十一
菅四郎とおふみが秀庵診療所に運び込まれ三日が経ち、菅四郎は手厚い看護によって峠を超えた。
生きた心地のしない数日だったが、少しだけ元気を取り戻したおふみは早速自分を助けてくれた火消したちに直接礼を述べ、自邸の焼け跡を確認し一息つく。
午の刻(昼十二時)を告げる寺の鐘を聴くと、わざわざ付き添って来てくれた勢二郎とお駒と共におふみは昼飯を取ることになった。
勢二郎の先導でドブ街の疎らな人の往来と昼の日差しをぼうっと眺めながらおふみは思案に暮れる。
……これからどうしたものだろうか
暫く歩いていると勢二郎が何かを見つけたのか、顔をそちらに向け呟くように口を開いた。
「あっ、壬午郎のおっさんだ」
「あ、壬さんだ」
お駒も同意するように頷くのでそちらを見ると何か建物を建てているのだろうか、沢山の大工達がせっせと基礎を作ったり、土木を運んでいる工事現場があった。
勢二郎たちの視線を追うと、工事現場の高所で木材や鋼材をすいすいと運んでいる中年の男がいた。
とりわけ目立った働きを見せている。
鳶職だろうか。
しかし職人の多い江戸とは言え、あそこまで身のこなしが軽い男も珍しい。
おふみは二人に尋ねてみる。
「お知り合いですか」
「まあ、一応。声かけてみるか
おーーい、壬午郎のおっさん! 蕎麦でも食いに行かねえか?」
勢二郎が大きな声でその鳶の男に声を掛けるが、男はこちらをチラと見遣ると黙って首を横に振り、そのまま仕事を続けた。
「いいってよ。相変わらず愛想の無いおっさんだぜ」
その言葉にお駒は呆れ顔で勢二郎の方を見遣る。
「勢さんが言うの? 壬さんこっち睨んでるよ」
「聞こえてんのかよ。おお、怖え怖え」
そして一同がまた歩き始めると、暫くして軽い調子で声を掛けてくる者がいた。
「随分と可愛らしいお嬢さん連れてるじゃねえか、勢さん、お駒。そちらは?」
振り返ると口元に笑みを浮かべた人懐こそうな男がいた。
これもどうやら二人の知り合いのようだ。
「なんだよ、白石。飯行くとこだよ」
「ああ、兄ちゃん。こちらはおふみさん。関本屋の娘さんなの」
おふみは白石という男に軽く会釈をする。
「初めまして、おふみと申します」
白石は軽薄な笑みを少し複雑な笑みに変えてから片目を閉じてどこか気障な表情を作ると、何気なく勢二郎の肩に手をやった。
「ああ、関本屋の……
大変だったねえ。俺は白石。
このお駒の兄で、勢さんのダチさ」
勢二郎は顔を顰めながら肩にかけられた手を振り払う。
「別にダチじゃねえだろ」
白石はわざとらしく息を吐きながら嘆かわしげな表情で顔を覆った。
「おいおい、二年も連れ添っといてそりゃあ連れなさすぎんだろ?
俺たちいくつ同じ夜を過ごしたよ?」
「……やめろや!」
勢二郎は割と本気で気分を害しながら眉を顰め白石の肩を拳で強く叩いた。
街の外れにひっそりと佇むボロい一軒家の暖簾をくぐると鰹だしを茹でる匂いが香り、食欲を刺激してくる。
「へいらっしゃい」
ぶっきらぼうな声のする人の居ない店内の奥を見ると赤い鉢巻きをした親父が鍋をかき混ぜながらこちらを睨んできた。
勢二郎たちは適当な座敷に腰を下ろすと、白石は指で四を作り店の親父に注文する。
「大将、蕎麦四人前」
「あいよ」
親父が支度をしている間に薄い茶を啜りながら勢二郎は、どこかまだ心細そうなおふみにこう言った。
「獄天蕎麦はここドブ街じゃまだマシな店でな。今日は白石の奢りだから遠慮すんなよ」
「おい! きいてねえよ、なんでだよ‼︎」
お駒は悪戯そうな笑みを浮かべながら上目遣いで兄を見つめる。
「えー、だって兄ちゃん仕事帰りでしょ?」
「だからってたかんなよ…… しゃあねえ、これも縁だ。おふみさんの分は俺が出すよ。
遠慮してくれんなよ」
思わぬその言葉におふみは慌てて首を横に振る。
「いえ、そんな…… 悪いですよ」
遠慮するおふみに勢二郎は薄く笑いながら言う。
「遠慮すんなよ。こいつは女に飯を奢るのが好きなんだ」
「軟派な兄貴なんですよ」
「君たち、ちょっと俺に対する扱いひどくない⁈」
白石は眉根を寄せ憤慨しながら膝を叩き二人に抗議するが、彼らはそれでもそんな態度を改めようとはしないようだ。
「いつものことだ、気にすんなよ」
「そうだ、気にすんな気にすんな」
そうやっていると無愛想な店の親父が盆に湯気の立った丼を四つ持って運んでやってきた。
「はい、お待ち。蕎麦四丁」
そうして一斉に蕎麦を啜っていると少しもしないうちにおふみの手が止まる。
こうしているとおふみの胸にふと過去の一家団欒の記憶が呼び起こされたのだった。
そんなおふみの様子に気づいた白石が心配そうに彼女の肩をさする。
「……おい、どうしたおふみさん? 調子でも悪いのかい? やっぱり口に合わなかったか?」
「いえ、違うんです……」
三人は手を止め気遣わしげに彼女を見つめる。
おふみはいつの間にか溢れ出た涙を拭いながら無理に作った笑顔で彼らに微笑み返した。
「あなた達を見ていると、失った家族のことを思い出してしまって……
ごめんなさい…… せっかく元気づけようとしてくれてるのに……」
三人はどうしたものかと無言になる。
無理もない。
このような過酷な状況に遭った女を慰める言葉などあろうはずがない。
やがて沈黙に耐えかねたお駒がそっとおふみの耳元にその小さな口を寄せ何事かを呟いた。
「おふみさん……」




