二十三(了)
夕焼けが空を紅く染め、風に波打つ草原を金色の夕陽が照らす。
そんな郊外にある寺社の一角。
花と線香が供えられた父母の墓の前でおふみは目を閉じながらずっとかがみ込んでいた。
稲富の一味が纏めて始末されてから数日。
江戸というものは広いようで狭い。
民衆の気を引くような報せは面白おかしく脚色されながらも誰の耳にも届く。
稲富商会と轟々組。
この世に棲まう悪鬼のような奴らはそれ相応の無惨な最期を遂げたらしい。
ーーーちっとも可哀想だとも思わない
ーーー父を殺し、兄をあんな目に遭わせておきながら生き残った自分たちにまで嫌がらせをするまるで鬼のような奴らなのだ
おふみは目を固く閉じ火傷の残る頬を押さえながら火事場から命からがら逃げ出したあの日のことを思い出す。
そして父の骸を。
兄の無残な姿を。
ーーー改めて誓った
例え地獄で奴らに会うことになろうときっと罵り続けてやる、と。
「でも」
おふみは目を開いて父母の眠る目の前の墓を見つめる。
そして虚ろな目で語りかけた。
「お父さん、仇はとったよ。そんな事は望んでなかっただろうけどやるしかなかったんだ……
そっちに極楽があるなら私はいけないね。
お母さんもごめんね……」
おふみは父母に詫びながら仇討ちのことを報告する。
ただ、奴らのことを憐れむ気持ちは微塵も無いが、やはり自分は人の道を踏み外してしまった、というもやもやした気持ちは持ち続けている。
自分たちの幸せを奪った悪鬼たちに鉄槌を下してくれた姿の知れぬ渡し人たちへは感謝の念しかない。
しかし、これはおふみ自身が振り下ろした刃でもある。
自分の手は血に塗れてしまった。
ーーー果たしてこれでよかったのだろうか
人の道と獣の道。
倫理観というものは時代と共に移ろう。
道を外れるとはどういうことだろうか。
このような状況に陥り暗殺依頼にその手を染めたおふみを誰が責めることなどできようか。
……しかし、覚悟をしていたとはいえ奴らの悲惨な最期を聞くにつれおふみの心が晴れることは無かった。
おふみは墓前に呟く。
「……私はきっとこれから先も己の所業を忘れることはありません。この黒い塊を背負って生きていくつもりです。
辛くなったらまたここへ来るね。
兄さんも少しずつ治ってきているから、これから頑張るよお父さん、お母さん」
そして立ち上がると兄の待つ長屋へと急いだ。
最近、秀庵の伝手により、善意の大家を紹介され暫くは無料で古びた一室を借りられることになったのだ。
夕陽が川面を照らしそよぐ風がおふみの髪を揺らせた。
そろそろ夕飯の支度をしなければならない。
「おーーーい‼︎ おふみお嬢さーーん!」
家路を急ぐおふみの耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
声の方に顔を向けると道の角には子どもの頃から見知った彼らがいた。
「吉次郎さんに勝太に正平、三助…… わざわざお迎えにきてくれたの……」
轟々組の襲撃の負傷から回復した番頭や丁稚たちである。
その手には車椅子の取っ手を掴んでいる。
……大変であろうに、兄も連れて来てくれたのだ
彼らは秀庵お手製の車椅子に乗った菅四郎と共に微笑みながらおふみを出迎える。
「菅四郎さん、いや旦那も一緒ですよ」
「水くさいじゃないですか。お墓参りなら我々はいつでもお供しますよ」
「こんな若いお嬢さんを一人で歩かせるには忍びないです」
おふみは微笑みながら彼らへと歩みを進め、寄り添う。
「ありがとう、みんな」
車椅子の菅四郎がおふみの顔を見ると口を開いた。
「……お、ふみ か、かえろう」
蘭学を学んだ秀庵の熱心な訓練により、菅四郎の言語能力や歩行能力は回復しつつあった。
これも妹や店の者のために頑張らないといけないという菅四郎の一途で強靭な精神力の賜物である。
にこり、と微笑みながら一筋の涙を拭いおふみは菅四郎の手を取った。
「そうね、兄さん。……明日からも頑張りましょう」
遠く離れた河原の草原でそんな彼らの様子を伺う娘がいた。
そして傍で寝転びながら草笛を吹く男に語りかけた。
「関本屋のお店の人たちも怪我が治ってよかったね。元々典和さんに鍛えられた気骨のある商人たちだからきっとこれからも大丈夫だね」
朗らかなその娘の声に対して、寝転んでいた青年は如何にも眠たそうに応える。
「……ふん、興味ねえな。それより俺が興味あるのは今晩のメシだ」
「えい!」
その連れない態度にお駒は勢二郎の腹を軽く蹴飛ばした。
慌てて跳ね起きながら勢二郎は腹を押さえて怒鳴る。
「痛えな! 悪ふざけはよせよ! お駒!」
「ふ〜んだ」
ふん、と鼻を鳴らしながらお駒はスタスタとその場を後にした。
それはとてもとても真っ赤な夕陽の照らす夕方であった。
その後、関本屋の者たちは兄妹を中心に屋台を引き商いを再開し、悲しみを乗り越え底辺から再び這い上がることとなる。
不幸を乗り越えた彼らは自分たちが苦しかった頃を忘れることなく、貧しい者たちにも喜ばれるような気持ちの籠った商いを営んだという。
関本屋無惨 〜終〜




