墓前にて
橙色の日が差し込む静かな墓場の墓石の一つに初老の男がじっと佇んでいた。
なんとも寂しげな場所であるが、線香を焚き、花を供え白髪の男はしばらく目を閉じると青年の在りし日を思い浮かべる。
「タツよ…… もう一年になるなあ。なかなか墓参りに来れなくて済まなかった。思い出すと辛くてな」
ここ暫くのことを羽鳥親方は息子に言い聞かせるように訥々と竜ヶ峰の眠る墓石に語り続ける。
「虎は頑張っとるよ。この一年で小結にまで昇進した。お前の仇をとる、と意気込んどる。でもその気負いが危うくてなあ…… もうワシの手に負えんほどに昂っておる。泣き言を言って悪いが、どうかあの世で虎を見守ってやってくれ」
とりわけ心配事は荒ぶる伏虎の現状である。
一年前に比べて腕を上げたまでは良いが、このままでは何をやらかすかわかったものではない。
復讐に燃える気持ちは羽鳥としてもよく理解しているつもりだが、それが彼にとって悪い方向に作用しているようにしてならないのだ。
もはや、あの世にいってしまった竜ヶ峰でなくては伏虎を止められないだろう。
暫く墓石の前で目を瞑っていると背後から男の声がかかる。
「親方、こちらでしたか」
羽鳥が振り返るとねじり鉢巻を外しながら男が会釈をする。
「ああ、来てくれたか二ノ助さん。いつもつまらない仕事を頼んですまないねえ」
「そんな事言わねえでくれ、羽鳥親方。俺も竜ヶ峰関のことは残念に思ってたんだ。これくらいはさせてくれ」
二ノ助と呼ばれるこの男はこの一年間、三角山部屋に料理の配達員として出入りし、その動向を探ってくれていた。
昨年の竜ヶ峰の自害を不審に思い、推理できる事実を羽鳥親方から聞いていたからだ。
彼は羽鳥にとって信頼できる協力者であった。
二ノ助の手元の花を見ると羽鳥は優しく微笑む。
「そうか、嬉しいねえ。参ってやってくれ」
二ノ助は花を供え、目を瞑って墓石に手を合わせる。
墓参りが終わると二ノ助は羽鳥に申し出た。
「親方、少し場所を移して話しやしょうか」
場所を移し人がいないことを確認すると、二ノ助は懐から紙を取り出す。
ここ数ヶ月、三角山部屋について調べたことが色々と書き込んであるようだ。
「やはり、一年前に大関に暴行を加えたのは張天山とその息のかかった弟子どもで間違いないようです。言質もとりました。こちらが憎っくき奴らの名前です」
差し出された紙を受け取りながら無表情で羽鳥は礼を述べる。
「……そうか ご苦労さまだったねえ」
静かな怒りを押し隠しながら二ノ助は今見てきたことを更に親方に報告する。
「それだけじゃあねえ。奴ら、今日は酒を呑みながら相談してやがりました。もし伏虎関が横綱に匹敵しうるほど強いなら竜ヶ峰関と同じ目にあわせる、と。……ちくしょう! なんて汚ねえ奴らなんだ‼︎」
「そうか……」
この一年、苦しみながら頑張る羽鳥と伏虎を二ノ助は密やかに見守ってきた。
もはや、張天山一派への嫌悪感は最高潮に達していた。
ダンダン、と脚を地面に打ち付ける二ノ助を冷静に見つめながら羽鳥は礼を重ねる。
「ありがとう、二ノ助さん。これで私の腹も決まったよ。もはや遠慮する事はない相手ということだ」
羽鳥はあくまでも竜ヶ峰の生命を奪ったのは竜ヶ峰自身だと考えていた。
張天山による卑劣な罠も自死のきっかけに過ぎないと考える。
しかし、愚行を反省もせず、虎丸にまで手を出そうとするなら話は別だ。
羽鳥は静かな怒りをその胸に燃えたぎらせる。
どことなく羽鳥の目の色が変わったのを二ノ助は敏感に感じ取った。
「……親方 いったい何をなさるおつもりで? 心配です」
二ノ助は怪訝そうに問い返す。
この親方が奉行所に訴え出るというなら、もちろん協力するつもりであったがどうやらそのつもりはないらしい。
突然、羽鳥が咳き込み始め喀血した。
慌てて駆け寄ろうとする二ノ助を羽鳥は片手で押し止める。
「親方……!」
口元の血を拭いながら羽鳥は笑った。
「ふふ、くたばりかけの老人が末期にやり残したことを遂げるだけさ。アンタまで巻き添えを食うことはねえ。ありがとうな、二ノ助さん。よくやってくれた。アンタの恩は忘れねえ。だがここから先はワシと虎、そして鬼どもとの戦いさ。これ以上は我々に関わらない方がいい」
ヒュウ、と微風が薄暮れの草原を靡かせる。
瞬間、二ノ助は羽鳥の目の奥に宿る鬼を垣間見た。
「親方……」
二ノ助は背筋を震わせる。
この親方はどうやってか分からないが、張天山とその一味をこの世から消そうとしているのだ……




