十五
燭台の灯りが揺れながら洞穴の暗闇を薄く照らす。
おふみは地に傅きながら神仏像に向けて語りかけるように口を開いた。
「……私は関本屋典和の娘、おふみと申します」
しゅごぉと小さな音と共に灯りの火に焼かれる蛾を気にする者などどこにもいない。
おふみは額の汗を拭い、呼吸を整える。
覚悟を決めてきたはずなのだが、やはり喉が張り付いたように乾き声が大きくは出せない。
「私が…… ここに来たのは……」
絞り出すような声に続いて、おふみは肩を震わせ始めた。
ここに来るまでに何度も何度も渡し人たちに言うべき言葉は整理してきたはずだった。
だが、いざこの場に立ってみると感情が打ち震え、声が出ない。
おふみの心を支配しているのは、恐れか悲嘆か、それとも怒りか。
やがておふみは絞り出すようにして感傷的な声を上げる。
それはおふみが想定していたものとはかけ離れた、思うに任せたままの叫びであった。
「とても…… とても悪い奴らがいるんです……! 奴らは私の父を殺し、兄を痛めつけ重体にした上に私たち家族の住っていた場所まで奪いました……!」
今までのことが心に居来したのか、おふみは涙を流しながら叫ぶように言葉を紡いだ。
暗い洞穴の中に反射するかのように親を殺された娘の言葉は悲しく撃ち響く。
聞いているのかいないのか、渡し人からは何の反応もなく物音一つ返ってこないが、おふみは涙を拭いながら仇への怨恨を訴え続ける。
「それだけじゃないんです……! あいつらは富と力を傘にきて弱い者に金を貸し、膨らんだ借金を取り立て我欲を貪り続けているのです……!
それに抗議した父を奴らは殺した……!
こんな奴らを生かしていていいんですか⁈
……私は許せない!
……いえ」
おふみは胸を抑え、息を吐く。
少し落ち着いたのか間を空けると眼前の怒りの形相を浮かべる神仏像を見つめ返し、今度はゆっくりと冷静な声音で話し始めた。
「私は酷い人間です。
本当は他の人の事なんかどうでもいいのかもしれません。
……私はあいつらが憎い
私から何もかもを奪ったあいつらをこの世から消してしまいたい……!」
屹と神仏像の顔を睨みつけるようにおふみは冷徹な声で続ける。
「出来るのならばこの手で奴らを殺してやりたいくらい私は奴らを憎んでいます。
……でもこんな細腕一つではヤクザ者を味方につけている奴らなどどうにもなりません
ですのでこの度、この世の鬼を喰らうというあなた方に殺しを依頼しに黒閻洞にやってきました……」
おふみは懐から小袋を取り出し、地に頭を擦りつけるように傅いた。
「お願いです……! 父と兄の仇、稲富の奴らと轟々組、父を殺した侍たちをこの世から消して下さい……‼︎」
微かな風の音が洞穴に響き、神仏像の影がおふみを覆うように灯りに揺れ続けた。
おふみは震える手で小袋を像の前へと置き、目を閉じ祈るように訴え続ける。
「これは焼けた我が家の敷地を売って作ったお金です……
本当ならばこれの倍以上はお出し出来たはずなのですが、奴らに妨害されて五両にしかならなかったのです。
一両は案内人の方に支払いました。
本当に少ないですが、どうかお願いします……!
……どうかあいつらを殺して下さい‼︎」
自分は今、一線を超えたと思った。
──金を払い人殺しの仕事を依頼したのだ
おふみは震えながら地に伏せるように傅き、渡し人たちからの何らかの返答を待つ。
刻にして数秒にしか満たなかったが、おふみにとってそれは永劫にも感じられる時間だった。
暗闇に潜む小動物のさざめきすらもこの時のおふみには幽界のもののように感じられた。
「わかった」
男の低い声が確かにおふみの耳へと聞こえてきた。
おふみは微かに顔を上げ、燭台の橙色の灯りに揺れる神仏像を見上げる。
「お前のその依頼、しかと聞き届けた。金は御神像の足元に置いて立ち去るがよい。
其奴らは我らがこの世から消してくれよう。
……よいか娘」
その冷厳とした声におふみは気を張り詰めるようにして自然と背を伸ばす。
「わかっておるだろうが、ここに至った事、ここであった事、お前が我らに殺しの依頼をした事は生涯誰にも喋ってはならぬ。
黒閻洞の場所も誰に漏らしてはならぬ。
この約定を違えれば我らはお前の命を貰いにいく。
墓場までこの秘密を持っていくのだ」
手をついておふみは薄暗い地を目にしながらしっかりとした口調で返答する。
「……承知つかまつりました」
「ではゆけ。ゆめゆめ忘れるでないぞ」
……これでおふみの望み通り憎き仇はこの世から消える
顔も見ていない相手ではあるが不思議とおふみにはその確信があった。
先ほど流したのとは別の種の涙を流しながらおふみは神仏に向けて深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……! ありがとうございます……!」
「さて……」
おふみが黒閻洞から去ったのを確認すると、像の影や洞穴の窪みなどから複数の影たちが呼吸を合わせるかのように出てきた。
──北町奉行所大目付周防播磨守忠直
──北町奉行所書記番頭左藤兵衛
──抜け忍白石
──同じく抜け忍お駒
──鳶職人壬午郎
──元城河藩藩士の素浪人雨野勢二郎
彼らこそが渡し人と呼ばれる江戸の街の鬼を喰らう刺客集団であった。
元締めである白髪の老侍、周防は主に刺客を務める四名の顔を表情を変えずに見渡す。
「聞いたな、お主ら。あの娘の言っていたことに相違はない。
お主らのほとんどはあの娘の知り合いだそうだが。
その上で仕事を受けるかどうか考えよ」
左藤は御神像の足元に置かれた金色の小判を拾いあげると四名の顔を見ながら口を開く。
「四両……か。あの娘にとっては大金であり魂の籠った金だ。お主たち、不服はあるかね?」
へらりと笑いながら白石がごきりと首を鳴らした。
「野暮を聞くなよ、左藤さん」
いつもの通りの軽薄な態度だがその目は笑ってはいない。
「俺ら全員殺る気満々だぜ。殺ってやろうじゃねえか、なあ?」
そう言って面々を見回すと腰に黒鞘の刀を下げた侍、雨野勢二郎が不服そうに言い放つ。
「白石、お前が代表みたいな口を聞いてんじゃねえよ」
そして左藤の手元から小判を一枚掴み取った。
「だがまあ、そろそろタネ銭が欲しかったところだ。俺はやるぜ」
左藤は頷きながら他の者の顔を再び見回す。
薄い灯りしかない洞穴で表情は見えないが全員の目に爛々とした炎が灯っているようであった。
「……他の者も同じか?」
否やもなく、全員が一枚ずつ左藤の手から小判を受け取っていく。
依頼を断る者は一人として居なかった。
周防は全員が小判を納めたのを確認すると無表情のまま、しかしそのギラリと光る眼光で四人を見据える。
「そうか、ならば殺れ。相手は江戸の街に巣食う醜悪極まる鬼共よ。やるなら徹底的にな。いつもの通りやり方は任せた」
くつくつと笑いながら白石は腕を組み洞穴の上の方を指さした。
「ご期待に応えてみせますぜ、元締め。
ちょうど明後日は新月の晩だ。お誂えだぜ」
勢二郎は神仏像を見上げ、暗闇に爛と光る眼光を放ち薄く笑みを浮かべた。
「……さあ、鬼退治といこうか」




