十八
その館の奥座敷の一室のヤクザ者の館には似つかわしく無い青々とした新しい畳や新調されたばかりの白い襖にポロン、ポロンと弦の音が響く。
敷物の上に酒と料理を並べたその奥でまるで遊女のような煌びやかな着物を着た美女たちに酌を受ける赤ら顔の額に大きな傷のあるその厳つい風貌の男は注がれた酒をぐびぐびと飲み干した。
そしてじっと女の顔を見つめながら引き寄せ強く握りしめる。
ヒィと小さな悲鳴をあげる女の反応を無視しながら、この館の主である轟々組組長、轟熊一は詰まらなそうに女たちに怒鳴りつけた。
「おい、辛気くせえ顔で酌してんじゃねえぞ。琵琶も下手くそなんだよ」
そう言われた女たちは項垂れながらその手を止める。
彼女たちは例によって稲富に連れてこられた債務者の娘たちであった。
そんな女たちの連れない様子に熊一は更に険しい目つきになりながら手にした皿を女の方に投げつける。
その白い皿は悲鳴を上げる女の手前の畳にぶつかり弾けて割れた。
「お前ら、誰のおかげで今回の金利棒引きしてもらったと思ってる⁈ 景気いい顔で酌するんだよ! 貧乏人の娘どもが!」
「……うう」
熊一は酒癖が悪く、酔うとすぐに乱暴を働いた。
女たちはその剣幕に恐れをなし震えながら何も言えない。
中には泣き出しそうな年端のいかない者までいた。
熊一はしばらく女たちを睨みつけると厭な笑みを浮かべた。
「ククク! だがお前らみたいな嫌がる女を痛ぶるのも嫌いじゃねえ。どいつから遊んでやろうか?」
「ひっ……!」
震える女たちを満足気な厭な笑みで見つめながら熊一は先ほどから聞こえてくる耳障りな喧騒に舌打ちをした。
「それにしてもさっきから騒がしいな。宴会場の方か? チッ! 馬鹿どもがハメを外してやがるのか⁈」
酒と料理と女たちの宴会芸に夢中で気づかなかったが、先ほどからこの奥の座敷にも何やら配下のヤクザ者たちの暴れるような喧騒が聴こえてきており気にはなっていた。
熊一は膝を叩きながら立ち上がり、ジロリと女たちを睨みつけた。
「あんまりうるせえようならシメに行ってやろうか。おい、お前ら逃げんじゃねえぞ」
熊一が重い腰を上げ、部屋を出ようとした時だった。
廊下からペタペタ、と重い足取りの足音が聞こえてきたかと思うと部屋の障子が弱々しく開かれた。
「……く、組長〜〜」
見ると鼻から血を垂らした轟々組の下っ端の男がよろめきながら熊一の方へと進んでくる。
熊一はますます不機嫌になりながら下っ端の男に怒鳴りつけた。
「おい、下っ端! 誰がここに来ていいと言ったよ? 今すぐ消えろ。それとバカどもに伝えとけ。俺がうるせえ、と言ってたとな」
大方、広間で喧嘩でもしているのだろう、と推察しながら熊一は苦々しげに舌打ちをする。
と、男の後ろの陰から声が聞こえてきた。
「おいおい、そりゃあひでえんじゃねえか? お前の手下が泣きながらこんなに縋ってんだぜ?」
ふらりと現れた男の陰のある薄笑みを行燈の薄明かりが照らす。
陰から現れた男は二十前半くらいだろうか、見た目はさほど身長があるようには見えないが血飛沫を所々に浴び、肩には血に塗れた刀を担ぎ、挑発するような薄笑みを浮かべていた。
よく見ると手下の胸からはポタポタと血が滴り落ちている。
位置からして心臓を貫かれたのだろうか。
熊一は眉を吊り上げながら血刀を担いだ男を睨みつける。
「……なんだぁ⁈ てめぇ……!」
血を見た女たちから小さな悲鳴が上がるが、男は熊一の剣幕も意に解すことなく部屋の真ん中まで歩いてくると飄然と口を開いた。
「……熊ってよお
たま〜〜に人里に降りてきて悪さするよなあ。そんで人の味を覚えた奴からマタギに狩られてく。山にあるもので我慢しときゃいいのに欲張るからだ」
……ヤクザ者の大将の根城に乗り込んできておいてこの男は何を言っているのか
その男の舐めたような態度に熊一の顔色は徐々に真っ赤になる。
目の前の膳をひっくり返すと震えて縮こまる女たちから更に悲鳴が上がった。
「野郎……! 何を言ってやがる……? カチコミか⁈」
男は質問に答えることなく小さく笑みを浮かべながら熊一に向けて血刀の切先を指し示した。
「おい、食い意地の張った豚熊野郎。お前のことだよ、お前。マタギが駆除に来たぜ」
ますます激怒の色を強める熊一に顔を朱に染め今にもくたばりそうな道案内の手下が縋り付くように泣き始める。
「……く、くみちょぉぉぉ……! ビ、ビンナなやダれヂまっダあ……… ダ、ダスゲデ……」
……全員がやられた、と今言ったのか?
熊一は暫く驚き、その情けなく泣き叫ぶ手下を見つめるが、やがて怒りと共に手下を殴り飛ばすと立てかけてあった金棒を掴みその血塗れの刺客勢二郎を見据える。
「はあ……? 何言ってんだおい、てめえ……! やっぱりカチコミか⁈ 野郎‼︎ どこの組のもんだ⁉︎」
熊一は勢二郎を怒りと驚愕を持って観察する。
見たところ一人でしかも刀一本でこの轟々組に殴り込んできたようである。
ヤクザの抗争では「カチコミ」はよくあることだが、しかし単騎特攻など滅多にあるものではない。
勢二郎はふう、と息を吐きながら詰まらなそうにする。
「お前らみたいなヤクザ者と一緒にすんじゃねーよ。さあ、そろそろ斬ってやるぜ熊公」
熊一は刺客に向けて金棒を大きく構える。
体格で言えば熊一の方が遥かに大きい。
確かに返り血らしきものを浴びているが目の前の男が一人で五十人程からいた子分どもを斬ったなどという戯言を熊一は到底信じていなかった。
恐らく何人かは斬ったのだろうが、愚かな子分どもは恐れ慄いて逃げ出した者も多いのだろう。
熊一は舌打ちをしながら涼しい笑顔を浮かべる勢二郎へジリジリと迫った。
……どんな手を使ったか知らんがこの俺がこんなガキに負けるはずがない
冷えたような部屋の空気に肩を寄せ合う女たちの小さな悲鳴が響いた。
熊一は勢二郎に近づきながら凶悪な笑みを浮かべドスの効いた声で大上段に構える。
「……ふん、酒に毒でも盛りやがったか? そんな脅しにこの轟熊一がびびるとでも思ったか、クソ野郎‼︎」
勢二郎はそんな熊一の激昂した様子に構わず、何と片手で刀を担ぎながら耳をほじり始めた。
「あーあ。クソはてめえだろうが。信じられねえか。まあ、どうでもいい。お前もつまんなさそうだがさっさとやろうぜ。ほら、先手はくれてやるぜ? ドブ街のゴミ山大将さんよ」
熊一の頭に血が上り、額の傷までみるみる紅潮する。
座敷で震え上がる女たちは肩を寄せ合いながら始まろうとする修羅場を固唾を呑んで見守る。
「……舐めやがってクソガキが」
熊一が尚も涼しい顔で舐めた笑みを浮かべる勢二郎に数歩程の距離に近づいた時だった。
大きなガラのこのヤクザは歪んだ笑みを浮かべ、金棒の取っ手に仕込んである凸みを押した。
すると金棒の先に穴が空き赤い粉塵が噴き出し、熊一は勢二郎に向けて噴き出し口を思い切り振りかざした。
「フン‼︎」
……唐辛子や有害な植物を砕いて作った目潰し
姑息な手ではあるが、これが熊一の必勝必殺の搦手である。
熊一は笑いながら目潰しの真っ赤な霧で染まった前方に向けて金棒を再び振りかぶった。
「はっ‼︎ 目が痛いだろ⁉︎ だが勘弁してやらねえぞぉ! 死ねぇ‼︎ クソガキィィィィ‼︎」
しかし、熊一のその一撃は空を切っただけで畳へとぶつかり音を立てる。
と、共に熊一の両肩に何かがずしりと乗っかったような感覚が襲い欠伸混じりの呆れたような声が聞こえてくる。
「……マジかよ、くっだらねえ」
熊一が訝り見上げるとカチコミの青年が自分の肩に両足を乗せながら怠そうに欠伸を噛み殺しているではないか。
驚愕と共に熊一は金棒を己の肩先に向けて振り回す。
「……はっ⁉︎ なんだぁ、くそが‼︎ 俺の頭から降りやがれ‼︎」
しかしその金棒の一撃は何者に当たることもなく、熊一の肩から男の重さが消えたと共に青年の姿が視界から消えた。
「こんなのがおめえの奥の手か? 雑魚なら引っかかるだろうがな……
……ほんっとーにがっかりだわ
もういい今すぐ死ね」
「……ガァッ!」
空を舞い一回転した勢二郎の踵が熊一の鼻面へと突き刺さり、ヤクザの親玉の大きな身体が後方の壁へと吹き飛んだ。
女たちの間からは悲鳴が漏れる。
「ひぃぃ……! いったい何が……?」
「あんたらはもう家に帰んな。出来れば俺のことは喋らないでくれると助かる」
自分たちをこの場で拘束していた熊一がのされたことを見てとり、勢二郎のその言葉に女たちは小さく悲鳴をあげながらいそいそとその場を後にした。
彼女たちが消えたのを確認すると、勢二郎は気を失っているその無様なヤクザ者の頭を足蹴にする。
「おい、起きろおっさん」
「ぐがっ……!」
鼻から血を垂らしながら朦朧とした意識で熊一は刺客の顔を見上げる。
何の表情も浮かべずその男は血刀を背負い、熊一を見下しながら肩を踏みつけてきた。
「おい、ヤクザにも仁義ってもんがあんだろ。堅気に手を出したお前はもうヤクザですらねえ…… ただの獣だ。後悔しながら死ね」
「このっ……! ガキがぁ! ……ぐわぁぁぁぁぁっ‼︎」
勢二郎の刀の切先が熊一の肩を貫く。
「どうした? 続けろよおっさん」
「……くっ! てめえなんぞにこの轟熊一が……! うぉぉぉぉぉぉ‼︎」
先ほどとは違う方の肩を切先が貫いた。
「そうだ、その調子だ頑張れおっさん」
痛みに肩で息をしながら熊一は尚も虚勢を張り、恨み事を続ける。
「お、覚えてやがれ……! 轟々組全員でてめえを袋叩きにして……
ギャァァァァァァァ‼︎」
口の減らないヤクザ者にため息を吐くと勢二郎は今度は同じ傷口に切先を突き立てた。
「物分かりの悪いおっさんだな。全員俺が殺したっつったろ?
それとお前に今後なんかねえ……」
この男はなぜ尚も自分の命だけは助かると思い込んでいるのか。
長い期間、力を持った者が陥りそうな思考だ。
勢二郎は熊一の腹を踏みつけ橙色の薄明かりに揺れる冷たい瞳で見据える。
「なぜならお前は今夜俺が殺すからだ。おい、まさかまだ自分が殺されないとか思ってたか? ……何故?
今まで上手くいってたからか?
大勢を従える腐れヤクザの親分だからか?
悪徳商人や腐った官僚の後ろ盾があるからか?
こんな最果てのドブ街で暴れて偉くなったつもりか?
ふざけんな。やった事は返ってくる。
今晩お前は今までの報いを受けて無惨に死ぬんだよ。虫みてえにな」
「……ひっ! ひぃぃぃぃぃぃぃ‼︎」
思わず熊一は情け無い悲鳴をあげる。
何の感情も浮かべずこの世にあるべき原理を滔々と語る、まるで地獄からきたようなその鬼に熊一はこの時初めて死を予感した。
その冷ややかな目が語っていた。
……この男は本当に五十名から成る自分の手下たちを皆殺しにしたのだ
……そして今から自分もあの世へと送られる
ガタガタと震え始めた熊一に鬼は片手に持った血刀の切先を突きつける。
「お前が無様な首を晒せばここらのバカどももちったあ大人しくなるだろうぜ……
じゃあな、おっさん」




