鉄血壬午郎
江戸期の街開発は目まぐるしく、連日のように所々で工事が続けられる。
街中のとある一帯の切り立てられた工事現場では昼間からけたたましい金槌や鋸の音や怒号のような濁声がうち響く。
「おい! 鉋がけ甘えぞ! やり直しだあ!」
「土嚢もっと急いで持ってこい! 納期に間に合わねえぞ!」
「右! 右! もう三歩右だ!」
江戸のドブ街を中心に活動する丸木組は中々の評判の職工集団であり、素性を問わず腕の良い大工や左官を雇い入れ近年ますます力をつけてきている。
そんな組の中でも目立った働きぶりの中年の男が今日も鉄骨を軽々と担ぎ上げて涼しい顔であちこちを行き交っていた。
そんな男にこの集団の作業服である法被のような粋な服を着た男が仕事の目処がついたところを見計らい声をかける。
「おーーい! 壬さん! そろそろ休憩にしようや!」
壬と呼ばれた男はその声に振り返り無表情で返事をする。
「組長、俺ならまだ疲れてねえ。構わねえで茶でも飲んでくれ」
丸木屋はいろはに四組で構成され、三年ほど前に雇い入れたこの壬午郎という素性の知れない男はろ組に所属している。
壬午郎は他の大工集団から引き抜きの誘いがあるほど腕が良い。
何しろ大工、左官、鳶の職能を兼ね備えているのである。
頬をかきながらろ組の組長源八は困ったように壬午郎の顔を見つめる。
「お前が休み無しで働いてるのに俺がのんびり飯を食ってる訳にいかねえだろう? おめえの底なしの体力は知ってる。だが俺の顔を立てると思って休憩とってくれや。な?」
ため息をついて壬午郎は頷いた。
「わかったよ」
と、その時だった。
慌てた様子の職工の男が源八と壬午郎の元に走り込んできた。
「おーーーい‼︎ ろ組の組長さん! 壬午郎さん! 大変だ! 聞いてくれ!」
源八は眉根を寄せ訝しげに尋ねる。
「どうした? い組の」
「ウチの組長とに組の新さんが大喧嘩を始めちまって……! 頼む! 壬さんを貸してくれねえか⁈」
息を切らせながら懇願する男を呆れたように見つめながら源八は顎をかいた。
い組の組長安右衛門とに組の組長新兵衛は犬猿の仲であり、顔を合わせれば喧嘩をおっ始めることはこの界隈では有名である。
「……おいおい いい加減にしとけよ…… あいつらは何度喧嘩を繰り返したら飽きるんだ? こっちはウンザリしてるんだぜ? もうほっときな。一度大怪我でもすればいいんだ。ウチの壬午郎はこれから昼飯を食いにいくんだよ」
「そこをなんとか……! 頼むよ! 今度の喧嘩はあいつら金槌まで持ち出してきて本当にアンタの言った通り怪我人が出かねないんだ‼︎」
ますます平伏するい組の男を無表情で見つめて壬午郎は源八に頷いた。
「……いいよ源さん 俺が仲裁してくるよ」
「壬さん。済まねえなあ……
おい、い組の奴だったな? てめえらのお頭なんだろ、次はてめえらでなんとかしろや」
呆れたような源八の目に恐縮しながら男は頭をかいた。
「本当に申し訳ねえ…… ただ、い組もに組も気が荒くてなあ」
わいわいと囃し立てる仲を二人の男が掴み合いながら罵声を飛ばす。
「おい‼︎ い組の唐変木‼︎ てめえんとこの仕事が荒いから作業が進まねえだろうが‼︎」
「なんだと⁉︎ に組のドン亀野郎‼︎ てめえらのとこの仕事が遅えから作業が滞ってんだろうが‼︎ てめえんとこの不手際をこっちのせいにすんじゃねえぞ!」
お互いに片手に金槌を握っており今にも大喧嘩を始めかねないが、気の荒い職工集団は面白そうにその様子を見つめ囃し立てる者までいた。
「あ⁈」
「あぁ‼︎」
「殺すぞ‼︎」
「あ? ぶっ殺すぞ⁉︎」
慌てて二人の間に割って入ったのは初老の男であった。
「ええい! やめんか! いい加減に大人にならんか二人とも‼︎ 周りも囃し立てるんじゃない!」
丸木組の親方丸介は周りを睨みつけながら二人を嗜めるが男たちは聞く耳を持たないようだ。
い組の安右衛門とに組の新兵衛は喧嘩をとめようとする親方を挟みながら尚も睨み合う。
「親方は引っ込んでてくれよ。血を見るぜ」
「そうだ! 今日こそは俺はこいつの血を見なくちゃ収まらねえ……! おい! 新兵衛! ぶっ殺してやる‼︎」
「なんだと‼︎ 安右衛門! そりゃあ俺が言いたかったことだぜ‼︎ ぶっ殺してやらあ‼︎」
遂に二人は真っ赤な顔で拳を振り上げ互いに殴りかかった。
「やめんか! おい! やめんか‼︎ ……グゥ!」
丸介は慌てて一人の肩を掴むが振りかぶった肘がもろに顎に入りうずくまる。
二人は少しすまなそうにしたが目が合うとじきにまた怒りが湧いてきたのか今度は金槌を振り上げますます険悪な雰囲気が深まる。
「おいおい、俺は引っ込んでろと言ったぜ? お頭。さあ殺してやるぜ新‼︎」
「そこで休んでなお頭! こんなやつすぐにひねってやらあ‼︎」
「うおおおい! 誰か……! 誰かあいつらを止めてくれえい‼︎」
丸介は地にうずくまり周りを見つめるが誰もが楽しげに二人の喧嘩を見つめ、歓声をあげるばかりであった。
「おい、大の大人が昼間から何をはしゃいでやがる」
その時、砂を踏みしめるような足音と冷たい声が喧騒を引き裂くようにかき消した。
やや小柄な影は乱暴な二人の男を睨みつけ辺りの空気が一気に冷えるように引き締まった。
「……うっ 壬午郎……」
「……チッ」
喧嘩自慢の安右衛門と新兵衛が喧嘩をやめ、冷や汗を流してこの小柄な中年の男から目を逸らす。
鉄血の壬午郎。それがこの界隈での男の通り名であった。
二人とも壬午郎が加入した初日に喧嘩を売りあっさり締められ、以後何度も喧嘩を売っては捻られている。
丸木屋の法被を最も粋に着こなしているのはこの男であった。
壬午郎は倒れて鼻血を流している親方を介抱するとじっと周りを睨みつける。
さっと人混みが引いていくように男たちは持ち場へと戻っていった。
「大丈夫か、親方 おい、雁首揃えて何を囃し立ててやがる? てめえらの組長だろうが? 揃いも揃ってさぼってんじゃねえぞ」
騒ぎの元凶である二人は気まずそうに舌打ちしながら冷や汗を拭うとさり気にその場を離れようとした。
「……あーあ しけちまったな、戻るか」
「フン……! ここは預けておくぜヤス」
しかし、二人の肩にポンと力強い掌が置かれその冷たい声に安右衛門と新兵衛の肝が冷える。
「おい、何を寝ぼけたこと言ってやがる? 俺を呼びつけといてタダで済ますわけないだろう?」
冷たくも恐ろしい形相の壬午郎を振り返り、二人は顔を顰めながら反論する。
肩を掴むその腕を振り払おうとするが、当然のように剥がれない。
「んだよ! こりゃあい組とに組の問題だ! 引っ込んでろよ! 壬午郎!」
「そうだ! てめえの持ち場に帰りな! このムッツリ野郎‼︎」
ふう、と息を吐くと壬午郎はますます表情を消して二人の顔を睨め据える。
「おいおい、こっちはてめえの手下に呼びつけられてわざわざ来てやったんだぜ? てめえらが馬鹿すぎてうるせえからってな。それと今のは少しアタマにきたぜ」
二人の額からぶわりと冷や汗が吹き出した時にはもう遅かった。
「……お、おい壬午郎やめろ! 悪かっ……」
「おい、ちょっ…… 待て……」
ぐらりと二人の体幹が揺れたかと思うと安右衛門と新兵衛は回転しながら空中に跳ね上がりやがてどう、と腰からその身を打ちつけ悲鳴を上げた。
「「ぐぇぇぇぇぇぇ‼︎」」
あまりの痛みと恐怖に二人は気を失ったが構わず壬午郎の罵倒の声がかかる。
「おい、飽きもせず何度も同じことやってんじゃねえ。昼間から喧嘩したきゃ他所でやれ。迷惑だ」
そしてちらほらと、見学していた男たちを睨みつける。
「お前らもさっさと仕事しろ」
出歯亀をしていた者たちは慌てて持ち場へと逃げていく。
丸介は壬午郎の肩を借り立ち上がると頭をかきながら礼を述べる。
「……済まねえなあ壬午郎 俺も年だな」
「いや、構わねえよ。治療がいるな親方 おい誰か」
日が西に沈みかける頃、橙色の夕陽を背に職人たちは仕事を締め、一日の疲れを癒すように酒を呑み、料理に舌鼓を打つ。
丸木屋の行きつけの料亭は今晩もてんてこ舞いである。
「お鶴さん! こっちに熱燗一丁!」
「いやいや、こちらに冷や奴頼むぜ! お鶴さん!」
「おーーい! メザシ五人前頼むぜー」
職人たちは思い思いに酒や食べ物を注文する。
喧騒が飛び交う店内を僅か三名の女中が捌いていくがとりわけ見目麗しく駒のように働いている人気の女中が「お鶴」であった。
「はいよー」
笑顔を絶やさず健気に働くお鶴は口説こうとする男たちをかわしながら、一人の男の影を認めると本当の笑顔を浮かべながら手拭いで汗を拭うと近づいていく。
「壬さん、こんばんは。昼間は喧嘩の仲裁をしなさったそうで大変でしたね」
そんなお鶴に壬午郎は相変わらずの仏頂面で応える。
「仲裁ってかぶっ飛ばしただけさ、なんてことはねえ…… いつもの頼んだぜ」
「……ええ いつもすみませんねえ お付き合いもあるでしょうに申し訳なく思ってます」
そう言うとお鶴は手製の弁当を手渡す。
一年前に壬午郎の隣の部屋に越してきたお鶴は弥太郎という男の子を持つ子持ちであり、自分が働いている夜間、壬午郎が彼の面倒を見るのが習慣となっている。
「むさいおっさんどもと呑んでるより弥太郎とメシ食ってる方が幾分良いさ」
「……そう言っていただけると助かります」
恐縮しながらお鶴は頭を下げる。
料亭で働くお鶴の帰りは暮れ四つ(午後十時)を超える。
帰宅すれば穏やかな顔で眠っている弥太郎を見る度にお鶴は安心し、壬午郎に感謝している。
「おーーい、お鶴さん 壬午郎とばっか喋ってないでこっちへ酒持ってきてくんな!」
お客に呼ばれお鶴は申し訳なさそうに壬午郎に頭を下げる。
「はいよーー! すみませんね、壬さん。じゃあまた」
「ああ」
手を振り、壬午郎はテクテクと夕陽の道を帰っていく。
ドブ街のとある長屋の横の小さな広場では少年たちが一人の男の子を指差し囃し立てていた。
「おい、弱虫弥太郎! お前まだ竜ヶ峰なんか応援してんのか? あいつは弱いから死んだって父ちゃんが言ってたぜ!」
「ははっ! 弥太郎も弱虫だからお似合いだな!」
その揶揄うような声に弥太郎は肩を震わせ怒りを露わにする。
「僕は弱虫だけど竜ヶ峰の悪口を言うなよ! もう死んだ人だぞ! それに竜ヶ峰は弱くない! 張天山が汚いんだ‼︎」
「うるせえなあ! 横綱は横綱だから強いんだよ! このグズが!」
頭にきたガキ大将と思しき少年が弥太郎の顔を殴りつける。
「……グッ 竜ヶ峰はきっと張天山の汚い手にかかって膝を壊されてたんだ! ブンヤのおっちゃんが言ってたよ!」
「ああ! うるせえ! ちょっとしめるかこのグズを!」
迫ってくるガキ大将とその取り巻きたちに怯むことなく弥太郎は尚も抗弁する。
「暴力を奮って黙らせるなんてお前らは張天山と同じだ! 汚いクズども!」
「なんだと弥太郎! もう許さねえ!」
「ちょっと殴ってやろうぜ!」
その時ふらりと現れた影にガキ大将たちは思い当たり身をすくめる。
「おい、ガキども うるせえぞ、はしゃぎすぎだ」
「……うわあ! 鉄血壬午郎だ‼︎」
弥太郎をいびっていた少年たちが逃げ出す間もなく、壬午郎の拳がその頭に落ちる。
「いてえ!」
一人一人を捕まえ、壬午郎は子どもたちに拳骨を喰らわせていった。
「とりあえず全員一発ずつだ。ガキども、これに懲りたら弱い者いじめする大人になるんじゃねえぞ」
泣き出しながら逃げるガキ大将たちに壬午郎はふん、と鼻を鳴らした。
「壬午郎のおっちゃん……」
「相変わらず弱い癖につっかかっていってんのか弥太郎。気に入らなきゃ黙ってりゃいい話だろう」
壬午郎は弥太郎の顔の痣を見つめながら呆れたように諭す。
しかし、弥太郎は口を真一文字に結んで不満気に呟いた。
「……でもあいつら竜ヶ峰の悪口を言ったんだ」
夕陽が山に隠れるのを見つめながら壬午郎は抱えた弁当を弥太郎に見せながら帰宅を促す。
「帰ってメシ食うぞ弥太郎。今日はお鶴さんが鯵を焼いてくれた」




