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必殺・裏稼業  作者: Taylor raw
関本屋無惨
13/97

十二

 北町奉行所の奥の離れの書斎に立ち入る者は少ない。

 それは温厚だが口喧しい、と評判の最古参である大目付の領域であり……

 仕事は出来るが最早出世街道からは大きく外れた道を歩む老いた官僚の詰め所であるからだ。


 夕陽が沈み、夜の帳が降り始めたこの書斎にただ黙々と紙を繰る音だけが響き、懸命に書き物をしていたその老人は廊下の足音にその手を止める。

 やがてその足音は書斎の前で止まり、足音の主である男の低い声だけが闇に響いた。


周防すおうさま、左藤さとうにございます。宜しいでしょうか?」


「入れ」


 障子が開かれ若き侍が深く頭を下げながら、奥に座する老齢の大目付おおめつけへとゆっくりと歩み寄り文机へと書類を載せた。


「失礼します。こちらの書類にも押印を頂けますか」


 白髪を髷に結いかみしもを着た周防すおうと呼ばれたその老侍は左藤さとうと名乗る若侍を一瞥すると書類を手に取った。


 ……関ヶ原や大坂の陣にも参戦したというこの老侍は晩年、ここ北町奉行所で文官を務めていた


 やがて大目付おおめつけ周防播磨守忠直すおうはりまのかみただなおはため息を吐きながら書類を開き目を通し始める。


「やれやれ、ここ数日は仕事が立て込んでおるのう。

 兵衛ひょうえよ、今日はお奉行様はどちらへ行かれたのじゃ。

 最近はこちらに出仕しておらんの」


 そう問われた左藤兵衛さとうひょうえと名乗る侍はすぐさま応える。


「はっ、今朝からさる幕閣の御用邸へお呼ばれにあがったそうで」


 周防は眉間の皺を深めながらやはりか、と呟く。

 今代の北町奉行は覇気が無い。

 江戸の町奉行という仕事は花形ではあるが、司法と行政を一手に担う激務であり実際に過労死する者も少なくは無いのだ。

 ある程度は手を抜かなくてはやっていけない。

 また、一部の者を除いて町奉行の任期は大概一年か二年に満たないのでこれを生涯の仕事とする者は少ない。

 ……しかしそれにしても


「相変わらずなんとも如才のない方じゃのう」


 今の仕事を疎かにして次の役職を求め、官吏におもねるのは如何なものかと周防はまた大きなため息を吐いた。


 やがて左藤に向き直るととある文書を手に取り手渡す。


「さて、最近の大きな刑事と言えばこれじゃの」


 左藤は手渡された文書を読みながら眉を顰めた。

 それはごく直近に遭った曰く付きの事件であった。


「……はっ、関本屋の

 何とも痛ましい事件でありました」


「して、我が北町奉行所はこれを事件として扱っておるのかの?」


「いいえ、大方は父親の典和の切り捨ての件も息子が道端で朽ち果てていた件も、そして家宅の焼失の件も額面通りの事故として処理するつもりのようで……」


「嘆かわしいのう」


 少し調べれば誰が見ても裏があるこの事件を誰も断じようとしないのはどういう事だろうか。

 周防は首を振りながらぱらぱらと文書を読み進める。


「彼奴等にはこれが事故に見えるわけか……

 やれやれ誰が誰にいくら積まれたのじゃろうな。

 下々の、力無き者の非業をこのように軽率に扱っておってはいつかしっぺ返しを食うのは我等武士ぞ。

 ……今の者にはそれが分からんのじゃな」


 関本屋の一連の事件の捜査責任者は同心高木誠心たかぎせいしんと記載されている。

 周防はこの男がくさいと睨みながらふと天井を見遣った。


「さて、何用じゃ。白石しらいし、おこま。ここには極力来るな、と言ったはずであるが」


 その言葉と共に天井の端が少し開くと、二つの黒い影が音もなく書斎の畳へと着地した。

 薄闇に目を凝らすと平伏する二つの影がある。

 左藤が刀に手を掛けるが周防が手でそれを制する。


 影は白石とお駒の兄妹であった。

 やがて平伏したままの白石が口を開く。


「申し訳ない、元締め、左藤さん。どうしても今日中に相談したいことがありやしてね」


「よい、申せ」


 無表情のまま周防は頷いた。


 ──北町奉行所大目付周防播磨守忠直すおうはりまのかみただなお

 その実態は渡し人と呼ばれる殺し屋集団を隣に控える左藤と共に密かに結成し、統率する頭領のような存在であった。


 白石は頬をかきながら隣の不機嫌そうなお駒をチラと見遣り話を始める。


「……ちょうどいいや、その関本屋の娘の件でして」


 そして二人の上役に向けて姿勢を正し話を続ける。


「いえね、件の兄さんの運ばれた診療所ってのがたまたま勢さんの妹御と同じところでして。

 それで俺らその娘さんと知り合っちまったわけでさぁ。

 まあね、それで今日は一緒に蕎麦を食いに行ったわけですが余りにも不憫な様子で泣くわけですよ。

 それでこいつが……」


「……裏稼業・・・のことを喋ったわけか?」


 鋭くなった眼差しで問う左藤に白石は軽く首を振りながら答える。


「いえ、正確には仄めかしただけです。

黒閻洞こくえんどうについて調べてみろ』と一言耳元で呟いただけでさあ。

 お駒が言うには娘さんの行く末を慮ってのことだそうですが……

 ……それで元締めと左藤さまにご判断を仰ぎたい

 お駒は処されるべきでしょうか」


 ……黒閻洞こくえんどう

 それは渡し人たちが唯一ゆいいつ堅気の者と血の契約を結ぶ場である。

 この世に巣食う鬼を誅す仕事と言えど、殺しと依頼の線引きは厳格に分けられなくてはならない。

 おふみを哀れに思った白石たちが独断で稲富たちを始末する事は許されないのだ。

 無論、その秘密を誰に漏らすことも許されない。


 そっぽを向くお駒を鋭い眼差しで睨みながら左藤は強い口調で咎めた。


「お駒……愚かな。お前は自分だけではなく、仲間を危険に晒したのだぞ。分かっておるのか?」


「申し訳ない……! 本当に阿呆な妹で……」


 尚も不服な態度を続けるお駒の頭を無理やり押さえつけながら白石は二人に平身低頭して許しを乞うた。

 しかし、そんな修羅場を穏やかな矍鑠かくしゃくとした声が終わらせる。


「よい」


「周防さま……?」


 周防はいいのか、と目で問いかけてくる左藤を笑みで制しながら白石とお駒を見遣る。

 その眼差しは穏やかなものであった。


「よいと言っておる」


 白石はゆっくりと顔を上げ周防の顔を見つめた。


「これは温情ではない。

 白石よ、お前はお駒の処刑を命ぜられれば返すその刀で己の首を絶つつもりであろう。

 それは困るのだ」


 お駒は白石の顔を仰ぎ見ながら少し複雑な表情を見せる。

 いつもは飄々としている兄のその顔からはこういう時に限って何の感情も読み取れない。


 周防はそんな兄妹をじっと見つめながら再び口を開いた。


「たった四名しかいない手駒がいきなり半分になっては立ち行かぬ。そうであろう」


「何もかもお見通しで……」


 白石は頬をかきながらお駒の頭をぺしりと叩いた。

 痛いと抗議するお駒の声に構わず、周防は遠くを見遣るように今度は感情を込めない声で言った。


「そして……

 奴らの邪悪さよ。その娘の仇どもはいつかは斬らねばならぬ鬼どもじゃろう。

 娘が我らに辿り着けるものならばその願いを叶えてやろうではないか」


「……はっ」


 周防の言葉に白石は再びお駒の頭を押さえつけながら深く頭を下げる。

 薄く笑いながら周防は未だ不服そうなお駒に柔らかい口調で諭した。


「次からは気をつけよお駒。兄に感謝せいよ」


「わかった。ごめんね元締め」


「ごめんね、じゃねーだろ! 全くお前は! 本当にすいやせんでしたお二方。では失礼しやす」


 そして忍びの兄妹は音も無く影のように書斎を後にした。


 薄闇に残された二人は小さく息を吐き、暫く静寂が訪れる。


 左藤は肩を回しながら心底疲れた、というように薄く目を閉じ小さく呟いた。


「……やれやれ」


 文書を再び調べ始めた周防はその眼差しを強めながら、朱筆で要点をなぞっていった。


「次のは大仕事になりそうじゃのう」


 左藤は居住まいを正し低い声で答える。


「そのようで」

※実際に江戸町奉行は過労死した方が少なくないようです

長期間町奉行を勤め、民衆に愛された遠山金四郎は正にレジェンドオブレジェンドです

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― 新着の感想 ―
[一言] お駒は許してもらえると思ってましたかね。
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