千秋楽の悲劇
広場の中央に設られた土俵には人々の歓声と熱気が降り注がれる。
中央には陣幕が貼られ幕閣やお忍びで観戦に来た大名たちが姿を隠しながらも青空の下で相撲観戦を楽しむ。
大いに盛り上がった江戸場所も本日をもって終わり。千秋楽である。
本日最後の取り組みである全勝対決、張天山対竜ヶ峰の対戦をもって江戸場所の優勝者が決まる。
取り組みが進むにつれ、観客の熱気はいや増すばかりである。
……しかし
これだけの注目を集める一戦の勝負の行方は残念ながら、もはや戦わずして決まっていた……
羽鳥部屋の支度部屋では弟弟子たちが縋るように満身創痍の竜ヶ峰を押し留めていた。
「タツ兄! やめてください! そんな身体で土俵に上がるなんて無茶だ‼︎」
「そうだ! やめてください! 膝も肘も完全にぶっ壊れちまってるじゃねえか‼︎」
竜ヶ峰は身体中に包帯を巻き、右肘も満足に動かず左膝は壊れている。
張天山の卑劣な罠により竜ヶ峰の身体は完全に壊されていた。
おまさと共に肩を寄せ合い道端を歩いていたところを発見した羽鳥部屋の弟子たちは竜ヶ峰のボロボロの姿を見るや涙し、激昂した。
何があったかは一目瞭然である。
奉行所に直ちに届け出るべきだと主張する者もいたが、竜ヶ峰は頑としてはねつけ、応急処置を受け眠りについた。
そしてこの一戦に出場すると言って聞かない竜ヶ峰は決意の眼差しで今、土俵へと上がろうとしていた。
見かねた羽鳥親方は青あざだらけの顔面の竜ヶ峰の肩を掴み必死の形相で諭す。
「……なあ、タツ 俺からも頼むよ。今日は休場してくれ。悔しいが仕切り直しだ。まだやり返す機会はある」
竜ヶ峰は親方の顔をしばらくじっと見つめ返すと首を横に振った。
「親方…… みんな…… すまねえ…… こればっかりは譲れねえんだ。俺の相撲を待ってる人たちがあんなにいる以上休むことなんてできねえ」
決意を秘めた瞳にもはや誰一人反論出来ず、誰もが包帯を外し花道へと向かう竜ヶ峰を涙を流しながら見送ることしか出来なかった。
「……タツ」
「タツ兄……」
「大関……!」
そして竜ヶ峰は支度部屋を出る間際に振り向き仲間たちに向けて微笑んだ。
「じゃあ、待っててくれ。親方、みんな。あの汚ねえ野郎にせめて一発ぶち込んでくるよ」
「……待ってくれ! 兄貴! 俺もせめて勤めを果たさせてくれ!」
お付きの虎丸は慌てて竜ヶ峰の後ろをついて歩く。
一方、千秋楽結びの一番を待つ土俵は観客たちの戸惑いのどよめきで埋め尽くされていた。
時間いっぱいになっても竜ヶ峰が姿を見せないのだ。
余裕の表情で待つ張天山は心底からほくそ笑み傍の弟弟子とともに嘲笑う。
「クククク…… 馬鹿どもが何も知らねえで騒いでやがる。羽鳥部屋の奴ら今頃きっと泣いてやがるぜ……!」
傍の弟弟子は眉を潜めながらひそひそと耳打ちする。
「しっかしこれだけの熱気だ。優勝決定戦が無くなったとあっちゃあちょっと荒れるんじゃあないですかね? 幕閣のお偉いさんも見に来てるっていうぜ」
張天山はニヤリ、と口角を歪めますます黒い笑みを深める。
「クク…… そこは抜かりない。俺がお前ら五人くらい土俵の上で投げ飛ばせば満足して帰ってくだろ」
「なるほど! 流石横綱だぜ!」
しかし、そんなせこい算段をする張天山の前に慌てた様子の弟弟子が駆け寄ってきた。
「……横綱!」
「どうした?」
訝る張天山に弟弟子は慌てて告げる。
「た、竜ヶ峰が…… 土俵に上がるみてえです!」
驚いたようにお付きの弟弟子は張天山を見遣る。
「……嘘だろ? 昨日あんだけ……!」
張天山は面白くなさそうに顔を強張らせ舌打ちする。
「……チッ」
見ると遠くの花道に歓声に包まれた片脚を庇い進む竜ヶ峰が見える。
(この横綱に逆らう馬鹿者め……!)
流石の弟弟子も顔を青ざめさせながら怒りで真っ赤に染まる張天山に囁いた。
「よ、横綱……! 勝負は決まってんだ…… お手柔らかに…….」
しかしそんな願いをかき消すかのように観客の歓声がますます張天山の胸底を掻き立てる。
「おおっ……! きたきた! 竜ヶ峰ー‼︎」
「汚ねえ横綱なんかぶっ飛ばしてくれーー‼︎」
そうして満身創痍の竜ヶ峰は土俵に達し、ついに張天山へと向き合った。
行司が両者の取り組みの名乗りを上げ、観客はどっと沸く。
「東ぃぃぃ〜〜〜〜! 張天山ぅぅぅぅ〜〜〜‼︎」
「いけぇーーー! 悪たれぇーー!」
「西ぃぃぃ〜〜〜〜! 竜ヶ峰ぇぇぇぇ〜〜〜‼︎」
「頼むぞー‼︎ 竜ヶ峰ーー‼︎」
「俺はお前が張の野郎を投げ飛ばすとこを見に来たんだぁーー‼︎」
先般、確かに骨を砕き、痛めつけたはずだ。
明らかに膝と肘を庇う様子の竜ヶ峰を見ながら張天山は静かな怒りと畏怖を感じる。
二人の事情に構わず行司の合図によりついにその時はきた。
「見合って……! 見合って……!」
開始線についた二人の力士は構え火花を散らす。
青あざを全身に作りながらまるで澄んだような目で己を見つめる竜ヶ峰に張天山は畏怖に近い感情を覚え、そして激怒した。
「はっきよい! のこった‼︎」
行司の掛け声と共に両者はぶつかり合い、がぷり四つに組む。
観客からは今場所一番の歓声が巻き起こった。
張天山は解せない。
右肘はうまく使えておらず左膝も庇うように動いていない。やはり竜ヶ峰は満身創痍だ。
確かに自分の手でこいつを壊したのだ。
訝りながら張天山は組み合う竜ヶ峰に尋ねる。
「おい、竜ヶ峰ぇ。お前、なんでここへ来た? もう一度痛い目にあうこたぁねえじゃろうが?」
しかし竜ヶ峰は痛みを堪えながら張天山を澄んだ目で見つめ返す。
「….…あんたのやり方が気に入らなかっただけさ」
「ふん、引き際を知らん阿呆が。寝とけばこれ以上痛い目をみんもんを」
張天山は余裕の笑みで力を込め直し、竜ヶ峰を押し返した。
今の竜ヶ峰ならばいつでも投げ飛ばせる。
「…….ぐっ!」
膝に圧がかかったのだろう。
竜ヶ峰は呻きながらますます後退する。
張天山は痛ぶるように竜ヶ峰を押す力をゆっくり上げていく。
「ほらぁ、どうしたぁ? もっと気合い入れんかい!」
竜ヶ峰は必死の形相で張天山を睨み返した。
「張天山……! あんたは私に背負うものなどない、と言ったな! あれは取り消せ!」
そう言って左手の張り手を張天山へ食らわせた。
「グッ……!」
のけぞる張天山に観客たちは沸き立つ。
「おおっ! 竜の張り手が入ったぞ!」
「…….しっかし動きが悪いな、今日の大関は。どうしちまったんだ?」
「顔色も悪くねえか? 片膝をかばってるみてえだ……」
ビキビキと青筋を立てながら張天山は怒りの形相で竜ヶ峰に向き合い掴む手を組み直す。
(ふんっ! こなくそがぁ‼︎)
張天山は両腕で竜ヶ峰の腰を掴み力をゆっくりと込め始めた。
「ぐぅぅぅ……!」
痛みで呻く竜ヶ峰に歪んだ笑みで張天山は煽り立てる。
「オラっ‼︎ どうした? 竜! 俺が気に食わんのじゃろう? この虫の息が!」
このままでは竜ヶ峰が完全に壊される。
羽鳥親方や他の弟子たちはたまらず土俵の端に乗り出し、竜ヶ峰に呼びかけた。
「もうやめてくれぇ! タツ兄!」
「タツぅぅぅ‼︎ もういい! もういいんだ‼︎」
そんな様子を横目で嘲るように見つめながら張天山はますます竜ヶ峰の腰への圧を強め続ける。
「……お前にはこの横綱に逆らった罰を受けてもらうぜぇ? たっぷり味わいな、てめえの骨が軋む音を……!」
押すことも引くことも出来ず、竜ヶ峰は張天山の腕に囚われたまま呻き続けた。
「ぐっ……! ぐぁぁぁぁ……!」
虎丸と親方たちは涙を流しながら叫び続けた。
「タツ兄ぃぃぃぃぃ‼︎」
「タツぅぅぅぅぅぅ‼︎」
観客はいつもとは違う様子の竜ヶ峰に訝りながらどよめいた。
彼らにすればまるで予想もしなかった展開であった。
「お、おい竜ヶ峰! どうしちまったんだ⁈」
「やられっぱなしじゃねえか! どうした竜ヶ峰ーー‼︎」
そしてついに張天山はがっちりと掴んだ竜ヶ峰の腰に全力の圧を加えようとする。
「くくくっ‼︎ そろそろ終わらせちゃるわ! くたばれ! 竜ヶ峰ぇぇぇ‼︎」
「ぐぐっ……‼︎ があっ……‼︎」
ごきり、と嫌な音が土俵へと響き張天山がその手を離すと竜ヶ峰は土俵へと前のめりで倒れ込んだ。
一瞬の静寂の後に観客席から悲鳴が沸き上がる。
勝ち名乗りも終わらぬうちに羽鳥と弟子たちは竜ヶ峰へと駆け寄った。
「た、タツ兄ぃぃぃぃぃぃ‼︎」
「ああっ……! タツ…….‼︎」
羽鳥たちが竜ヶ峰の様子を確かめる。
その腰は砕かれているようですぐには動かせない。
観客はざわつきながら悲痛な歓声をあげる。
「竜ヶ峰ぇぇぇぇぇ‼︎」
「ああ…… 何てこった! 竜ヶ峰……. 期待してたのによ……」
やがて簡易な担架の用意が整いゆっくりと運び出される竜ヶ峰に虎丸は泣きながら語りかける。
「タツ兄! タツ兄! しっかりしてください‼︎ タツ兄ぃぃぃぃぃ‼︎」
そんな彼らを嘲笑いながら張天山は馬鹿にしたような笑みで高々と煽り立てた。
「おい、付き人か? まあ何でもいい。そこのボロ雑巾をしっかり持って帰ってやれよ。臭くてかなわんわ」
「…….ち、張天山〜〜‼︎」
その言葉に怒りが爆発しそうになった虎丸を兄弟子が必死に止める。
「やめろ、虎! 今はタツを介抱するんだ! とりあえずそっちを持て」
「ぐっ……! タツ兄……! 無茶しやがって….…!」
こうして嘲笑う張天山に背を向けるように羽鳥部屋の者たちは竜ヶ峰を土俵から運び出した。




