すだけでは己の気が済まず、また伏虎にとっても良くない、と結論づけた。
故に大枚をはたいて、殺しの依頼に条件をつけることにしたのだ。
「まずは一つ。あの夜、我が弟子を痛めつけた奴らを残らずこの世から消してください。こちらにその名前がございます」
そう言うと、羽鳥は御神像の足元に筆箱と手紙を差し出した。
中には金子も入っている。
びゅう、と洞の穴から風が靡く音が聞こえた。
「二つ目。……出来るなら、残された弟弟子、伏虎にその手で復讐を遂げさせてやりたいのです。あいつはこの一年、張天山を倒すために血反吐を吐きながら鍛錬を積み重ねてきました。そんな伏虎を私は何もできない己の身を歯がゆく思いながら見守ってきました…… 伏虎には土俵の上で張天山との決着をつけさせてやりたいのです。渡し人の皆様には、江戸場所中に張天山が罠を仕掛けてきたら殺すのではなく、奴の身体を壊して欲しいと思っています……」
江戸場所の決着を待って伏虎を守りながら張天山とその一味を始末する。
これが条件の全てである。
平伏したままで羽鳥はじっと渡し人たちの返事を待った。
金を受け取って、殺す。
それだけが渡し人たちの生業だ、と明雲には説明を受けた。
しかし、どうしてもただ殺すだけでは伏虎の気持ちが収まらない、と考えたのだった。
……渡し人たちは受けてくれるだろうか?
永遠のように思われる一瞬の時を羽鳥は平伏しながらじっと待っていた。
「なるほど、あくまでも土俵の上で決着をつけたい、ということだな」
「……左様にござります 可能でしょうか?」
ジジ、と灯りが燃え揺れる音の後に、反響する声の返答があった。
「わかった、願いを聞き届けよう」
羽鳥はその声を聞いた瞬間に、己の肩から一つ荷物が降りた気がした。
渡し人たちにこの件が了承された以上、事は成ったも同然、と凄まじい噂の数々を伝え聞いた羽鳥は確信していた。
「……ありがとうございます! ありがとうございます……!」
頬から流れ落ちる涙を拭いながら羽鳥は何度も平伏した。
やがて穏やかな声が風に乗ってうち響く。
「では、金子を御神像の足元に置いて立ち去るがよい。分かっておると思うが、黒閻洞と我らのことを誰かに喋れば命はない。気をつけよ」
最後に羽鳥はしゃんとした声で返事した。
「……へい、老い先短い生命でございやすが仁義というものは心得ております」
羽鳥が去った後に、御神像の影や洞の窪みから人の影ががすっと現れた。
──北町奉行所大目付周防播磨守忠直
──北町奉行所書記番頭左藤兵衛
──抜け忍白石
──同じく抜け忍お駒
──鳶職人壬午郎
──元城河藩藩士の素浪人雨野勢二郎
彼らこそが江戸の闇に巣食う鬼を喰らう鬼たちであるが、今回の依頼では意見に食い違いがあるようだ。
「おい、爺さん、どういうつもりだよ? 俺たちの仕事は金を受け取ってただ相手を殺す。それだけのことだったんじゃねえのか? なぜこんな面倒な依頼を受けやがった?」
雨野勢二郎が不服そうに口を真一文字に結んで白髪の老人に問いかける。
勢二郎の言う通り、渡し人とは金を貰って人を殺すのが仕事である。
決して慈善事業でも工作員でもない。
しかし、白い眉を寄せながら、六名の中でもとりわけ上等な服を着た白髪の武士風の男は無表情で淡々と応える。
「わしと兵衛が渡し人を結成してから、約五年。確かにこのような複雑な依頼は受けたことはなかった。だが、お前がこの暗殺組織に加入して二年になるか。わしは当初よりこの組織の練度や連携は遥かに向上した、と思うておる。だから出来る、と思ったのだ。勢二郎よ、見込み違いだったかの?」
渡し人の首領である播磨にそこまで言われては元武士として返す言葉もない。
それは勢二郎の微かに残った武士としての誇りを刺激するような物言いであった。
嫌そうに眉根を寄せながら勢二郎は舌打ちした。
「……チッ! 嫌な煽り方をしやがる爺さんだぜ。やるよ。やれねえわけないだろう」
羽鳥の置いていった筆箱を確認すると左藤兵衛は、渡し人たちに中身を見せる。
中には予想以上の小判が入っていた。
「……あの依頼人、二十両も置いていったぞ。一人五両だ。受けるなら必ずきっちりと依頼は果たしてやれ」
それは羽鳥が隠居後の為に貯めていた資金であった。
……もう必要ない、ということもあるが、羽鳥は弟子の為に使うのが最上と考えたのだった
依頼を断る者はおらず、一人五両ずつ左藤の手ずから受け取っていく。
やがて壬午郎が一同を見回し、腕組みをした。
「皆さん方よお、俺に一つ提案があるぜ」
白石が驚いたように壬午郎の目を見つめる。
「どうした? 壬さん。珍しいな」
相変わらずの無表情だが、静かな瞳で壬午郎は順序立てて話し始めた。
「俺の見立てでは伏虎は勝てん。千秋楽にたどり着くまでの十四戦でボロボロになるだろう。あいつは真っ直ぐいくことしか知らん馬鹿野郎だからだ」
その言い草に白石は思わず笑う。
「ははっ! 言うねえ、壬さん。じゃあどうするんだ?」
何かを思案しながら壬午郎は腕組みを解いた。
煌々と燭台の灯りが揺らめく音だけが闇に響く。
「俺に一つ任せてくれねえか」
※お詫び
本作の主人公の一人、雨野勢二郎の読みは「あまの」なのか「あめの」なのか作中で表記揺れがありました。
単純に作者のミスですが、江戸期の漢字は表記揺れが多く、どう読んでもいいという背景もございました。
あの有名な伊達家も江戸以前は「だて」ではなく「いだて」と読んでいたようです。
とりあえず、雨野勢二郎の正式な読み方は「あまのせいじろう」です。
たまに表記揺れがあるかもしれませんが、気になる方は誤字報告や個メなどで連絡くださればすぐに修正するつもりです。
ではどうかこれからも「裏稼業」をよろしくお願いします。
※すいません、また後書きでも間違えてました……
「あまの」です……




