二十
日付けが変わった新月の夜。
提灯の灯りだけを頼りに二人の武士風の男たちが人通りの無い道を急ぐように歩く。
「やれやれ、すっかり遅くなってしまったなあ」
「連中、もう始めてるかもしれんな」
彼らは北町奉行所同心高木誠心、そして彼の要請により関本典和を斬ったとある藩の武士であった。
今晩はそろそろ事件のほとぼりが冷めたという事で稲富商会主催の宴が開かれており、彼らも宴席に招かれていた。
しかし、今日に限って二人ともやや仕事が立て込みこんな遅い時間になってしまった。
苦笑いを浮かべながらも大義そうに高木は欠伸をする。
「関本の奴らを葬ってからそろそろひと月か。ようやく打ち上げってわけだな」
悪事を為しておきながら、なんとも軽い調子である。
それを受けて傍らの侍はぶつくさと文句を述べる。
「お前に殴られた顔の痣もようやく癒えてきたぜ。まったく、痛かったぜあん時は。やり過ぎなんだよ」
関本に酔って絡まれた無礼討ちとのやや強引な理由をでっち上げる為に、実行犯である侍は顔に殴られた痣をつける必要があった。
高木はからからと笑いながら傍らの男の肩を叩いて宥める。
「まあまあ、その分金は払ったしああでもしなきゃ他の役人たちに怪しまれてただろう? そして今晩こうして宴に招待したんだ。言いっこなしだぜ、諸々の恨み事は」
その相変わらずの軽い調子に侍は苦笑いを浮かべる。
「調子がいいなあ、高木さんは。まあいい。今晩は女が選び放題なんだって?」
「ああ、もちろん。関本屋の件の功労者であるアンタに優先権があるから今晩は存分に楽しんでくれよ」
高木のその言葉に満足そうな笑みを浮かべ男は歩みを早める。
「ふん、貧乏人の娘たちなぞ期待してはいないが、まあせいぜい働いた分は楽しませてもらおうか」
鼻を鳴らしながら角を曲がったところで男は何者かにどん、とぶつかり後ずさる。
薄暗い闇で話しながら前方不注意で歩いていた男たちの方が悪いのだが、相手の男は頬をかきながら軽い調子で謝罪してきた。
「おっと。悪いね」
不機嫌そうに凄みを効かせた声で侍はぶつかった男を睨みつける。
「おい、気をつけな兄ちゃん。提げてる刀が見えるだろ? 俺の機嫌が悪けりゃ斬ってたぜ。次からは夜道は目玉おっ広げて歩くんだな」
しかし、相手の男はヘラヘラと笑いながら悪びれずに答えた。
「へえ、そりゃあんたが殺った関本典和さんみたいにかい?」
男のその言葉に侍は怪しきばみ、一歩後退りながら刀に手を掛ける。
「……はあ? なんだてめえ。訳知り顔しやがって。おい、高木さん。こいつ怪しいぞ……」
高木誠心は面倒そうに欠伸しながら様子を伺う。
「何だ? 絡んできたのかい? 面倒な。
……おい、大丈夫か」
先ほどまで怒っていた連れの侍が急に喉元を押さえて地に手をついた。
見ると提灯の薄明かりでもわかるほどに男の顔色は青ざめている。
「の、の、のどがいたい……! ……だ、ダズげでぐで……! ……が、が、ガヒィ、ガヒィガヒィ‼︎」
脂汗を流しながら咳き込む侍は遂には激しく吐血し、悶えるように地を転がり始めた。
流石の高木も驚きながらその男の様子を見守る。
「お、おい?」
暫く男は喉を押さえて地面を転がりながら、小さな絶叫を上げやがてさらに激しく血を吐く。
「ガ、ガバァァァァァァァァ‼︎」
「ひ、ひぇぇぇぇぇ‼︎」
白目を剥き苦しみながら痙攣し、虫の息となった侍から距離をとり、高木は驚きながら後退りする。
月の無い夜に一方のぶつかった男の如何にも面白そうな笑い声が響いた。
「はははははは‼︎ そんなに驚くなよ。そいつには自分がやったことが返ってきただけだ。そうだろ? 高木誠心さんよ」
ぎょっ、と驚きながらも高木は刀に手を掛けその男を注視する。
「な、なんなんだお前は⁉︎ まさかこいつに毒を⁈」
男は悪びれることなく、何ということもない調子で答える。
「ああ。いかにもだ。毒キノコと植物を組み合わせた肺と脳みそをデタラメにぶっ壊すやつをさっきわざとぶつかった時に仕込んでやったぜ。たっぶりと苦しんで死んだみてえだな。ざまあねえや!」
「き、貴様ぁぁぁ‼︎」
刀の柄に手をかけ凄む高木を馬鹿にするような笑みを浮かべ刺客白石は尚も軽い調子で言葉を返す。
「お? キレるか? 言ったろ。やった事が返ってきただけだって。アンタのその怒りに正当性はあるのかい?」
「黙れぇぇぇぇ‼︎ 下郎め! どこのどいつか知らんがどうせ私と稲富との繋がりにも気づいているのだろう! 厄介だ! この場で斬り捨ててくれる‼︎」
大方、今回の件か、もしくは別件で恨みを抱いた者の襲撃であろうと判断し高木は抜刀し構えると男ににじり寄る。
相手は丸腰だ。
奉行所で確固たる地位を築きつつある自分の信用度があればこんな男一人始末さえしてしまえば後はどうとでもなる。
しかし、どれだけ圧を受けようとも白石は呆れた表情で頬をかくばかりであった。
元来凄腕の忍びである白石にとってこの程度の相手など取るに足らない。
「……あーあ 悪党ってのは何でこんなにみんな考えることがおんなじなのかねえ。都合悪くなりゃ口封じ、か。やれるもんならやってみやがれ」
「ふん! そのような舐めた態度をとってる場合か! 丸腰の町人ごときが‼︎」
「……アンタみたいな腐った官僚が権力を握っちまったら泣きを見るのは無辜の民だ
そろそろアンタの勘違いを終わらせてやるよ」
薄笑みを浮かべ、挑発するようなその言葉に高木の頭に血がのぼり遂には大きな構えから白石に斬りかかる。
「洒落くせえ‼︎ 死ねっ‼︎ 下郎‼︎」
闇夜に薄く光るその刃は、しかし相手に届くことなく宙を斬る。
そして、あっという間に懐に飛び込んだ白石の拳が高木の鳩尾を穿った。
「ぐぅっ‼︎」
急所に一撃を受けた高木はうめき声をあげると気を失い、その場に倒れ込む。
辺りには野犬の遠吠えのみが木霊し、白石は傍らに落ちている提灯の灯をふう、と消すと高木を冷たい目で見つめた。
「いつまでも自分だけには天罰が当たらないと思ったか? そんなわけないだろう? 暫く寝てな。
……起きたら楽しいことになってるぜ」




