三
店の者達が運ばれたという診療所に到着すると典和は丁稚や番頭たちの手を取りその様子を確かめる。
「こいつはひどい……」
医者の説明によると、処方により全員眠りについているようだが全員がいずれも殴打による骨折を負っており、一人は未だに意識不明の重体だそうだ。
「ああ……可哀想に吉次郎に勝太に正平、三助…… あいつらなんてことしやがる!」
典和は涙を流しながら怒りを吐き出す。
菅四郎は青い顔で病床の店の者をじっと見つめながら父親に問いかける。
「親父……どうするんだ?」
「決まっている! こうなったら懇意にしている与力、高木さまに奴等の今までの悪行をぶちまけてやる! 私の知る限りの証拠を揃えてな。お医者さま、どうか丁稚たちを頼みます」
深々と頭を下げる典和に医者は厳かに応える。
「分かりました。最善は尽くします」
そして典和は立ち上がると嫡男を奮い立たせるように声を張り上げる。
「菅四郎、書類の整理を手伝え」
「へい」
店に戻った親子はぐちゃぐちゃになった店内を取り敢えずそのままに、書斎の書類の整理と点検を始める。
今までの取り引きや記録から稲富商会の泣きどころや不正の証拠を集めるためだ。
典和は怒りを腹に収めながら、手を止めずに傍らの息子に悲しそうな表情で昔語りをした。
「あいつらも始めからああじゃなかった……若い頃、稲富会を立ち上げた頃は少しでも人の役に立とうと青雲の志を共にしたものさ」
「へえ…… 今のあいつらからは想像もつかねえな」
「あんなに腐敗するまで放っておいた私も同罪だ…… いいか、菅四郎。今夜私は信頼出来る同心であり友人でもある高木さまに会って何もかもぶちまける。
奴らもお縄につくまでに我々に何らかの報復をしてくるかもしれない。
私が戻らなければお前は明日朝一番におふみを連れてほとぼりが冷めるまで母さんの田舎に引っ込んでるんだ。わかったな?」
亡き妻の位牌をちらと見遣りながらそんな事をいう父親に流石の菅四郎も青筋を立てて叫んだ。
「何を言うんだ! 親父! 俺も同行するに決まってるだろ⁉︎」
しかし、典和頑固にも息子の言を斥けるように怒鳴り返した。
「ダメだ! どこで稲富と轟々組の奴らが襲撃してくるかわからない。私に何かあったらおふみを守れるのはお前しかいないんだよ! 今夜は雨戸をしっかり閉めて私の声がするまで大人しくしていてくれ」
その父親の剣幕に押され菅四郎は渋々と頷く。
「……わかった親父。気をつけて帰ってきてくれ」
「ああ、留守は頼んだぞ」
辺りはすっかり薄闇に紛れ、街の外れの方の料亭へと典和は向かう。
信頼できる同心である高木の家人に言伝し、何とか無理を言って今日中の面会を取り付けたのだ。
「こんばんは、関本です」
「ああ、関本さんね。高木さまがお待ちですよ」
約束の場所である料亭に辿り着き、暖簾を潜り典和は少し息をつく。
気を張り詰めながら歩いてきたのだ。
店の者に案内されながら奥座敷に入ると既に高木は煮えた鍋をつつきながら一杯引っ掛けていた。
典和は頭を下げながら丁重に挨拶をする。
「御足労いただき申し訳ない。高木さま、話というのは稲富会についてなんだが……」
「おお、関本さん。ささ、まずは一杯やろうじゃないか。鍋もほどよく煮えているよ」
人の良さそうな笑みで高木は典和に上座を勧め、酌をしようとする。
「すみません、私は下戸なもので…… お料理だけお呼ばれします」
早速、典和は自宅から用意してきた資料を高木に見せながら稲富商会の悪業を説明する。
ふんふん、と大きく頷きながら高木は憤ったように時折鼻を鳴らした。
「……このように奴らのやり方に泣かされた人間は数知れず、稲富商会とはヤクザと組んで乱暴狼藉の限りを尽くし、債務者の女房娘さえも遊郭に売り払っちまうような外道なのです」
「なるほどなあ…… 話に聞いちゃいたが稲富会ってのはそこまで悪辣だったか」
眉間に皺を寄せながら高木は「君のところも大変だったね」と労う。
「よしわかった。早速お奉行にあげてみよう。この文書は預からせてもらっていいな?」
「へい。どうかよろしくお願い申し上げます」
「安心しろよ。これで稲富もその取り巻きも年貢の納めどきだぁ。俺が手ずから捕らえてやるよ」
高木誠心は北町奉行所の有力な同心として知られる。
この様子なら安心だろう。
きっと稲富商会も轟々会も纏めて捕らえてくれる。
後は事が済むまで身辺に気をつけていればいい。
典和は胸を撫で下ろしながら頭を深々と下げる。
「本当にありがとうございます。高木さま。こちらのお代は払っておきますので」
そうして丁重に礼を述べ典和は店を後にした。
一人店に残り、お代わりの熱燗を啜りながら高木は独り言のように呟く。
「はぁ…… 聞いてたか? 稲富」
その時、隣の座敷の襖が開き下卑た表情を浮かべた恰幅の良い男が姿を見せた。
……稲富弥平治である
如才なく稲富は笑みを浮かべながら高木に酌を始める。
「へい、しっかりと。全く関本ってのは困った頑固者で。御足労かけますね」
「全くだ。調べが進めばお前から色々受け取ってる俺まで御用になっちまう。
やれやれ、こちらの酒代だけで俺を動かそうだなんて随分と安く見られたもんだねえ。
……仕方ねえ、奴には消えてもらうか」
あから顔で事も無げに高木は表情を変える事なく残酷な仕打ちを宣言した。
稲富は揉み手をしながら相槌を打つ。
「旧友とは今晩でお別れですか。寂しくなりますね」
「顔が笑ってるんだよ。この外道め」
ふん、と鼻を鳴らしながら高木は鍋から鯰の肉を掬い上げる。
「刺客を差し向けた。これで関本が明日の朝日を拝むことはないぜ」
「流石は高木さま、迅速な一手ですな。いやいや、我ら凡人とはやはり違う。ささ一献」
低く下卑た笑い声を上げながら稲富はそそくさ、と高木の杯になみなみと酒を注ぎ入れた。